前回の投稿では「ソ連はなぜ突然崩壊したのか?」というテーマで1964~1982年のブレジネフ時代に暮らす人々の日常感覚を再現したアレクセイ・ユルチャクの著作「最後のソ連世代」を取り上げました。ブレジネフ時代は「停滞の時代」と呼ばれましたがユルチャクが提示するソ連社会の姿は単純な"停滞"ではなく人々の生活の中には独特の安定感と豊かな文化が存在していました。
今回はユヴァル・ノア・ハラリの「NEXUS 情報の人類史」第5章「決定」を手掛かりにソ連が「停滞の時代」に至る前の段階について考えてみたいと思います。
本稿の関連動画を以下にアップしています。良ければご参照下さい。
ハラリはNEXUSで私達が制御しきれない程の力を生み出す大規模な協力のネットワーク="情報ネットワーク"の歴史について述べています。
ハラリによれば石器時代の狩猟採集民の間では民主制が最も典型的な政治制度だったそうです。農業革命に続いて文字と文書によって大規模な官僚制の政治組織が誕生してからは情報の流れを中央集権化するのが簡単になる一方で民主的な話し合いを維持するのが難しくなりました。小さな都市国家では民主制を採用するところもあったのですが石器時代の民主制ほど包摂的ではありませんでした。古代都市国家の民主制で有名なアテナイでも女性と奴隷と市民ではない住民には投票権はありませんでした。
政治組織の規模が拡大し都市国家がより大きな王国や帝国に取って代わられるにつれて部分的な民主制も独裁制へと移行しました。ハラリはその原因を「広大な帝国内で民主的な話し合いを実施する為の手段が存在しなかったから」と説明します。ハラリは「古代ローマ人は民主主義の理想を信奉していたが帝国の拡張に伴って市民権がより多くの人々に行き渡るにつれて市民の政治的権利は制限された」と言います。近代の情報テクノロジーが発展するまでは大規模な民主社会の例はどこにも見られなかったのです。
一方でハラリは「秦の様に本格的な全体主義を夢見る帝国もあったがその実現は近代的なテクノロジーの発展を待たねばならなかった」と分析しています。近代の情報テクノロジーの発展は大規模な民主制だけでなく大規模な全体主義も可能にしたのでした。19世紀に工業経済が台頭し始めると政府は以前より遥かに多くの行政官を雇い電信やラジオといった新しい情報テクノロジーによってそれらの行政官を素早く繋げて監督出来る様になり情報と権力の前代未聞の集中が促されたのです。
1917年の十月革命でロシアの支配権を奪ったボリシェビキは全体主義体制を目指しました。
ハラリは「民主制を目指さなかった背景にボリシェビキの『自分達には世の中を救う使命がある』という確信があった」と考えます。マルクスは「全ての人間社会は何千年にも渡って人民を虐げる腐敗したエリート達に支配されてきた」と説きます。ボリシェビキは「我々はあらゆる迫害を終わらせて完全に公正な社会を地上に誕生させる方法を知っている」と言い「それを実行する為には無数の敵を打ち負かし障害を克服する為の無制限の権力を手にする必要がある」と主張したのです。
彼等は「個々の党員が誤りを犯す事はあるかもしれないが党そのものは常に正しい」と確信していました。ハラリは「ボリシェビキは自らの不可謬性を信じていたので全体主義の一党独裁政権を打ち立てた」と言います。レーニンの後を引き継いだスターリンは1930年代から1940年代にかけて全体主義体制に磨きをかけて完成させました。
スターリンによる国民生活全般の統制の重要な例が農業集産化です。
1920年代半ばのソ連は相変わらず圧倒的に農業経済でした。全人口の約82%が農村で暮らし就業人口の80%以上が農業に従事していました。1917年十月革命時点の工業労働者は340万人で人口の2%程度でした。ロシア政治研究の第一人者である下斗米伸夫教授は「ロシア革命が労働者革命というのは神話に等しい」と言っています。
農民一人ひとりが自分の土地で何を作りいくらで売るのかを決めている状態は経済全体を中央から計画しようとするボリシェヴィキにとって大きな問題でした。なので1928年に始まる第一次五カ年計画では農業集団化が重要な政策として進められます。農民が個別に経営するのではなくコルホーズ等の集団農場に組み込み何をどれだけ作るかについても中央から管理しようとしました。
計画する側から見るとこれは非常に合理的でした。小さな農家を集約して大きな集団農場にすればトラクターの導入・専門家による農業指導・計画的な生産量調整等が可能になります。そして村の古い階層制や不平等を一掃して人類史上初の完全に公正で平等な社会が誕生するだろうと考えたのです。
ところが殆どの農民にとってこれはひどい話に思えました。彼等は政策を決定した官僚も新しいコルホーズの制度も信用していませんでした。なので昔ながらの暮らしも私有財産も手放したくなかったのです。家畜の引き渡しに抵抗して農民が自分で処分してしまうケースもありました。
農民は全員共有の畑を耕す時には家族で所有する畑を耕す時ほど熱心に取り組みませんでした。以前の投稿"ソ連時代の一般的なロシア人の暮らし"では「平日は殆ど仕事をしない会社員が週末は家庭菜園で一所懸命働く」とお話ししましたがそれと同じですね。この様な消極的抵抗が至る所で行われた結果、農業生産高は見込みを大幅に下回りました。
ここでポイントとなるのが党の不可謬性です。政策がうまくいかない・農業生産が落ちる・農民が抵抗する→だったら普通は「政策を見直そう」となります。ところが「党は間違えない」という前提があるので「政策が正しいのに結果が悪いのなら誰が悪いのか?」という方向に話が進んで行きました。モスクワの官僚は農業集産化が抵抗に遭って経済的惨事に至ると世界的な陰謀を捏造して全く存在していない敵のカテゴリーをまるごと一つ創作したのです。
ソ連の当局は1930年代にソ連経済が見舞われている惨事を反革命的な陰謀団のせいにしてその陰謀団の主な手先は資本主義者の農民(クラーク)だとします。クラークという言葉は元々ロシア帝国時代から使われていた言葉で一般的には"富農"と訳されます。
ソ連の役人達は財産や所得・資本・賃金のようなものについての経験的データを分析する事でクラークを定義しました。村人の殆どが牛を一頭しか持っていなければ三頭持っている数世帯はクラークと見做されました。村人の殆どが労働者を雇っていないのに収穫期に二人の労働者を雇う世帯はクラークでした。クラークは資本主義的な搾取を行うとされていたので彼等が強欲で利己的で信頼出来ず彼等の子供達も同様である事は(マルクス主義に照らせば)科学的事実でした。
ここでハラリは非常に興味深い比較をしています。それが欧州の魔女狩りです。魔女狩りでは「災害が起こった・農作物が不作になった・病気が広がった」という現実の問題に対して「魔女が悪い」という説明が与えられました。
ハラリはNEXUSの第4章で15世紀半ばの欧州における印刷機の導入によってフェイクニュースや陰謀論が急速に拡散された結果引き起こされた魔女狩りについて考察しています。
1485年ハインリヒ・クラーマーという修道士の宗教裁判官がアルプスのチロルで魔女狩りに乗り出したのですが地元の教会当局はクラーマーの告発に懐疑的で彼の宗教裁判をやめさせて彼をその地域から追い払いました。
しかしクラーマーは印刷機を利用して反撃に出ます。魔女の正体を暴いて殺す為のDIYガイドブックとして「魔女への鉄槌」という本を出したのです。
チロルの教会当局と同様に他の教会の聖職者達もクラーマーの突飛な考え方には懐疑的だったのですが「魔女への鉄槌」は近世欧州で屈指のベストセラーになりました。クラーマーの名声が高まると「魔女への鉄槌」は教会の専門家達にも受け入れられました。クラーマーは教皇の代理に任命され1500年にはボヘミアとモラヴィアの宗教裁判官に取り立てられます。近世欧州で魔女狩り人が活動したのは近代的な情報テクノロジーを持たない社会でした。彼等が魔女とされる人を5万人殺すのには3世紀かかりました。1929年12月スターリンは「クラークという階級の根絶を目指す」と宣言します。ソ連の役人達は電信・列車・電話・ラジオ等のテクノロジーを使う事が出来る全体主義社会のソ連では2年もあれば数百万のクラークを"根絶"出来るだろうと踏んでいました。彼等は手始めに既存のデータに基づきクラークは地方人口の3~5%を占めると推定し夫々の主要農業地域で根絶すべきクラークの目標数を設定しました。その後地方当局が管轄下の各郡に暮らすクラークの数を独自に推定し最終的には複数の村からなる"村ソビエト"に具体的なノルマが割り当てられました。多くの場合、地元の役人が熱意を証明する為に途中で数字を水増ししたそうです。
割り当てられたノルマを受けて村ソビエトの夫々が担当する村々で指定された数のクラークの世帯を見つけなければなりませんでした。クラークを見分ける方法は村によって様々でした。当局の指示に素直に従う村では地元の党員達が所有する財産の量といった客観的な尺度でクラークを見分けようとしました。この場合クラークとされるのは勤勉で効率的な農民である事が多かったそうです。一部の村では地元の党員達がこの機会を捉えて個人的な敵を排除しました。誰をクラークとするか籤を引いて決める村や集会を開いて投票を行う村もありました。そのような投票では孤立した農民や寡婦・高齢者等が選ばれる事が多かったそうです。
ハラリは「それらの人々は魔女狩りで魔女とされる可能性の高かった人々と同じだ」と言います。
合計で約5百万人がクラークとされて1933年までに家を追われ約3万人の世帯主が射殺されました。犠牲者のうちでも幸運な人は地元の別の場所に移されるか大都市で住所の定まらない労働者になるかしました。約2百万人が居住に適さない様な辺境に追放されたり強制労働収容所に送られたりしました。
クラークという身分は次の世代にも継承されました。クラークの子供は共産党青年団や赤軍や大学に入る道も名誉ある領域で職を得る道も閉ざされました。ハラリはクラークとされた女性が1997年に回想録で語った内容について触れています。
彼女の一家はクラークとされて先祖代々住んでいた村から追い出されペストヴォという町に送られたそうです。彼女は転入した学校で酷いいじめに遭ったのですが加害者には教師も含まれていました。ベテランの教師が11歳の彼女をみんなの前に立たせて「お前の様な奴等は人民の敵だ、この卑劣なクラークどもめ!お前達は追放されて当然だ。皆殺しになるといい!」と罵ったそうです。
ハラリは「ソ連の官僚達がクラークについて集めた情報は客観的な事実ではなかったがソ連の新しい共同主観的な現実を創造した」と言います。共同主観的な現実とは客観的な事実でも個人の主観でもなく多くの人々が共有する信念やそれを支える社会的なネットワークによって成立する現実です。ハラリは著書「サピエンス全史」で共同主観的現実をホモ・サピエンスが地球の支配者となった決定的な要因として描いており共同主観的現実の例として通貨・国家・法律・宗教・イデオロギー等を挙げています。
さて今回は前回の動画で取り上げたソ連の「停滞の時代」の前の段階についてユヴァル・ノア・ハラリの「NEXUS 情報の人類史」を手掛かりに考えてみました。ハラリは「全体主義政権が残虐な空想と恥知らずの嘘に基づいているのは歴史的に見れば例外ではないしそのせいで崩壊する事を運命づけられていた訳でもない」と言います。彼は更に「21世紀にはどこかの新しい全体主義政権が全能のネットワークを作り出して将来の世代に政権の嘘や虚構を暴こうという気さえ起こさせない様にする事も考えられるので妄想的なネットワークは失敗すると決めてかかるべきではない」と言います。
ハラリはプロローグを「全体主義の勝利を防ぎたければ私達は自ら懸命に取り組まなければならない」と締め括っています。考えさせられる言葉ですね。それではまた。
本稿の関連動画を以下にアップしています。良ければご参照下さい。





















