モディ首相のインド - グローバルサウスの盟主 - ポーラーシフト カメレオン外交

15/03/2024

インド

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今回は、グローバルサウスのリーダーとして注目を集めているインドと、2014年から10年に亘ってそのインドの首相の座にあるモディ首相についてお話ししたいと思います。

本稿の関連動画を以下にアップしています。良ければご参照下さい。

https://youtu.be/K_2W9LS4HbA

インドでは2024年4~5月に総選挙が行われますが現与党であるインド人民党(BJP)が議席の過半数を獲得するとの見方が大勢です。その場合モディ首相が3期目に入り2029年まで首相を務める事となります。

現在(2024年3月)世界はトランプ前大統領の再選の可能性を意味する"もしトラ"で大騒ぎですがモディ首相の続投は国際社会から歓迎される雰囲気です。

以前の投稿"米大統領選2024"は当初「これからの世界をリードするインド人達」と題して米国の大統領選に関係するインド系の人々に加えて、モディ首相や英国のスナク首相・グーグルのピチャイCEO・マイクロソフトのナデラCEOなどについても触れようと考えていたのですが、米大統領選の3人について話しただけで結構長くなってしまったので他の人々については機会を改める事にしました。その反省を踏まえて今回はモディ首相についてだけお話しする事として他のインド系の人々についてはまた別の機会とします。

2023年9月9日から10日にかけてニューデリーで第18回G20サミットが開催されました。インドは議長国としてサミットを主催し2日間に亘る会議には20カ国・地域の首脳が出席しました。サミットでは中国とロシアが同調せず首脳宣言なしの"成果ゼロ"で終わる懸念もありましたが、議長国インドの手腕によって共同宣言が採択されインドにとって大きな外交的勝利となりグローバルサウスの盟主として面目を施しました。

最近"グローバルサウス"という言葉を良く聞きますが、実は"グローバルサウス"には明確な定義はありません。新興国・発展途上国・第三世界などと同様の意味で用いられる事が多いですね。

1964年に77の発展途上国で発足した国連の"G77"に中国を加えた"G77+中国"を指す場合もあったのですが最近は中国は除かれています。G77が発足した1964年時点の中国は立派な(?)発展途上国だったのですが安保理常任理事国のプライドからか中国がG77へ入る事を拒みました。

新興国や発展途上国の多くが南半球に位置する事に由来してグローバルサウスと呼ばれているのですが盟主を自任するインドは北半球です。

これまでの世界観の基となってきたのは16世紀後半に地理学者メルカトルが考案した海図でした。大航海時代を支えたその海図は北の空に動かずにいる北極星を航海術で方角の目印としていた為に北を上と定めていました。欧州と米国東部を両脇に抱える大西洋を真ん中にアジアやアフリカが辺境に広がっています。しかも高緯度ほど面積が大きくなる図法は陸地の多い北半球を殊更巨大に描きました。この地図が欧米こそ世界の中心という錯覚を450年に亘って植え付けて来たのです。

この世界観を覆す事から昨今のグローバルサウスの台頭を"ポーラーシフト(Polar Shift)"と呼ぶ事があります。本来は惑星の自転軸または磁極が移動する事を言いそこから転じて「従来の常識が覆る時代」という意味でも使われるので、グローバルノースからグローバルサウスにパワーが移動するのを表すのにぴったりですね。

インドは2023年に中国を追い越して世界一の人口を持つ国になりました。しかも平均年齢28歳と極めて若い国なのです。

15~64歳の生産年齢人口がそれ以外の従属人口の2倍以上に達する状態を人口ボーナスと言いますが、インドでは2050年まで人口ボーナス期が続くと見込まれています。人口ボーナス期は豊富な労働力を背景に個人消費が活発になる一方で高齢者が少なく社会保障費が抑えられる為、経済成長にプラスに働きます。

ちなみに日本が人口ボーナス期だったのは1950年代から1990年代半ばまでです。

中国の人口ボーナス期は1977年から2009年頃までと見られており2022年からは早くも総人口の減少が始まっています。一人っ子政策の誤算ですね。

1970年代当時、人口過剰を懸念していたのは中国だけではありませんでした。1960年代から70年代にかけて世界人口が急増した事で人類は食糧生産の伸びを上回るペースで増殖するのではないかとの懸念が高まっていたのです。毛沢東が推進した"大躍進政策"によって引き起こされた大飢饉の記憶が新しかった中国は人口抑制の為に"一人っ子政策"を実施します。ところが世界最大の民主国家であるインドは中国の様に強制的な人口抑制策を取る事が出来なかったのでそれが却って良い結果に繋がりました。

インドは2022年にはGDPで旧宗主国である英国を抜いて5位になりました。現在はその旧宗主国の首相もインド人です。2027年にはドイツと日本を抜いて3位になると言われています。

以前の投稿"ロシアとインド"では"トゥキディデスの罠"について触れました。"トゥキディデスの罠"とは古代ギリシャの覇権国スパルタと新興国アテネが大戦争に陥った史実を基に、「覇権国と台頭する新興国は戦争に陥るリスクがある」という事を指す造語です。現代の国際政治では覇権国アメリカと台頭する中国を念頭に語られます。

スパルタとアテネは大戦争の結果、共に国力が衰えてマケドニアの台頭を許す事になったので、今から何十年か後には米国と中国を追い越してインドが世界のリーダーになっているかもしれないとお話ししました。

さてここからは現在に至るインドの歩みについて振り返ってみたいと思います。インドが第2次大戦後の1947年に英国から独立した時、初代ネルー首相が目指したのは社会主義経済でした。ソ連の様な極端な中央からの指令体制よりも緩やかな形でしたが中央からの計画経済を志向し、労働市場や金融市場の公有化と巨大な公的部門、保護貿易などが特徴でした。

それは娘のインディラ・ガンジー首相に継承されるのですが暗殺されたインディラ・ガンジーの後を継いだ息子ラジブ・ガンジーは経済自由化に舵を切ります。

1991年に首相に就任したナラシマ・ラオと財務大臣のマンモハン・シンは本格的に経済改革を開始し現在に至る経済発展の端緒を開きました。

左からマンモハン・シン、ナラシマ・ラオ、ソニア・ガンジー

以前の投稿"シーク教指導者殺害事件"でお話しした様にマンモハン・シンは2004年に初のヒンズー教徒以外の首相となりました。マンモハン・シンは2004~2014年の10年間2期に亘って首相を務め経済改革を推進した事から"インドの鄧小平"と言われています。

2014年の総選挙でこのマンモハン・シンが所属するインド国民会議派を破って政権の座についたのがナランドラ・モディ率いるインド人民党です。

ここからはモディ首相についてお話しします。

モディは1950年に貧しい紅茶売りの子としてインド西部のグジャラート州で生まれました。最下層の"不可触民(untouchable)"ではありませんがそれに次ぐ下位カーストの出身です。

モディは若くしてヒンズー至上主義組織である民族義勇団(RSS)に入ります。

以前の投稿"ロシアとインド"では「ヒンズー・イスラム両教徒の融和を説いた事で、マハトマ・ガンジーは1948年に狂信的なヒンズー・ナショナリストに暗殺された」とお話ししましたが、ガンジーを暗殺したナトラム・ゴドセが所属していたのが民族義勇団です。この民族義勇団が基となって出来た政党がインド人民党です。なので"ヒンズー至上主義政党"と言われる事もあります。

1987年モディはインド人民党から立候補してグジャラート州議会議員となります。

その後2001年にグジャラート州首相に就任して3度再選され2014年まで州首相を務めました。

モディはグジャラート州首相として電力や道路などのインフラ整備を進めたほか国内外の企業の誘致に取り組み高い経済成長を州にもたらしました。

日系企業の誘致にも積極的に取り組みグジャラート州首相時代から度々訪日して当時の安倍首相やスズキ自動車の鈴木修会長とも親交を深めました。

私がインドに駐在していた1999~2001年当時はグジャラート州に進出している日系企業は皆無だったのですが、現在では300社を超える日系企業が進出し州都アーメダバードには日本人会も出来ています。このグジャラート州首相時代の経済手腕と実績が2014年の政権獲得に繋がって行きます。

一方で2002年に発生したヒンズー教徒の巡礼者が乗った列車の火災が発端の"グジャラート州暴動"においては、モディが暴動を阻止する為に適切な行動をしなかったと疑われ米国は制裁としてモディへのビザ発給を停止します。ヒンズー教徒によるイスラム教徒襲撃を容認したと疑われたのです。

ところが米国はモディ政権誕生に伴いビザ停止を解除し2014年にはケリー国務長官が2015年にはオバマ大統領が訪印して米印関係の改善を演出しています。

マハトマ・ガンジーはインド独立時にヒンズー教徒とイスラム教徒の融和に努め、それが基で暗殺されました。このガンジーの思想を引き継いだ初代首相ネルーは多数の宗教を共存させる姿勢を取って政教分離を国是として掲げました。ところが現在モディ率いるインド人民党政権の下では「ヒンズー化」が徐々に進められています。インド人民党の基盤は民族義勇団ですからこれは当然の流れと言えます。インドの人口の8割がヒンズー教徒なので「ヒンズー化」は選挙対策でもあるのです。

輸入関税の引き下げや外資規制の撤廃が難しいのも選挙対策を考えなければならないからです。モディは国内の選挙対策を考えながら一方で海外での評判を落とさぬように気を配りつつ、外資を導入して経済を発展させるという難しい舵取りをしなければならないのですが今までのところ上手く乗り切っている様に見えます。2014年の首相就任時から製造業振興のスローガン「メイク・イン・インディア」を掲げ、GDPに占める製造業の割合を15%から25%に引き上げる事を目標にしています。

米中貿易摩擦の激化を受けた生産拠点分散の動きが有利に働いた事もあり各国企業がインドでの事業を拡大しています。アップルは2025年までにiPhone生産の25%をインドに移管する方向で生産事業者に働きかけを行っており、それを受けて台湾系電子機器受託製造(EMS)大手のフォックスコン(富士康科技集団)・ペガトロン(和碩聯合科技)・ウィストロン(緯創資通)の3社は夫々インド南部でiPhone生産に乗り出しています。


韓国のサムスンや中国のシャオミ(小米)などもインドでスマートフォンの組み立て工場を建設しています。その他にも米国の半導体メモリー大手マイクロン・テクノロジーやイーロン・マスク率いるテスラなどもインドへの工場進出を検討しています。

外交におけるモディの振る舞いは更に巧妙です。ロシアのウクライナ侵攻や米中対立の激化の中で米国など西側諸国とも中国・ロシアなどともしたたかに付き合っていく外交姿勢は"カメレオン外交"と言われたりします。カメレオンの様に西側諸国にも中国・ロシア側にも時と場合によって顔を変える事で譲歩を引き出す事に成功しています。岸田首相は2023年5月に広島で開催されたG7サミットにモディを招待しました。

またモディは続く6月には米議会の上下両院合同会議で演説しています。

一方で2022年9月にウズベキスタンのサマルカンドで開催された上海協力機構首脳会議の機会にプーチンと個別に会談した際には、ウクライナ侵攻後もロシアから原油を安価で輸入し続けているにも関わらず、ウクライナ情勢を巡り「今は戦争の時代ではないと思う」などと率直な懸念を伝えました。武器と原油の重要供給国の首脳に対してこうした言動が出来るのもモディらしさです。

経済・外交で剛腕ぶりを発揮しているモディの唯一の懸念はインド人民党の基盤がヒンズー至上主義組織の民族義勇団(RSS)である事です。インドにおけるイスラム教徒の人権問題はアムネスティ・インターナショナルや米国務省に指摘されています。

モディは自身がヒンズー至上主義者であるとの懸念を払拭する為に色々なアピールをしているのですが、一方で選挙対策としてはイスラム教徒に譲歩していると見られる事は避けなければなりません。このヒンズー教徒とイスラム教徒の争いの一つに「アヨーディヤ問題」があります。

インド北部アヨーディヤはヒンズー教のラーマ神の生誕地とされる一方ムガル帝国がイスラム教のモスクを建てた場所でもあります。1992年にヒンズー教徒がモスクを破壊した事を契機に宗教対立が激化し宗教暴動で2000人以上の死者が出ました。

インド最高裁判所は2019年に土地はヒンズー教徒側に属すると判断しイスラム教徒側に代わりの土地を与えるよう命じる判決を言い渡しました。

2024年1月に行われたアヨーディヤのヒンズー寺院再建式典に出席したモディは「全ての神々の祝福のおかげでこの大仕事が完了した事を幸せに感じている」「我々の未来はより輝きのあるものになる」と呼びかけました。

式典には政財界人や俳優ら約8000人が招待され主要テレビ局が生中継し中央省庁や政府関係機関を半休にするなど「国家的宗教イベント」の様相を呈しました。これらのパフォーマンスは全て2024年5月に実施される総選挙に向けた選挙活動の一環と見られます。

以前の投稿"シーク教指導者殺害事件"でお話しした通り米国はカナダのシーク教徒の殺害についてインド政府の関与を指摘しましたが過度の追及はせず外交問題化を避けました。

中国と米国が対立するようになったのはつい最近の事です。ロシアも2014年まではG8のメンバーでした。インドが今後もカメレオン外交を続けながら西側諸国と上手くやって行くのは結構厳しい綱渡りだと思います。何かの拍子に中国・ロシアと同じ側に押しやられる可能性もあります。但しその場合は西側諸国が世界のマイノリティという事になるのかもしれません。インドがこれからも微妙なバランスで中立の立場を維持してくれる事を祈るばかりです。

さて今回のインドとモディ首相のお話はここまでです。楽しんで頂けたでしょうか。英国のスナク首相・グーグルのピチャイCEO・マイクロソフトのナデラCEOなど世界で活躍するその他のインド系の人々については、また機会を改めてお話ししたいと思います。それではまた。

本稿の関連動画を以下にアップしています。良ければご参照下さい。

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ドイツ、インド、シンガポール、フィリピン、ロシアに、計17年駐在していました。今は引退生活を楽しんでいます。

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