今回は海外駐在員のハードシップ手当についてお話ししたいと思います。
本稿の関連動画を以下にアップしています。良ければご参照下さい。
ハードシップ手当とは海外赴任者の生活の困難度や危険性・不便さ等の肉体的・精神的負担を考慮して支給される手当です。生活水準や様式・社会環境・気候風土の違い等による負担を軽減し駐在員の納得性を高める事を目的としています。
ハードシップ手当は危険地帯や発展途上国への赴任の抵抗感を軽減させるものと言えます。私の知っている家電メーカーの人はベトナム戦争の真っ最中に南ベトナム駐在を打診されたそうです。米軍のPXでそのメーカーの家電製品が売れていたので駐在員を派遣していたのです。
以前の投稿"ホンダの海外展開"では米本国で大流行していたスーパーカブを知る米軍兵士がベトナムでのユーザーとなったのでホンダは1967年から69年までの3年間で約75万台のスーパーカブを南ベトナムに輸出したとお話ししました。
家電メーカーもそれに近い状況だったのでしょうね。私の知人は赴任を打診して来た上司に「でも南ベトナムは戦争中だから危険なんじゃないですか?」と訊いたのですが、上司は「飛んでくる弾をかいくぐってビジネスをしてこそ駐在員だ」と言ったそうです。その人はキッパリ断ったと言ってましたが、きっと誰か別の気が弱くて断り切れない人が行ったんでしょうね。
私が赴任したドイツ・インド・シンガポール・フィリピン・ロシアの5ヵ国の中でハードシップ手当の支給対象となっていたのはインド・フィリピン・ロシアでした。「先進国はハードシップ手当の対象外」としている企業が多い様です。先進国は日本より物価が高くて大変だったりする事もありますが、物価の違いは指数を使って現地で受け取る給与を調整して購買力を補償する形を採る事でハードシップ手当とは別に対応するのが一般的です。
私がハードシップ手当を支給されていた3ヵ国では手当が多いのはインド>ロシア>フィリピンの順でした。以前の投稿"インド駐在はつらいよ"でもお話しした通り私が駐在した1999~2001年当時のインドの生活環境は相当厳しいもので正に"ハードシップ=苦難"でした。
ちなみに私の勤務していた会社を含む多くの日系企業はインド全土で同じハードシップ手当を適用していましたが、総合商社ではニューデリー・ムンバイとカルカッタ・チェンナイで違う手当を適用していました。カルカッタ・チェンナイはニューデリー・ムンバイよりワンランク高くなっていたのです。確かにカルカッタ・チェンナイの生活環境はニューデリー・ムンバイより更に悪いには違いないので「総合商社は流石だな」と思ったものです。
以前の投稿"日本企業の海外工場進出"でカザフスタンの片田舎に赴任が決まった丸紅の若い駐在員が赴任前に日本で恋人に結婚を申し込んでOKを貰ったという話をしました。その人が赴任するのはカザフスタンの最大都市アルマトイから2700km西方に位置する人口22万人の町アティラウでした。丸紅はアティラウの製油所近代化プロジェクトを受注していたのです。2700kmと言うと稚内⇔宮古島間位の距離ですね。アティラウには彼等夫婦以外に日本人はいないでしょう。
私は結婚したら地の果てで暮らす事になるのが分かっていて承諾したお相手の女性を思って感動してしまったのですが、その場にいたその人の上司はあっさりと「普通の日本人はカザフスタンならどこでも同じと思ってしまうのですよ」と言ったのです。確かに多くの日本企業が進出していて日本人コミュニティもある都会のアルマトイと、他の日本人がいない地方都市のアティラウの生活環境の違いは普通の日本人には分からないですね。インドのハードシップ手当もこれと同じで現地の事情が良く分かっている総合商社だけがインド国内の都市別に差をつける事が出来たのだろうと思います。
私の勤務していた会社ではベトナムのハノイとホーチミンに駐在員を派遣していたのですが、この二つの都市の格差は良く知られていたのでベトナムだけは同じ国内でも都市別に差をつけていました。ハノイの方がホーチミンより高く設定されていました。ハノイが首都なのですがホーチミンの方が都市としては発達していて生活環境が上だったのです。ホーチミンは元々南ベトナムの首都のサイゴンだったからですね。ハノイの駐在員は月一のペースで週末にホーチミンに行って買い出しをしたり食事をしたりして一息ついていたのですが、その航空運賃とホテル代が丁度ハノイ・ホーチミンのハードシップ手当の差額と同じ位だとぼやいていました。この話を聞いたのは20~30年前なので今ではハノイとホーチミンにはそこまで差が無くなっているかもしれませんが。
フィリピンで出会った或る日系メーカーの2人の駐在員の話はちょっとした驚きでした。80年代から90年代にかけて一方の駐在員はサウジアラビアに他方の駐在員はドバイに駐在していたのですがその会社では中東地域のハードシップ手当は一律だったのだそうです。イスラムの戒律が厳しく完全禁酒国のサウジアラビアと快適なリゾートとして多くの国から観光客が訪れるドバイの生活環境が同じ訳がありません。
私がニューデリーに駐在していた1999~2001年当時中東に駐在経験があって土地勘のあるインド駐在員はドバイに日本食料品の買い出しに行っていました。ドバイは日本食料品店や日本食レストランが充実しておりニューデリーやムンバイからはバンコクやシンガポールよりもずっと近いのです。
前述の日系メーカーは中東=生活環境が厳しいという判断で一律のハードシップ手当を適用していたものと思います。もしかしたらその企業がハードシップ手当を決めたのが相当前でその時はドバイの生活環境も厳しかったのかもしれません。
発展途上国では刻々と状況が変化するので数年前迄はライフラインが整っていない悪環境だったのに瞬く間に発展して大都市になって行く事もあります。こうした場合に最初に決定したハードシップ手当をそのまま支給し続けると実態と見合わない手当が支給される事になってしまうのでハードシップ手当は定期的な見直しが必要になります。ところが見直して手当を切り下げる瞬間に駐在している駐在員にしてみれば同じ国に海外赴任を続けているのに突然給与を減らされる事になるのでモチベーションを低下させてしまいかねません。恐らくそれが理由でハードシップ手当の見直しは遅れる事が多いのだと思います。
私の勤務していた会社ではバンコク駐在員にハードシップ手当を支給していたのですが2000年代半ばに廃止しました。私は1999~2001年にニューデリーに駐在していた時は時々バンコクの伊勢丹に冷凍の肉や魚などの食材を買い出しに行っていました。
バンコクには質の高い日本食レストランも多くありました。
恐らく80年代に決められたハードシップ手当が2000年代半ばまで残っていたのですね。
実は私が2008~2014年まで駐在したモスクワでも似た様な状況がありました。90年代のロシアはカオスの状態だったのですが2000年にプーチンが大統領に就いてから状況は少しずつ改善しました。私の前任者が初代モスクワ駐在員だったので彼が着任した2005年に会社はハードシップ手当を決めたのですが生活環境はそれからも徐々に改善しました。私が着任した2008年から離任した2014年までの6年間でも状態は相当良くなったのです。治安の悪さは一定程度残っていたのでハードシップ手当を全廃する程ではありませんが或る程度減額するのが妥当だったかもしれません。
フィリピンは私がハードシップ手当を支給されていた3ヵ国の中では最も生活環境が良い国でした。フィリピンで生活する上での一番の問題点は治安です。フィリピンの誘拐犯のメインターゲットは華僑なので日本人が狙われる事は少ないのですがそれでも時々日本人の誘拐事件が発生していました。タクシーはセキュリティ上の問題があるので原則運転手付のカンパニーカーを使う様にしていました。出張者がマニラ空港に到着した際には空港からホテルまでタクシーを使うと危ないのでホテルの送迎用リムジンを手配していました。フィリピンがインドやロシアと違っていたのは状況に変化が無い事でした。私は2002~2006年にフィリピンに駐在していたのですが2010年代後半に出張した時も状況は同じでした。
さて私が駐在した国の中で一番ハードシップ手当が高かったのはインドだったのですが世界の中にはもっと生活環境が悪い国が多くあります。週刊ダイヤモンドの記事によると三菱商事で最もハードシップ手当が高いのはナイジェリアのラゴスだそうです。家族帯同の若手の場合で上海・北京では3.1万円のハードシップ手当がラゴスだと45.9万円だと言う事です。
私は1999~2001年にインドに駐在していた時に親しくしていた総合商社の方からラゴスについて聞いた事があります。その人は80年代前半にラゴスに3年間駐在していたそうです。ラゴスには4~5人の日本人が駐在していたので人事ローテーションの関係で同時期にラゴスで勤務した日本人の同僚の総数は10数人だったそうですが、私がインドで話を聞いた時点で存命だったのはその人ともう一人の二人だけと言う事でした。亡くなった人の一人はラゴスから帰任して何年も経ってから海外出張で移動中に空港で心筋梗塞で倒れて急死したそうです。その知人曰くマラリアの予防の為に飲むキニーネの副作用だろうという事でした。
みんなマラリアの予防の為に毎日キニーネを飲んでいたのだそうですが生き残った二人だけは敢えてキニーネを飲まずに蚊に刺されない様に注意して暮らしたそうです。また現在はどうか分かりませんがその人が駐在していた80年代前半には路上に時々人の死体が放置してあったりしたそうです。ここ10年位ラストフロンティアとしてアフリカが注目されて日系企業の進出も増えてきていますが大変そうですね。
その人はラゴスとニューデリー以外にアルジェリアのアルジェとパキスタンのカラチにも駐在していました。これは総合商社で良くあるケースです。海外に駐在する社員が多い事が理由と思いますが恐らく専門性を高める為に赴任先を一定の地域に集中させるのです。インドで会った総合商社の人々の過去の駐在地を聞くと南西アジア・中東・北アフリカが一つのエリアとなっているようでした。
言語をキーとしてエリアが決まるケースもあるようです。ロシアで会った総合商社の人々の大半はロシア語学科の出身で過去の駐在地は旧ソ連・東欧諸国でした。
フランス語が出来る総合商社の人はフレンチ・スピーキング・アフリカと呼ばれるアフリカの旧フランス植民地に赴任する事が多いみたいですね。
さて今回のハードシップ手当のお話はここまでです。楽しんで頂けたでしょうか。これからも機会を見て発展途上国の駐在員の暮らしについての投稿をアップしたいと思いますので宜しくお願いします。それではまた。
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