ロシアのプーチン大統領はソ連崩壊を「20世紀最大の地政学的悲劇」と言います。1991年12月25日ソビエト連邦の国旗がクレムリンから降ろされソ連という巨大国家は69年の歴史に幕を閉じました。今回はソ連内部の視点から崩壊の原因を考察したアレクセイ・ユルチャクの著書「最後のソ連世代」についてお話ししたいと思います。
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この本の英語版のタイトル"Everything Was Forever, Until It Was No More"を翻訳者は「ずっと続くと思ってた、すべてが終わるその日まで」と訳しました。ユルチャクは次の様に言います。ソ連システムの事は大半のソ連人がずっと続くと思っており急速な崩壊は予想外だった。にもかかわらず崩壊が始まると多くの人が新たな感覚に襲われた。「これは驚きでも何でもない、不可避であって心の準備はずっと前に出来ていた」
以前の投稿"ソ連崩壊の瞬間、モスクワの街にはビートルズが流れていた"でお話しした通りロシアのエリツィン大統領・ウクライナのクラフチュク大統領・ベラルーシのシュシケビッチ議長によってソ連に代わる独立国家共同体(CIS)を創設する「ベロヴェーシ合意」が調印された1991年12月8日私は偶々出張でモスクワに居ました。
私はチェックインしたホテルのTVのCNNニュースでベロヴェーシ合意によってソ連解体が決定的になった事を知り慌ててホテルの部屋の窓から外の様子を見ました。その年の8月にあった保守派のクーデター未遂事件を思い出して通りに戦車がいるのではないかと目を凝らしたのですが街は落ち着いていました。翌日訪問先で面談したロシア人との会話の中で私が"Soviet Union"(ソビエト連邦)と言ったら相手がニヤリと笑って即座に"Former Soviet Union"(旧ソビエト連邦)と訂正してきたのが印象的でした。
1960年生まれのユルチャクは1990年に渡米した時に西側で語られるソ連のイメージが自身のソ連体験とかけ離れていた事に驚いたそうです。ユルチャクは「西側のメディアや学界にある<国家の抑圧/市民の抵抗>といった単純な図式は身を以って知るソ連の日常と似ても似つかない」と言います。
著書「最後のソ連世代」でユルチャクは1964~1982年のブレジネフ時代に暮らす人々の日常感覚を再現しています。一般にこの時代は「停滞の時代」と呼ばれます。経済成長は鈍化し政治的には大きな改革も起きませんでした。しかしここでユルチャクが提示するソ連社会の姿は単純な"停滞"ではありません。人々の生活の中には独特の安定感と豊かな文化が存在していました。若者達は西側のロック音楽を聴きジーンズを欲しがり外国映画や文学にも強い関心を持っていました。しかしだからといって彼等が必ずしも共産主義そのものを否定していた訳ではありません。ここがこの本の重要なポイントです。「政府が言っている事は全部嘘で国民はみんなそれを信じていなかった」という単純な構図では説明出来ないのです。社会主義の理念そのものに価値を感じていた人もいましたし公式の言葉をそのまま信じてはいないけれどそれを社会生活の一部として受け入れていた人もいました。つまり「信じている/信じていない」の二択ではなかったのです。
ユルチャクが特に注目するのがソ連社会で繰り返された公式の言葉です。党大会の演説・新聞・TV・学校・職場等で共産党の公式見解が繰り返し語られました。しかもその表現には定型的な言い回しが数多く存在しました。ユルチャクはイデオロギー言説の外に居てマルクス=レーニン主義の真理規範を知る唯一絶対の存在はスターリンとされていたと言います。ユルチャクは例として新憲法の制定準備を挙げています。新憲法の制定準備が進む1930年代半ばのソ連の新聞には読者が提案する様々な憲法の条文が掲載され後日スターリンのコメントが出ました。スターリンのコメントの判断基準はスターリンしか知る事の出来ないマルクス=レーニン主義の規範にどれだけ合致しているかでした。
ところがスターリンは(ここが判り難いところですが)死去する3年前の1950年に自分でも意識しないままに言語学等の学問分野を批判して政治言語の外に位置していた自身の立場を消してしまったと言うのです。
その結果イデオロギーのメタ言説が消えてしまい公開の場では従来の権威的発話を繰り返すだけとなります。メタ言説とは言葉による主張や議論を一段高い視点から客観的に捉え分析・説明・批評する言葉や文章の事です。"規範"に合致するかどうかを最終判断する外部の専門家はもはや存在しないので新たなテキストはイデオロギー言語で書かれていても"規範"違反と見做される恐れがあります。なので"規範"の枠内にあり続ける唯一確実な方法として上層部のかつての発言や文章をそっくり正確になぞったのです。話す時も書く時もイデオロギー言語の"規範"を出来るだけ正確に踏襲しようとしたので何とも具体性を欠いたよく分からない代物になりました。
ユルチャクはこの変化を表すロシア小噺(アネクドート)として以下を挙げています。
ブレジネフ書記長が現代美術の展覧会を見に行った。美術館の出口で中央委員の面々がブレジネフを取り囲み展示物の感想を聞こうとした。しばらくの沈黙の後、ブレジネフはこう言った。「うん、とても面白かった」「でも、ともかく上の方がどう思っているか聞いてみようじゃないか」
ブレジネフの"上の方"なんて勿論誰もいません。イデオロギー言説の作者の位置を占める事はブレジネフを含めてもはや誰も出来なかったのです。重要なのは公式の言葉を繰り返す事自体が必ずしも国家への忠誠を意味していなかった事です。人々は公式の言葉を使いながらその言葉を自分達なりに解釈し時にはそこから全く別の意味を作り出していました。つまり同じ言葉を話していても国家と個人が同じ意味で理解していたとは限らなかったのです。
ユルチャクが例として挙げている権威的言語を引用したアネクドートが幾つかあります。
"資本主義が腐りだしている"のは本当か。
本当だ。でもだからかぐわしい。
"資本主義が崖っぷちにある"とはどういう意味か。
崖っぷちに立って上から目を凝らして我々が谷底でしている事を見ているという意味だ。
資本主義と社会主義の違いは何か。
"資本主義は人間が人間を搾取する"社会主義はその逆だ。
ユルチャクは単純な"体制側"と"反体制側"という二項対立では捉えきれない人々をスヴァイー(仲間)と呼び"普通の人"と同義だと言います。スヴァイーは圧倒的な多数派で"体制側"と"反体制側"は少数派です。ユルチャクは"体制側"を"活動家""反体制側"を"異論派"と呼び「この二つは権威的言説に対する態度が正反対の様だが実は共通点が多い」と言います。"活動家"と"異論派"はどちらも権威的言説を文字通りに受け取ると言うのです。"活動家"は忠実な現実描写として"異論派"は嘘八百の現実描写としてです。
異論派についてユルチャクが挙げているアネクドートがあります。
多数の人々が顎まで浸かって糞尿の池に立っている。
突然そこに異論派が落ちアップアップしながら憤慨する。「どうしてあなたがたはこんな事に耐えられるんです」「どうしてこんな状況で生きていられるんです」
これに対して静かに答えが返って来る。「波を作るのは止めてくれ」
圧倒的多数派の普通の人々はソ連社会の中にいましたが公式の価値観をそのまま受け入れていた訳ではありませんでした。しかし国家に正面から反抗する訳でもありません。制度の中にいながらその制度とは別の価値観や人間関係を作っていたのです。ユルチャクはそれを「ソ連システムを超越する」と表現しています。この「制度の内側にいながら別の世界を作る」という現象がソ連社会を理解する重要な鍵になります。
その代表的なものが若者文化でした。当時のソ連の若者文化の象徴だったのが西側のロック音楽です。ソ連では西側の音楽が自由に流通していた訳ではありません。それでも若者たちは密輸したレコードを使用済みのレントゲン写真から作ったロッ骨レコードや録音テープ等でダビングして音楽を共有しました。
ユルチャクは「最後のソ連世代は自分達の文化の文脈に従ってこうした音楽の意味を積極的に読み替えた」と言います。「こうした音楽がソ連で獲得した新たな意味は独特でソ連の新聞雑誌で批判される時の解釈とも"西側で"持っている意味合いとも大きく異なる事があった」と言い「ソ連の若者の大部分にとってこうした音楽は極めて個人的なものでありながら同時に"全体的な我々の"音楽となっており世代全体の美意識や自意識に影響を与えている」と結論付けます。ユルチャクは"最後のソ連世代"を「ソ連時代に自己形成を終えていたがペレストロイカや1990年代初頭の改革にすぐ適応して"ポスト・ソ連人"になった人達」と定義付けています。
更にユルチャクが取り上げる興味深い現象が"スチョーブ"と呼ばれる独特の表現文化です。ユルチャクは圧倒的多数派の普通の人々がソ連システムを超越していると言いましたがスチョーブとは"超越した皮肉"を意味します。これは単純な風刺や皮肉とは少し違います。公式の言葉や価値観をあえて過剰なほど真面目に演じる事でその意味をずらしてしまうのです。公式の言葉を完全に否定するのではなくむしろ徹底的に利用して別の意味を生み出します。
ユルチャクは自身が1987~1990年までマネジャーをしていたロシアのロックバンド"アヴィア"のライブステージをスチョーブの例に挙げています。アヴィアはソ連の様々な時代の扇動宣伝を過剰同調の対象としていたと言います。具体的には20人弱の男女が労働者の作業着や共産主義青年団の制服を身に纏い隊列を組んで舞台を行進し「ウラー」と叫びながら組体操のピラミッドを作ります。
作品と作品の間にマイクを持つ俳優は党書記さながらのビシッとした姿と声で権威的言説そっくりのスローガンや演説を叫びます。ユルチャクは「こうした諸々が共産主義の情熱的な信奉と嘲笑とを同時に感じさせる」と言い「このバンドはソ連的な歴史の見方の擁護派ともその批判派とも距離を取っていた」と言います。ユルチャクはスチョーブの特徴を「政治空間の二項対立のどちらかを選ぶのではなく二項対立の記述に陥らない状態にいる事」と言います。
ここで疑問が生じます。ソ連システムを超越している普通の人々が圧倒的多数派を占めてある種の安定が存在した社会がなぜ1991年に突然崩壊したのでしょうか。もちろんペレストロイカは決定的に重要です。しかしユルチャクの見方では「ペレストロイカは既に存在していた矛盾を表面化させたに過ぎない」と考えます。それまで人々は公式の制度や言葉を利用しながら自分たちなりの生活空間を作っていました。ところがゴルバチョフが改革を進め公式の言葉や制度そのものが大きく変化し始めるとそれまで安定していた"暗黙の了解"が崩れていきます。今まで当たり前だったものが急速に当たり前ではなくなっていったのです。そしてここでこの本の英文タイトルに繋がる非常に重要な逆説が出てきます。崩壊の瞬間まで多くの人にとってソ連は「永遠に続く」と感じられていました。ところが崩壊してしまうと多くの人にとって「崩壊するのは当然だった」と感じられたのです。ソ連崩壊は"誰も予想していなかった突然の出来事"であると同時に"振り返ればずっと崩壊の可能性を内包していた出来事"でもあったのです。
この本から生まれた考え方として後に広く知られる様になったのが"ハイパーノーマライゼーション"という言葉です。
現実と公式に語られる世界との間に大きなズレが生じている。多くの人がそのズレを認識している。しかしその状態が長く続くうちにそれ自体が"普通の状態"になってしまう。これがハイパーノーマライゼーションです。
これは"みんなが騙されている"という事ではありません。重要なのは多くの人が現実と建前のズレを理解しながらそれ以外の現実を具体的に想像出来なかった事にあります。 「この制度は問題があるがこれに代わるものが何なのかは分からない」という状態です。こうした状態が社会全体に広がると制度は矛盾を抱えたまま長期間存続する事が出来ます。
ここにユルチャクが現在の私達に問いかけている様に思える問題があります。どの国にも公式に語られる建前と実際の社会との間に一定のギャップがあります。問題なのはそのギャップが存在する事そのものより社会全体がそのギャップを"当たり前"として受け入れてしまう事なのかもしれません。
そして制度が長く続いているからといってそれが永遠に続くとは限りません。ソ連崩壊はその事を私たちに教えてくれます。 1991年12月ソ連は消滅しました。ソ連に生まれソ連で育ちソ連が永遠に続くと思っていた人々にとってソ連崩壊は単なる政治体制の交代ではありませんでした。彼等が生きてきた"当たり前の世界"そのものが消えてしまったのです。
ユルチャクの「最後のソ連世代」が面白いのはソ連を単純な"悪い体制"として描いていない事です。そこには体制に疑問を持ちながらも社会主義の理想を大切にする人・公式の言葉を使いながら別の意味を作る人・西側文化に憧れながらソ連社会の中で生活する人たちがいました。ソ連社会は"政府/国民""公式/非公式""真実/嘘"という単純な二つの世界に分かれていた訳ではなかったのです。そしてその複雑な社会が最後には突然崩壊しました。
さて今回の「最後のソ連世代」についてのお話はここまでです。楽しんで頂けたでしょうか。ソ連崩壊から30年以上が経った今、私達はこの歴史から何を学ぶべきなのでしょうか。永遠に続くと思われている制度ほど実は変化の兆候を見逃しやすいのかもしれません。現在の民主政治に変化の兆候はあるのでしょうか。
それではまた。
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