プーチン・2007ミュンヘン安全保障会議演説 - 後から見ると宣戦布告だった - 世界が聞き流したMake Russia Great Again

29/05/2026

ロシア

t f B! P L

今回は「西側諸国への"事実上の宣戦布告"だった」と後に言われる事となる2007年ミュンヘン安全保障会議でのプーチンの演説についてお話ししたいと思います。

本稿の関連動画を以下にアップしています。良ければご参照下さい。

https://youtu.be/ae3x8wlVy8Y

以前の投稿"JDヴァンス"でお話しした通りミュンヘン安全保障会議は国際安全保障政策に関して1963年から毎年開催されている会議で「対話による平和」というテーマのもとNATOやEUの加盟国に加え中国・インド・日本・韓国等の国からも政治家や外交官、軍や安全保障の専門家が招待され安全保障や防衛政策の課題を議論します。

2007年のミュンヘン安全保障会議での演説でプーチンは30分間にわたって米国批判を続けました。プーチンはそれ以前にも西側中心の秩序に対して不満を述べていましたが国際会議の場で米国への不満をぶちまけたのは初めてでした。最前列でこの演説を聞いていたメルケルは自身の回顧録の中で「演説で見せたプーチンの姿は私が良く知る彼の姿だった」と言います。

メルケルはその姿を「ぞんざいに扱われたくないと言うただそれだけの理由で常に警戒の目を光らせいつでも相手をやり込めようと狙っている人物」と表現します。メルケルは自己を正当化しようとするプーチンの態度に憤りを覚えつつも「しかし一方で彼の演説には全く的外れとは言えない部分もあった」と言います。

米国の政治学者アンドリュー・ミヒタはロシアのウクライナ侵攻後の2022年8月にウォールストリートジャーナル誌上で「西側諸国の指導者達は2007年のこの演説が"西側諸国に対する宣戦布告に相当する"事を認識出来なかった」と言いました。

アンドリュー・ミヒタ

後から振り返ると"宣戦布告"と言えるような過激な演説だったのですが当時の世界はG8メンバーのロシアが宣戦布告したなどとは夢にも思わず日系企業を含む西側諸国の多くの企業が急激な経済発展によって魅力的な市場となったロシアに先を争って進出していました。私がモスクワに赴任したのはこのプーチンのミュンヘン安全保障会議演説の翌年でした。

さてここからはプーチンの演説の内容についてお話しします。この演説でプーチンが訴えた不満は大きく3つありました。NATOの東方拡大、米国中心の一極支配、そしてロシア軽視です。演説の冒頭でプーチンは「この会議の形式によって国際安全保障問題について本当に考えている事を率直に述べられる」と言い「もし私の発言が過度に論争的だったり的を射ていたりあるいは不正確だったりしてもどうか私に腹を立てないで下さい」と続け「議長のホルスト・テルチク氏が最初の2、3分で赤信号を点灯させてマイクを切らない事を願っている」と冒頭挨拶を締めくくります。この冒頭挨拶はJDヴァンスの2025年の演説の冒頭挨拶に通じるものがあります。

ホルスト・テルチク

プーチンが「この会議の形式」と言っているのはミュンヘン安全保障会議が民間主導で開催される公式な政府行事ではない会議であくまで議論する為の場であり政府間の決定を拘束する権限が無い事を指します。なのでミュンヘン安全保障会議は"安保版ダボス会議"と呼ばれたりします。

プーチンは「あらゆる戦争と同様に冷戦は私達に実弾を残した」と言います。そして「実弾とは冷戦ブロック思考に典型的に見られるイデオロギー的な固定観念・ダブルスタンダード・その他の側面の事である」と続けます。この"冷戦ブロック思考"に基づく米国の行動の詳細は演説の後段で多く挙げられるのですがプーチンはここで話題を"一極世界"に変えます。

プーチンは「冷戦終結後に提唱された一極世界は実現しなかった」と言います。ここで言う"冷戦終結後に提唱された"について誰がどう提唱したのか詳細な説明は無いのですが私はフランシス・フクヤマの「歴史の終わり」を指しているのではないかと推測しています。フランシス・フクヤマは「国際社会において民主主義と自由経済が最終的に勝利しそれからは社会制度の発展が終結し社会の平和と自由と安定を無期限に維持する」という仮説を提唱しました。

フランシス・フクヤマ

プーチンは「一極世界とは権威の中心・力の中心・意思決定の中心が一つしかない状況で主権国が一つの世界」と言います。プーチンはこの唯一の主権国の名前をなかなか言わないのですが縷々説明をした後で「米国」と明言します。

プーチンは「一極世界は民主主義とは全く相容れない」と言い「ロシアは絶えず民主主義について教えられ続けています」「しかし民主主義について私達に教えたがる人々は何故か自身ではそれを学びたがりません」と皮肉を言います。

プーチンは続けて「一極モデルは容認出来ないだけでなく実現不可能だ」と述べその理由として「現代文明を支える道徳的基盤が存在し得ないから」と言います。

この主張はピーター・ティールの主張に通ずるものが有る様な気がします。ピーター・ティールは「一つの世界政府が人類の滅亡を防ぐ唯一の道」という意見に異を唱え「人類滅亡か全体主義的な管理社会かという二つの受け入れ難い選択肢の間に細く険しい"第三の道"を見出さなければならない」と言います。

プーチンは「今日の世界で起こっている事は一極世界の概念を国際情勢に導入しようとする試みだ」と続け「一方的で不当な行動は何の問題も解決していない」と断じます。

プーチンは「国際法の基本原理に対する軽視が高まっている」と言い「米国は国境を越えた行動をとって他国に経済・政治・文化・教育政策を押し付けている」とここで初めて米国の名を具体的に挙げます。ここでプーチンが示唆しているのは2003年のイラク戦争です。

イラク戦争は米国が主体となり英国・オーストラリア・ポーランド等が加わる有志連合によって行われたイラクの大量破壊兵器保有を理由とする軍事侵攻です。当時の安全保障理事会の非常任理事国にはイラク侵攻に反対する国が多く常任理事国が拒否権を使わなくても攻撃に関する決議が否決される可能性が高かったので米国と英国は決議無しでの攻撃に踏み切る事にしました。

ドイツのシュレーダー首相は開戦直前の2003年3月14日に「フランス・ロシア・中国の友人達と共に私達はイラクの武装解除は平和的手段によって実現出来またそうするべきだと確信している。」と宣言しました。

シュレーダー首相

エマニュエル・トッドは著書「西洋の敗北」で「米国の反ロシア姿勢への転換の主な動機は米国から自立して活力に満ちたドイツとりわけロシアとの協調を望むドイツに対する恐れにあった」と言っています。

エマニュエル・トッド

プーチンは「国際情勢は非常に多様で多くの国や地域におけるダイナミックな発展に伴い急速に変化している」として「インドと中国の購買力平価GDPの合計は既に米国を上回っておりBRICs諸国のGDPを同様に計算するとEUを上回る」と続け「グローバルな経済成長の新しい中心が政治的影響力に変換されて多極化を強化する」と言います。私は以前の投稿"プーチンの失敗"で「GDPが韓国よりも小さいロシアが『米国と対等の関係でないと我慢出来ない』と考えるのが間違い」とお話ししましたが購買力平価GDPで見ると2006年時点でもロシアはドイツに次ぐ6位でフランス・英国を上回っていました。

プーチンは「多極化に伴い多国間外交の役割は著しく増大している」と続け「武力行使は真に例外的な措置であるべきだ」と言います。そしてイタリア国防大臣の「武力行使はNATO・EUまたは国連によって決定された場合にのみ正当である」という発言を取り上げ「武力行使は国連によって承認された場合にのみ正当でNATOやEUを国連の代わりにする必要は無い」と言います。

イタリア国防大臣アルトゥーロ・パリージ

この発言はNATOによる1999年のセルビア空爆を示唆したものです。当時名古屋グランパスエイトに在籍していたセルビア人のストイコビッチ選手がNATO STOP STRIKESというアンダーシャツを見せて空爆への抗議行動をとりましたね。

プーチンは次に話題を軍縮問題に移します。プーチンは「ミサイル防衛システムの特定要素を欧州に拡大する計画は軍拡だ」と指摘します。米国のブッシュ大統領はイランと北朝鮮の脅威に対抗する為に東欧でのミサイル防衛の推進の必要性を唱えチェコに大陸間弾道ミサイルの警戒レーダーサイト、ポーランドに迎撃ミサイル基地を建設しようとしていました。

プーチンはこれを「ロシアを対象としたものだ」として反発したのです。プーチンは「イランと北朝鮮は射程距離が5千~8千kmにも及ぶ欧州に脅威を与えるミサイル兵器など持っていない」と言います。ちなみにオバマ大統領は2009年に対イラン防衛計画の見直しを決定しポーランドに迎撃ミサイル、チェコに警戒レーダーを配備する計画は中止されました。

次にプーチンは欧州通常戦力条約について話します。欧州通常戦力条約は1990年に締結されたNATOとワルシャワ条約機構の大西洋からウラル山脈までの欧州地域における通常戦力削減を定めた条約です。

1991年のワルシャワ条約機構解体とその後の東欧諸国のNATO加盟を受けて1999年に改訂版が締約国30カ国に署名されました。ところが2007年時点で改正欧州通常戦力条約を批准していたのはロシア・ベラルーシ・カザフスタン・ウクライナの4カ国だけでした。NATO加盟国は「ロシアが約束したグルジア及びモルドバからの駐留ロシア軍撤退が完全に実行されない限り批准をしない」としたのです。プーチンは「我が軍は予定よりも早くグルジアから撤退している」と言い「モルドバにはまだ1,500人の兵士が駐留しており平和維持活動に従事している」と続けます。この1,500人の兵士がいるのはモルドバ東部の沿ドニエストル共和国です。但しモルドバも国際社会も沿ドニエストル共和国の独立を承認していません。

以前の投稿"ロシアのグルジア侵攻"でお話しした様にグルジアも一筋縄ではいかない背景を持っています。

これらモルドバ及びグルジアの紛争地帯を"ソ連解体後の凍結された紛争地帯"と呼ぶのだそうです。メルケルは回顧録で「プーチンがモルドバ及びグルジアの紛争について具体的に触れない事に憤りを覚えた」と言います。プーチンは「ロシアは条約を遵守しているにも拘わらずNATOは最大5千人規模の最前線部隊をロシア国境付近に配置している」と非難しこの演説の9カ月後に条約から脱退します。

続いてプーチンはNATOの拡大について「相互信頼のレベルを低下させる深刻な挑発行為」と言い1990年5月のヴェルナーNATO事務総長の演説を引用して「NATOは東方拡大を行わないという約束を破っている」と言います。以前の投稿"ウクライナ侵攻 何がロシアをそうさせた?"でも触れた通り米国のベーカー国務長官も1990年2月にゴルバチョフと会談した際に「NATOを東方へは1インチたりとも拡大しない」と言っていました。

ベーカー国務長官(左)

ドイツ再統一に対するソ連の同意を得る為にソ連の安全保障に配慮する事を示す必要があったものと思われます。しかしドイツ再統一に関して東西ドイツ・米国・英国・フランス・ソ連の6カ国外相が調印した「最終解決条約」ではNATO軍が東ドイツ地域に配備されない事が規定されているだけでそれ以外の国への不拡大の約束はありません。ゴルバチョフが何故NATO不拡大の文書化を要求しなかったのかは疑問ですが米欧ソとも当時は和解と希望の雰囲気に満ちていた事をその答えとして示している有識者もいます。

米国を含むNATO諸国は当初NATOの拡大を支持していなかったのですがハンガリー動乱やプラハの春のトラウマがある東欧諸国はNATO加盟を強く望みました。米国に多くいる東欧からの移民とその子孫も東欧のNATO加盟を推進しました。クリントン政権で国務長官を務めたオルブライトもチェコ出身のユダヤ人でした。

オルブライト国務長官

過去のソ連の振る舞いがNATOの東方拡大に繋がったのはロシアのウクライナ侵攻後にスウェーデンとフィンランドがNATOに加盟したのと同じ流れですね。

プーチンは「ベルリンの壁の石やコンクリートブロックは長年に亘り土産物として流通してきたが今、西側諸国は私達に新たな分断線と壁を押し付けようとしている」と言います。

このプーチンの反応はジョージ・ケナンやバーンズなどNATO拡大に反対していた米国の対露外交の専門家が予想した通りのものでした。

プーチンは次に核不拡散体制の強化に触れ「ロシアと米国で主導的な役割を担う」と言った後話を国際エネルギー協力に移し「ロシアの石油採掘量の26%は外国資本によって行われている」と言い「ロシアへの外国投資とロシアの海外投資の比率は15対1で、これはロシア経済の開放性と安定性を示す」と続けます。初めにお話しした様に西側諸国の多くの企業が急激な経済発展によって魅力的な市場となったロシアに先を争って進出していたからですね。

プーチンはロシアのWTO加盟プロセスについて「長く困難な交渉の中で"言論の自由""自由貿易""機会均等"といった言葉が何度も耳にされた」と言い「何故ロシアだけがそんな事を言われなければならないのか」と不満を漏らしました。

次にプーチンは欧州安全保障協力機構(OSCE)の活動に触れ「OSCEが加盟国の内政干渉の為の米国の道具になっている」と非難し「OSCEは人道分野において加盟国の要請に基づき国際人権規範の遵守を支援する事を目的としているがこれは他国の内政に干渉する事や体制を押し付ける事を意味するものではない」と断じます。

プーチンは最後に「パートナーと協力し一部の特権階級だけでなく全ての人々の安全と繁栄を保障する公正で民主的な世界秩序の構築に取り組んで行きたい」と演説を締め括りました。

さて今回のミュンヘン安全保障会議でのプーチンの演説のお話はここまでです。楽しんで頂けたでしょうか。メルケルは演説するプーチンの姿を「ぞんざいに扱われたくないと言うただそれだけの理由で常に警戒の目を光らせいつでも相手をやり込めようと狙っている人物」と言いましたがそれに続けて「そんな彼の姿を人は子供じみて不快だと感じるかもしれないがそれでロシアという国が地図から消えて無くなる訳ではない」と付け加えました。


西側諸国がミュンヘンでのプーチンのメッセージを受け止めて上手く対応しロシアが今でもG8に残っていたら世界はどうなっていたでしょうか。ロシアは米中対立の仲介やイラン核合意からの米国離脱阻止等に力を発揮していたかもしれませんね。

それではまた。

本稿の関連動画を以下にアップしています。良ければご参照下さい。

https://youtu.be/ae3x8wlVy8Y

このブログを検索

自己紹介

自分の写真
ドイツ、インド、シンガポール、フィリピン、ロシアに、計17年駐在していました。今は引退生活を楽しんでいます。

QooQ