今回は私がドイツに駐在していた1991~1995年に仕事の関係で頻繁に訪れていたウィーンについてお話ししたいと思います。
本稿の関連動画を以下にアップしています。良ければご参照下さい。
ドイツ離任から13年後の2008年に駐在していたモスクワから休暇旅行で訪れたのですが雰囲気は殆ど変わっていませんでした。なのでこれからウィーンに旅行したいと思っている方にも参考にして頂けるのではないかと思います。以前の投稿"ブダペスト小景"でご紹介した様にウィーン・プラハ・ブダペストの中欧ハプスブルク三都を巡る旅がお勧めです。
私はドイツに駐在していた当時、ドイツ国内に加えて旧ソ連・東欧地域も担当していました。
ベルリンの壁崩壊によってソ連・東欧地域のビジネスが拡大する事が見込まれた為、多くの日系企業がソ連・東欧地域担当者を新たにドイツに派遣していたのです。私の会社は東欧ビジネスの拠点としてウィーンにもオフィスを開設していました。
ウィーンについて語る上で忘れてはならないのが以前の投稿"トルコと欧州"でお話ししたオスマントルコによるウィーン包囲戦です。
この時に包囲戦に耐えた城壁の取り壊された跡が全長5.3kmの環状道路"リングシュトラッセ"です。このリングシュトラッセの中がウィーンの中心部になります。
私の会社のオフィスはリングシュトラッセの北東の角にありました。
私がウィーンで定宿にしていたのがリングシュトラッセの最南端近くにあるグランドホテルでした。グランドホテルは1870年創業の歴史あるホテルです。
第2次大戦後にホテルは閉鎖され1989年までIAEAの本部が置かれていたのですがその後ANAが購入して営業を再開しました。
改修工事は清水建設が受注しました。改修とは言っても実態は殆ど新築と同じでした。街の景観を変更する事が許されないので外壁のみを残して中は全て建て替えるという改修工事だったのです。外壁を残したので窓の位置の関係で天井が高く部屋のレイアウトも統一されていませんでした。ANAは2002年にグランドホテルを国際的なホテル運営会社であるJJWホテルズ・アンド・リゾーツに売却しました。
グランドホテルからリングシュトラッセに沿って西側に200m程進むとウィーン国立歌劇場があります。
仕事の関係でウィーンで会ったオーストリア人の一人が「自分はオペラ鑑賞が趣味で毎日国立歌劇場で見ている」と言いました。彼曰く「毎日行くと日によって出来の良し悪しが違うのが良く判る」との事でした。天井桟敷であればかなり安いと言うのです。普通のサラリーマンがさらっと「毎日オペラ座にオペラを見に行く」と言うのはちょっと驚きでした。"芸術の都ウィーン"を実感した次第です。
私はドイツからウィーンに出張している時には国立歌劇場の天井桟敷に行く機会が無かったのですが2008年にモスクワから旅行で訪れた時に天井桟敷で「フィガロの結婚」を見ました。
天井桟敷は当日券のみなので開演前に並んでチケットを購入するのですが値段はなんと1ユーロでした。天井桟敷は立ち見なのですが早く行って最前列を確保すると床に座って見る事が出来ました。「フィガロの結婚」は上演時間が3時間を超えるのでずっと立って見るのは相当きついですね。
リングシュトラッセと交差して国立歌劇場の手前を北に向かうのがウィーンのメインストリート"ケルントナー通り"でケルントナー通りから見て国立歌劇場の右隣にあるのがザッハートルテで有名なホテルザッハーです。
本家のザッハートルテは中にアンズのジャムが挟まっていて大変甘いので砂糖を入れないホイップクリームと一緒に食べます。
私は個人的にはもう一つのウィーン名物のインペリアルトルテの方が甘過ぎないので好きでした。厳密に言うとインペリアルトルテはトルテではなくてチョコレート菓子だそうです。
歩行者専用道路となっているケルントナー通りを真っすぐ進むとウィーンのシンボルであるシュテファン大聖堂があります。
シュテファン大聖堂の手前を左に入ったところにあるのが17世紀にペスト流行の終息を記念して建てられたペスト記念柱です。
ケルントナー通りはシュテファン大聖堂の先から"ローテントゥルム通り"と名前を変えます。ローテントゥルム通りを少し進んで右に入ると1447年創業という歴史あるレストラン「グリ-ヒェンバイスル」があります。
1447年というと日本は室町時代ですね。モーツァルトやベートーヴェン、ワーグナー、エゴン・シーレ等"芸術の都"にふさわしい歴史的偉人から最近の世界的著名人まで多くのサインが店内の壁面に書き込まれているのですが私はその事を知らずに行ったのでサインは見損ねてしまいました。
ペスト記念柱から更に500mほど先に進むと1876年に開業したカフェ・ツェントラルがあります。多くの文化人が集う"芸術カフェ"で19世紀末ウィーンの芸術運動の拠点となった所です。
詩人のペーター・アルテンベルクはここに住み着いているかのように毎日を過ごしたので現在も等身大のアルテンベルク人形が店内に置かれています。
ウィーンのカフェの起源には前述のオスマントルコによるウィーン包囲戦が関係しています。ウィーン市民が潰走したオスマントルコ軍の陣営で打ち捨てられたコーヒー豆を見つけたのがウィーンのコーヒー文化の起源なのです。現地ではホイップクリームを浮かべたコーヒーではなくエスプレッソにミルクを加えその上からミルクの泡を乗せた"メランジェ"というコーヒーが日常的に飲まれていました。
国立歌劇場からリングシュトラッセを更に西に進むとマリア・テレジア広場に出ます。広場の真ん中にあるのがマリア・テレジアの像です。18世紀にハプスブルク帝国のトップに君臨し外交・政治でその手腕を大いに発揮した女性リーダーです。マリー・アントワネットの母としても有名ですね。
マリア・テレジア像に向かって左側にあるのが美術史美術館で右側にあるのが自然史博物館です。美術史美術館の売りはブリューゲルのコレクションです。"バベルの塔"が有名ですね。
"農家の婚礼"は1980年代にTVコマーシャルで使われていたので見覚えのある人も多いと思います。
ウィーンで有名なもう一つの美術館はベルヴェデーレ宮殿の上宮"オーストリア・ギャラリー"です。リングシュトラッセの南側1kmぐらいのところにあります。
クリムトのコレクションが有名で"ユディトI""接吻""アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像Ⅰ"等見覚えのある作品が多くあります。
私が1999~2001年に駐在したインド・ニューデリーで事務所を置いていた地元の名門ホテル・オベロイにあった会員制ビジネスクラブの名前が"ベルヴェデーレ"でした。ホテル内に事務所を置いていたので私は自動的に会員となる事が出来ました。ベルヴェデーレはバーラウンジやレストランを備えておりビーフステーキを含む上質な西洋料理と高級ワインを供していました。ビーフステーキは輸入した高級牛肉を使っていました。インドの名門ホテルチェーンの会員制クラブの名前がウィーンの宮殿と同じなのが不思議でした。ベルヴェデーレはイタリア語で「美しい眺め」という意味だそうですからウィーンと直接の関係は無いのかもしれませんが。
リングシュトラッセから西に5kmくらい行った所にあるのが夏の離宮"シェーンブルン宮殿"です。
庭園の小高い丘には対プロイセン戦の勝利と戦没者の慰霊の為にギリシャ建築の記念碑として建てられた長さ100メートルの回廊建築「グロリエッテ」があります。
私が2002~2006年にかけてフィリピンに駐在していた時に住んでいたサービスアパートメント「オークウッド」に隣接していたショッピングモールの名前が「グロリエッタ」でした。ベルヴェデーレと併せて「不思議な縁だな」と思ったものでした。
ウィーン出張の際に何度か訪れたのが郊外に多くあるワイン居酒屋の"ホイリゲ"です。
神聖ローマ帝国皇帝ヨーゼフ2世が1789年にウィーンのぶどう農家に「年間300日以内に限り自家製ワインを小売りし簡単な食事を供してもよい」という特別許可を与えたのがホイリゲの始まりです。"ホイリゲ"とは"今年の"という意味で転じてその年に収穫されたブドウで作られた新酒を指します。白ワインが主流でフレッシュな果実味と酸味が特徴です。ワイン居酒屋のホイリゲでは自家製白ワインの新酒"ホイリゲ"と簡単な食事を供します。料理はビュッフェスタイルで供される事が多い様です。ホイリゲを炭酸水で割って飲む事もあります。この炭酸割りホイリゲは"シュプリッツァー"と呼ばれます。
私がウィーンで行く機会が無くて残念だったのはプラーター公園です。
映画「第3の男」の大観覧車のシーンでオーソン・ウェルズ演じるハリーが主人公のホリー・マーチンスに言い放つ台詞が有名ですね。粗悪ペニシリンを売り捌いて多数の人々を害していたハリーは観覧車の上から下の人々を指差し「あの中の一粒が止まれば大金が手に入る。君は本当に良心の呵責を感じるか?」とホリー・マーチンスに問いかけるのです。更に観覧車を降りる際に「ボルジア家の圧政下で30年の恐怖・流血・殺人があったイタリアではルネサンスが開花した。500年の友愛・民主主義・平和のスイスが生んだのは鳩時計だけだ」と言います。
映画史に残る名言と言われてますね。この台詞はオーソン・ウェルズのアドリブだそうです。
さて今回のウィーンのお話はここまでです。楽しんで頂けたでしょうか。
私は常駐ではないもののウィーン駐在員兼務となっていたので何回かウィーン日本人会の新年会に参加しました。私が住んでいたデュッセルドルフは在留邦人が1万人を超えていたので全員が参加する新年会の開催は不可能でしたがウィーンの在留邦人は500人前後だったので希望者は全員新年会に参加出来ました。新年会では映画「男はつらいよ」の新作を上映するのが恒例になっていました。日本人が多くない異国の地で正月に日本を懐かしむという事だったのでしょうね。
最後に余談を一つ。ドイツ語ではvは英語のf、wは英語のvの発音になります。なのでWienはヴィーンと発音します。だから英語ではヴィエナ(Vienna)と言うのですね。ウィーンと呼んでいるのは日本人だけです。
また機会を見て印象に残った他の海外の街についてもお話ししたいと思います。それではまた。
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