JDヴァンス - ヒルビリー・エレジーから紐解くミュンヘン安全保障会議演説 -

02/05/2025

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今回は米国の副大統領JDヴァンスが2025年2月のミュンヘン安全保障会議で行った演説についてお話ししたいと思います。

本稿の関連動画を以下にアップしています。良ければご参照下さい。

https://youtu.be/Mso157yj-KQ

ミュンヘン安全保障会議は国際安全保障政策に関して1963年から毎年開催されている会議で、「対話による平和」というテーマのもとNATOやEUの加盟国に加え中国・インド・日本・韓国等の国からも政治家や外交官、軍や安全保障の専門家が招待され安全保障や防衛政策の課題を議論します。2025年は日本からは岩屋外務大臣が参加していました。

過去にはロシアも参加しており2007年にはプーチンが今回のJDヴァンスの様に演説を行いましたが2025年の会議にはロシアは参加していませんでした。2007年のプーチンの演説も物議を醸しました。

米国の政治学者アンドリュー・ミヒタはロシアのウクライナ侵攻後の2022年8月にウォールストリートジャーナル誌上で「西側諸国の指導者達は2007年にこの演説が"西側諸国に対する宣戦布告に相当する"事を認識出来なかった」と言いました。プーチンの演説に対しては賛否があったのですが会議の議長だったホルスト・テルチク(コール首相最側近の政治アナリスト)はプーチン大統領との個人的な交流を踏まえ演説を"深いフラストレーションの表れ"と解釈しました。

2025年のJDヴァンスの演説は2007年のプーチンの演説と同様に歴史に残る演説になるような気がします。

2025年の会議に集まった外交・軍事の専門家達は2022年に上院議員に初当選し2025年から副大統領となったばかりという政治経験の浅いヴァンス氏が「どんな演説をするかお手並み拝見」と"上から目線"で待ち構えていたのですがJDヴァンスはそんな聴衆に大きなショックを与えました。

さてここからはJDヴァンスの演説の内容についてお話しします。

演説の冒頭でJDヴァンスはミュンヘンで難民申請中のアフガン移民が車でデモ隊に突っ込んで数十人を負傷させた前日のテロ事件に触れミュンヘンの人々に寄り添うコメントを冒頭の挨拶とします。

そこで会場から拍手が起こるのですがJDヴァンスはそれに対して「これが最後の拍手にならない事を願っています」と応えます。これから話す内容が会場の大多数を占める欧州の人々にとって受け入れ難いものである事を踏まえた発言ですね。

JDヴァンスは続けて「私が欧州について最も懸念しているのはロシア・中国その他の外部勢力ではありません。私が懸念しているのは内部の脅威です。欧州が最も基本的な価値観から後退している事です。米国と共有している価値観からの後退です。」と言います。

JDヴァンスは欧州が基本的な価値観から後退している事例として2024年11月に実施されたルーマニアの大統領選を挙げます。

第一回投票でほぼ無名だった極右ポピュリストのジョルジェスク氏が勝利したのですが、ロシアがジョルジェスク氏を支援する為にTikTokで800件のアカウントを作っていた事が判明して憲法裁判所が投票を無効としました。

カリン・ジョルジェスク

JDヴァンスは「外国からの数十万ドルのデジタル広告によって崩壊してしまうようなものであればそもそもその民主主義はあまりにも脆弱だったのではないでしょうか」と問いかけます。ジョルジェスク氏の人気がいきなり高まった要因の一つに「ルーマニアの尊厳を回復しNATOやEUを含む国際機関への従属を終わらせる」という公約がありました。ジョルジェスク氏はルーマニアを再び偉大な国にすると言うのです。"Make Romania Great Again(MRGA)"ですね。

元欧州委員のフランス人ティエリ・ブルトン氏がTVでルーマニアの大統領選無効に喜びを示し同じ事がドイツでも起こり得ると警告した事をJDヴァンスは"民主的価値の破壊"と断じます。AfDは2025年2月の総選挙ではキリスト教民主・社会同盟(CDU・CSU)に後れを取り得票数は2位でしたが4月の世論調査では支持率首位になりました。

AfD共同党首アリス・ワイデル


JDヴァンスは「冷戦において敗北したのは反体制派を検閲し教会を閉鎖し選挙を取り消した方ではなかったのか?」と問いかけ、「今日の欧州を見ると冷戦の勝者達の一部に何が起きたのかよく分からなくなってしまう」と言います。

次に彼が挙げた具体例はスウェーデンにおけるコーラン焼却事件です。2023年にストックホルムのモスクの前でコーランを燃やすという挑発行為が複数回行われました。コーラン焼却には複数名が関わっていたのですがリーダーはイラク難民でキリスト教徒のサルワン・モミカでした。

サルワン・モミカは2025年1月30日に何者かに射殺されました。JDヴァンスはコーラン焼却に関与したサルワン・モミカの友人に対する裁判所判事の発言「スウェーデンの法律は表現の自由を守るとされているがある信念を持つグループを不快にさせる可能性がある事を言ったり行ったりする自由を与えるものではない」に対して"身の毛もよだつ発言"と断じています。スウェーデンが申請していたNATO加盟にトルコの了承が必要だった事を考えるとJDヴァンスはちょっと厳し過ぎる気もしますけどね。

その次にJDヴァンスが挙げた事例は2022年11月イングランド南部ボーンマスの中絶クリニックの近くで数分間黙祷を捧げた男性が公共空間保護命令違反で執行猶予2年の有罪判決を受けた件でした。

黙祷を捧げるアダム・スミス・コナー

その男性(アダム・スミス・コナー)は加えて9,000ポンド(約170万円)の訴訟費用の支払いも命じられました。

公共空間保護命令(Public Spaces Protection Order:PSPO)は2014年反社会的行動・犯罪・警察法に基づく命令で、イングランドおよびウェールズの指定されたエリアにおける特定の行為を禁止するものです。各地方自治体の議会はPSPOに基づきエリアと禁止する行為を決定出来ます。例えばロンドンの北120kmにあるピーターバラ市の議会は中心部の特定の道路でのゴミのポイ捨て・唾を吐く事・自転車に乗る事を禁止するPSPOを導入しました。

ピーターバラのPSPO表示

2020年に英国の地方自治体ボーンマス・クライストチャーチ・アンド・プールの議会はボーンマスの中絶クリニックから200m以内のエリアを対象に祈りを含めいかなる手段によっても、妊娠中絶に関連する問題に関して抗議したり賛否を表明したりする事を禁止するPSPOを発令しました。

スミスコナー氏は中絶クリニックから50m離れた場所で22年前に自分と当時のGFの間にできて中絶した胎児の為に心の中で祈っていたと言います。コミュニティオフィサーはその場から立ち去るよう1時間40分にわたってスミスコナー氏を説得したのですが彼が聞き入れなかったので訴追される事となりました。スミスコナー氏が前日にボーンマス・クライストチャーチ・アンド・プール議会にEメールで当日その場所で自分が祈る事を通知していたので、コミュニティオフィサーは心の中で祈ってる内容が判ったのです。

ちなみにボーンマス・クライストチャーチ・アンド・プールの議会によるパブリック・コンサルテーションの結果、住民2,241人の75%が中絶クリニックから200m以内のエリアのPSPO導入を支持していたそうです。新しい法律により2024年10月末からイングランドとウェールズのすべての中絶クリニックの150メートル以内での抗議活動が禁止されているそうです。

JDヴァンスがコーラン焼却と中絶クリニック近くの祈りを事例として挙げたのには彼の宗教的な背景が深く関わっているのではないかと思います。複雑な家庭環境に育ったJDヴァンスは彼の幼少期に離婚した母親の2番目の夫で彼の実の父親であるドン・ボウマンの家で9歳の頃から週末や休暇を過ごす様になり13歳の一時期はドン・ボウマンに引き取られて同居するのですがJDヴァンスが2016年に発表してミリオンセラーとなった回想録「ヒルビリー・エレジー」にはこの実の父親が厳格な福音派キリスト教徒でJDヴァンスも当時大いに影響されていた事が描かれています。当時のJDヴァンスは進化論も否定していたそうです。

JDヴァンスが未だに進化論を否定しているとは思いませんが彼が所属する"ヒルビリー"と呼ばれるアパラチア地方に入植したスコッツ・アイリッシュの人々の特徴である素朴な"信心深さ"を深層心理として持っているのは間違いないと思います。

保守的なプロテスタントの独特の心情がコーラン焼却と中絶クリニック近くの祈りを事例として挙げた事に反映しているのではないでしょうか。モスクの前でコーランを燃やす自由を擁護する立場を表明したJDヴァンスですがイスラム教徒が教会の前で聖書を燃やす自由も擁護するのか聞いてみたくなります。米国中西部の教会の前で聖書を燃やしたりしたら警察に逮捕される前にヒルビリーに銃で撃ち殺されるでしょうけどね。

「ヒルビリー・エレジー」ではJDヴァンスの祖母がまだ12歳の時に牛泥棒をライフルで撃ち殺しそうになったエピソードが語られています。祖母の兄が脚を撃たれた牛泥棒ととどめを刺そうとする祖母の間に咄嗟に割って入ったので殺人に至らなかったという事です。

JDヴァンスと祖母

私はこのエピソードから映画「イージー・ライダー」のラストシーンを連想しました。

映画のラストでニューオーリンズからフロリダを目指したピーター・フォンダ演じるキャプテンアメリカとデニス・ホッパー演じるビリーが州境近くを走っていると2人の農夫が乗った1台のトラックが近づいて来ます。助手席の農夫が散弾銃を向けながらビリーを脅しビリーがトラックに向かって中指を立てるサインを送ると農夫はビリーを撃ちます。ビリーは重傷を負って転倒しキャプテンアメリカは横たわったビリーの顔に星条旗が背中に縫い付けられた自分の革ジャンを被せるとトラックを追いかけるのですが彼も散弾銃に撃たれて吹っ飛びます。トラックに乗った農夫は典型的なヒルビリーですね。

私が思い浮かべるもう一つのヒルビリーが登場するハリウッド映画は「ティファニーで朝食を」です。

オープニングでは早朝ティファニー本店前でイエローキャブを降りたオードリー・ヘプバーンが持参したクロワッサンを食べコーヒーを飲みながら開店前のティファニーのショーウィンドウを見て回ります。映画を後追いする様に2017年にティファニー本店4Fにレストランがオープンしたので今ではティファニーで朝食を食べる事も可能です。ちなみに1983年にはティファニー本店の横にトランプタワーが竣工しました。安倍首相が2016年に大統領就任前のトランプさんに会いに行ったところですね。

ヘプバーンが演じる主人公ホリーの前に突然現れるのが5年前にいなくなった彼女を探してテキサスからNYにやってきた50代前半の獣医ゴライトリーです。

浮浪児だったホリーと兄のフレッドは牛のミルクと七面鳥の卵を盗もうとしてゴライトリーの子供達に捕まってからゴライトリー一家と暮らす様になるのですが妻を亡くして独り身だったゴライトリーはほどなくして14歳のホリーに結婚を申し込みホリーは承諾したのです。

NYで再会した後、ホリーはグレイハウンドの停留所までゴライトリーを見送りゴライトリーは一人でテキサスに帰って行きました。「ティファニーで朝食を」はヒルビリーの物語だったんですね。

獣医ゴライトリーを演じたバディ・イブセンはその後TVドラマ「じゃじゃ馬億万長者」で主人公ジェド・クランペットを演じました。「じゃじゃ馬億万長者」は日本でも1962~1963年まで日本テレビで放映されました。片田舎の貧しい農家クランペット一家の家長ジェドが獲物を狙って発砲した散弾銃の弾丸が当たった場所から石油が溢れ出すところから物語は始まります。一家は石油会社の払った油田の権利金で俄成金になりLAのビバリーヒルズの豪邸に引っ越します。ビバリーヒルズの富裕層の間にいきなり投げ込まれた貧しい田舎者の一家が体験するカルチャーショックがこのTVドラマの主題で原題は「"The Beverly Hillbillies"ビバリー・ヒルビリーズ」です。「ヒルビリー・エレジー」のお陰で日本でも"ヒルビリー"と言う言葉が一般的になりましたから今だったら原題のままで放映されたかも知れませんね。

「ティファニーで朝食を」と「じゃじゃ馬億万長者」に共通するのは東海岸のNY及び西海岸のLAという大都会の視点でヒルビリーを描いている事です。このヒルビリーを見下したエリート層に対する積年の恨みがトランプ政権の原動力なのかもしれませんね。

JDヴァンスはフェイクニュース・ヘイト情報・DEIに関連するインターネットの規制についても"言論の自由の後退"と言います。DEIはDiversity(ダイバーシティ=多様性)Equity(エクイティ=公平性)Inclusion(インクルージョン=包括性)の頭文字ですね。

米国ではいろんな企業がDEIへの取り組みを縮小しています。ウォルマート・トヨタ・日産・フォード・マクドナルド等です。トランプに忖度してる面もあるでしょうが民主党政権への忖度を止めたという側面も在るかもしれませんね。

DEIの取り組みによってマイノリティが過度に優遇されてしまい白人男性等のマジョリティがその影響を被っていると考えられている様です。JDヴァンスが名門イェール大学のロースクールに進学すると知った時に彼の父親は「黒人かリベラルのふりをしたのか?」と言ったそうです。ヒルビリーの出身であるJDヴァンスがDEIに神経質になるのは当然かもしれません。

ここで留意すべきなのはJDヴァンスはDEIを主張する事に反対しているのではなく反DEIの意見をネット上で検閲するのは良くないと言っている事です。JDヴァンスの奥さんのウシャはインド人移民の子供でヒンズー教徒です。彼に人種的・宗教的偏見が無い事は間違いありません。奥さんはアジア系米国人初のセカンドレディになりました。以前の投稿"米大統領選2024 - 注目される印僑たち -"ではカマラ・ハリス、ニッキー・ヘイリーとビベック・ラマスワミについてお話ししましたがその時はトランプの副大統領候補はまだ決まっていませんでした。副大統領の奥さんまで印僑だなんて印僑が本当に米国に根を張っているのが分かりますね。

JDヴァンスは各国の左派・右派のポピュリスト政党の議員をミュンヘン安全保障会議から締め出した事を「民意を軽んじている」と糾弾します。そして有権者の反移民感情を無視する事は民主主義の破壊だと言います。JDヴァンスは「例え国外の人々であっても意見を述べる事や表現する事は"選挙干渉"ではありません」と言い、「信じて下さいよ、これは完全にジョークですからね」と前置きした上で「米国の民主主義が10年間にわたるグレタ・トゥーンベリの叱責に耐えられたのだから皆さんもイーロン・マスクの数カ月の発言に耐えられる筈です」と言います。

JDヴァンスは「民主主義は『国民の声が重要である』という神聖な原則の上に成り立っています」と続けます。そして「民主主義を信じるとは全ての国民が知恵を持ち意見を持っている事を理解する事です」「私達は自国民を恐れるべきではありません。例え彼等が指導者と異なる意見を表明したとしても」と言って演説を終えました。

さて今回のJDヴァンスのお話はここまでです。楽しんで頂けたでしょうか。私は残念ながら米国のビジネスに関わる機会が少なかったのですが「ヒルビリー・エレジー」を読んで少しだけ米国への理解が深まった気がしました。トランプ政権発足からまだ3ヵ月ですがJDヴァンスはしっかりと足場を固めている様に見えます。2028年の大統領選では共和党の予備選をJDヴァンスとニッキー・ヘイリーが戦っているかもしれませんね。それではまた。

本稿の関連動画を以下にアップしています。良ければご参照下さい。

https://youtu.be/Mso157yj-KQ

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ドイツ、インド、シンガポール、フィリピン、ロシアに、計17年駐在していました。今は引退生活を楽しんでいます。

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