今回はスターリン建築についてお話ししたいと思います。スターリン建築とは"スターリンゴシック"と呼ばれる様式の重厚な高層建築物です。
見た目は国会議事堂を高層化した様な感じです。モスクワ市内のスターリン建築の中で最も高いモスクワ大学は高さ240mですから都庁と同じ位ですね。
本稿の関連動画を以下にアップしています。良ければご参照下さい。
スターリン建築は社会主義の発展と革命の達成を摩天楼で表現し労働者を鼓舞する事を狙ったものでした。建物の上部に飾られている立像は聖人ではなく労働者の姿をしており尖塔のトップには十字架ではなく星の飾りがあります。
ウクライナホテルの最上階にあるイタリアンレストランの窓からはその労働者の立像が間近に見えます。現在は全面改装されてラディソンホテルになっているのですが外観は変更しなかったようです。ラグジュアリーホテルの最上階の高級レストランの窓の外に労働者の立像があるのも変な感じですね。
1947年のモスクワ建都800周年に合わせて偉大なる共産主義国家の模範的な首都にふさわしいモスクワになるよう計画を開始しました。
スターリンはNYの摩天楼に対抗してモスクワに何十棟もの超高層ビルを建設しモスクワの都市景観をマンハッタンの様にするつもりだったそうです。実現されなかった幻のソビエト大宮殿を囲むようにモスクワの7つの丘に7つのスターリンゴシックの建物が建設され今も"セブン・シスターズ"と呼ばれています。内訳はアパート二つ、官庁二つ、ホテル二つと大学です。
さてここからは夫々の建物についてお話ししたいと思います。
まずは幻に終わったソビエト大宮殿です。
ソビエト大宮殿はロシア正教の総本山の救世主キリスト大聖堂を爆破解体した跡地に建設が予定されていました。ソビエト政権は「宗教は阿片」と見做していたのでロシア正教の総本山を爆破し、その跡地に社会主義の発展と革命の達成を表現する世界最大のビルを建設しようとしたのです。
なので建物の最上部には手を上へ掲げた高さ100mの巨大なレーニン像を立てる予定でした。茨城県の牛久大仏の高さが丁度100mですね。
1931年に大聖堂の解体作業を開始し1939年には基礎地上部のかなりの部分が出来上がっていたのですが独ソ戦の開始に伴って工事が中断されます。途中まで組みあがった鉄骨はモスクワ周囲の要塞線建設や鉄道橋建設の為に供出するべく解体されました。
戦後に工事が再開されないまま1953年にスターリンが死去しフルシチョフは計画を白紙に戻しました。大きな空き地となっていた建設用地は1958年からの工事により宮殿基礎を使った公共野外温水プールとなり、世界最大級の野外温水プールとしてモスクワ市民に長年親しまれました。
ソ連崩壊後大聖堂の再建機運が高まり1995年に宮殿基礎やプール施設の撤去と大聖堂再建が始まって2000年に元通りの姿に蘇りました。明治神宮が壊されて温水プールになってからまた元通りになる様な感じでしょうね。
ソビエト大宮殿の様に中止されずに建設されたセブン・シスターズの中で私が一番親しみを感じるのは1954年竣工の文化人アパートです。
以前の投稿"モスクワ散歩"でもお話しした通り私が2008年から6年間住んでいたサービスアパートメントの14階の部屋の窓から良く見えたからです。文化指導者の為の高級アパートとして建てられたので文化人アパートと呼ばれるのですが正式名称は"クドリンスカヤ広場ビル"と言います。1980年度アカデミー外国語映画賞を受賞した「モスクワは涙を信じない」に登場したのがこの文化人アパートでした。
セブン・シスターズの中でもう一つのアパートが1952年竣工の"芸術家アパート"です。著名な小説家・詩人・演劇関係者・音楽関係者等が住んでいたので芸術家アパートと呼ばれたのですが正式名称は"コテルニチェスカヤ堤防ビル"です。私の勤務先に近かったので毎日前を車で通っていました。
モスクワ川を挟んで私の住んでいたサービスアパートメントの反対側には1957年竣工のウクライナホテルがあります。
以前の投稿"ソ連崩壊の瞬間、モスクワの街にはビートルズが流れていた"でお話しした様に、1991年12月に出張でモスクワを訪れた際に訪問先のロシア企業の役員にウクライナホテルの1階のレストランで昼食を御馳走になりました。
私がモスクワに赴任した2008年当時は長期改装工事中で2010年にラディソン・ロイヤル・ホテル・モスクワとして営業再開しました。
ホテル前の広場にはウクライナの国民的詩人・画家として知られるタラス・シェフチェンコの銅像があります。
ホテル営業再開後には同じ建物の1階にロールスロイスのショールームがオープンしそこを訪れたロシア人が八百屋で野菜を買う様にロールスロイスを買って行くという事でした。
自宅に近く通勤途上で前を通っていたのが1953年竣工のロシア外務省です。ロシア関連のニュース映像に良く登場するので見た事のある人も多いと思います。2021年の写真では一部修復中で最上部だけが白くなっていますが私がいた当時は全て同じ色でした。
セブン・シスターズの中で最も高いのは1953年竣工のモスクワ大学です。
高さは240mで教育目的の建物としては世界一の高さで1990年にドイツのメッセタワーに抜かれるまで欧州で最も高い建物でした。1953年に都庁と同じ位の高さのビルを建てていたんですね。モスクワ大学のグラウンドでは毎年ジャパンクラブ主催のソフトボール大会が開催されていました。
また私がモスクワに駐在していた当時鳩山由紀夫元総理のご子息がモスクワ大学で都市交通を研究されていました。
ご子息がモスクワの交通渋滞に関する論文を発表し政府要人を乗せた公用車が通行する際に横切る道路の信号を全て赤にする事が、交通渋滞の原因の一つと分析していたのですが論文発表後に父君の鳩山由紀夫元総理がモスクワを訪問した際に大渋滞で面談アポに遅れそうになった為、空港から面談場所までパトカーが先導して横切る道路の信号を全て赤にしたので翌日の新聞にその事を皮肉った記事が載りました。
ロシアでは新婚カップルが市内のあちこちで記念写真を撮る習慣があるのですが最も人気のある新婚記念写真スポットがモスクワ大学正面の雀が丘です。
セブン・シスターズの残る二つは残念ながら私は殆ど縁がありませんでした。
そのうちの一つは1954年竣工のレニングラードホテルです。スターリンゴシックは1930年代の米国の超高層ビルのスタイルを取り入れていると言われるのですが、レニングラードホテルはセブン・シスターズの中では最もエンパイアステートビルに似ているかもしれません。
現在はヒルトングループの傘下に入りヒルトン・モスクワ・レニングラードスカヤという名前で営業しています。近くにはサンクトペテルブルク行の列車が出るレニングラード駅があります。ロシアでは行く先を駅の名前にするのですがレニングラードが1991年に名称をサンクトペテルブルクに戻した後も、モスクワのレニングラード駅はその名前を変えていません。
セブン・シスターズの残る一つは1953年竣工のロシア連邦運輸機関建設省です。高さは138mで高さ172mの外務省に比べると小振りですね。
実はソビエト大宮殿を取り囲むスターリン建築のビルはもう一つ計画されていました。それがザリャジエ行政ビルです。ザリャジエ行政ビルはモスクワ大学よりも高くなる予定でした。場所はモスクワ川沿いのクレムリンの並びです。
1953年にスターリンが死去した後、建物がクレムリンを覆い隠してしまうと判断されて建設中止となりました。既に着工し15階まで建設が進んでいたのですが建設された骨組みは解体されて他の建物の建設に使用されました。1964年から1967年にかけて残っていた基礎の上にロシアホテルが建設されました。完成当時ロシアホテルは世界最大のホテルとなり1970年代にギネスブックに掲載されました。2006年に解体が始まり私が駐在していた6年間はずっと塀に囲まれた状態で立地が良いため格好の広告看板になっていました。以前の投稿"ロシア人の芸術性はすごい!"でお話しした様に一時期パナソニックが北野武を起用した巨大看板を出していました。ロシアホテル跡地は現在はザリャジエ公園になっています。モスクワ市内にはスターリン建築を模して最近建てられたビルも幾つかあります。一つ目は2003年竣工の高層アパート・トライアンフ・パレスでもう一つは2016年竣工のオルジェイヌィ・ビジネスセンターです。形はスターリン建築ですが尖塔の星も労働者の立像もありません。トライアンフ・パレスは高さが264mでモスクワ大学を上回り"8人目のシスター"と呼ばれています。オルジェイヌィ・ビジネスセンターは高さ165mとそこまで高くはありません。モスクワのセブン・シスターズに並ぶ有名なスターリン建築にワルシャワの"文化科学宮殿"があります。竣工は1955年で高さは237mです。30階にあるテラスは高さ114mでワルシャワ市街が一望出来る観光名所としても有名です。ポーランドには「文化科学宮殿のテラスから見る景色がワルシャワで最も良い。文化科学宮殿が見えないから。」というジョークがあります。さて今回のスターリン建築のお話はここまでです。楽しんで頂けたでしょうか。悪名高いスターリンですがロシアの人々はスターリン建築はそれほど嫌ってはいない様に感じました。また機会を見てモスクワの街並みに関する投稿をアップしたいと思います。それではまた。
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