ドイツ人の同僚を通じて分かった事 - ドイツ人の特徴#2 - 親しくなって初めて知ったドイツ人のホンネ

04/10/2024

ドイツ

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今回は私が1991~1995年にドイツ・デュッセルドルフに駐在した際に最も付き合いの深かったドイツ人の同僚の話をしたいと思います。

本稿の関連動画を以下にアップしています。良ければご参照下さい。

https://youtu.be/ilGADSt2-CA

それ以前にも海外出張や国内での海外関連業務で外国人と接する機会はあったのですが、初めての海外駐在で机を並べて仕事をしたローカルスタッフから新たに学ぶ事は沢山ありました。

そのドイツ人の同僚は私より少し年下の男性でした。元々は業務を委託していたドイツ企業で窓口となっていたマネジャーだったのですが、ドイツ拠点を東京本社の駐在員事務所から英国現地法人の支店へ組織変更した際にスカウトして転籍して貰ったのでした。

後で判ったのですがドイツ企業から日本企業に転職するのは彼にとって大きな問題でした。当時の記事に「ドイツ人が勤務を希望する外資系企業国別ランキング」というのがあったのですが、トップは米国、2位は英国でその後には欧州の国々が続き日本は13位で14位は韓国でした。

今でこそ韓国企業はSamsung・現代・LG等が世界で活躍していますが当時は日本企業との差は圧倒的でした。現代自動車はポニーという乗用車を1980年代に北米に輸出し始めたのですが値段が安かった事から当初人気が出たものの塗装の質が悪くて錆が出易かった事から急速に売り上げを落としたりしていました。

一方の日本車は売れすぎて問題になっていました。1970年代に始まった日米自動車摩擦です。デトロイトなど自動車産業の集積地では日本車がハンマーで叩き潰される"ジャパン・バッシング"のパフォーマンスが繰り広げられました。

そんな時代にも拘らず外資系勤務先としての日本企業の人気は韓国企業と殆ど同じランクだったのです。前の会社の送別会では芸者の扮装をさせられたりして相当からかわれたみたいでした。彼の勤務先が同業のドイツ企業に買収される事になったのが、彼の背中を押したようです。窓口をしていた関係で私の会社について良く知っていた事も大きかったと思います。ちなみに彼は今でも私の会社のドイツ拠点で勤務しています。

彼の大きな長所の一つはドイツ人にしては珍しく大変協調性がある事でした。彼は前の勤務先ではマネジャーとして個室が与えられていたのですが、こちらの事務所は私の上司の日本人も含めて全員が大部屋にいました。彼は文句を言う事無く同じ大部屋のデスクで仕事をしてくれました。なので私は彼の隣のデスクで仕事をしながら時には世間話をしたりする事が出来ました。

さてここからは彼を通じて知る事が出来たドイツ人の特徴についてお話ししたいと思います。以前の投稿"ドイツ人の特徴"で触れなかった点を中心にお話しします。

ドイツの職場では姓に敬称を付けてお互いを呼びあいます。日本語で言えば「鈴木さん」「佐藤さん」の様な感じです。ドイツ語では英語のミスターに当たる言葉はHerr(ヘアー)ですが私の事務所ではドイツ語ではなく英語で会話していたので姓にミスターを付けて呼び合っていました。

職場でファーストネームやニックネームで呼び合うのは英国や米国等の英語圏の習慣の様です。なので英国や米国に駐在する日本人に名刺を貰うと姓名の間に自身で決めたニックネームが記載されている事が良くあります。私はドイツに駐在して初めてファーストネームやニックネームで呼び合う習慣が欧米全般のものではない事を知りました。

ちなみに女性の姓にはFrau(フラウ)を付けます。スイスアルプスの山の名前"ユングフラウ"のフラウですね。元々は未婚女性はFräulein(フロイライン)既婚女性はFrau(フラウ)と使い分けられていたのですが、当時は既に大人の女性は未婚・既婚の両方ともFrau(フラウ)を使う様になっていてFräulein(フロイライン)は小さな女の子に使うという感じでした。

英語のMs.(ミズ)はジェンダー平等の取り組みによって既婚女性のミセスと未婚女性のミスの区別を無くする目的で導入された敬称ですが、書き言葉として使う印象で会話の中で使うのはあまりしっくりこない感じでした。英語圏は元々ファーストネームで呼び合う習慣があるからではないかと思います。一方のドイツ語のFrau(フラウ)は既婚・未婚の別なく使う事が一般的だったので事務所では女性には姓にFrau(フラウ)を付けて呼んでいました。ちなみに山の名前のユングフラウのユングは英語のヤングと同じなので"若いフラウ"と言う意味です。

ドイツ人の同僚の彼とは家族ぐるみの付き合いだったので奥さんとお嬢さんにも度々会いました。不思議だったのは彼も奥さんも茶色い髪だったのに小学校入学前のお嬢さんが透き通るような金髪だった事でした。私がお嬢さんの綺麗な金髪を褒めると彼は「自分も子供の頃はこんな金髪だった」と言いました。子供の頃は金髪でも大人になるに従って髪の色が茶色に変わって行く事はよくあるのだそうです。そう言われてみると確かに街で見かける小さい子供は大人に比べて金髪の比率が高い様な気がしました。大きくなっても金髪のままだと"ラッキー"なのだと言っていました。

彼に気付かされた私達と白人の生物学的な違いの一つは明るさに対する感覚でした。まだ彼が前の職場に勤務している時に日本の本社から欧州の市場調査の為に出張してきた同僚と彼の事務所にインタビューに行った時の事です。インタビューは長時間に及び夕方になってしまったのですが彼はいつまでたっても部屋の電気を付けようとしなかったのです。私達は薄暗くてノートも取り難いような彼の個室でインタビューを続けました。後で聞いた話ですがドイツ人は「明るすぎる所で本を読むと目が悪くなる」と言うのだそうです。白人がやたらとサングラスをかける理由がその時に漸く分かりました。

前述の通り彼とはオフィスでよく世間話をしたので普通ではなかなか聞けないドイツ人のホンネを聞く事が出来ました。以前の投稿"ドイツ人の特徴"でもお話しした様にドイツ人はオフィスでは全神経を集中して仕事をするのを好むのですが、彼は嫌な顔をせずに私との世間話に付き合ってくれました。

そんな彼でしたがその協調性や愛想の良さはあくまでも"ドイツ人にしては"と言う前提でした。彼と同じタイミングでイタリアの支店でもイタリア人マネジャーを採用したのですが、このイタリア人マネジャーはラテン系らしい愛想の良さでロンドン本社での評判は上々でした。彼はドイツ人らしいストレートな物言いだったのでロンドン本社での受けはイタリア人マネジャーの方が良かったのです。彼はロンドンの会議から戻るといつもイタリア人マネジャーのいい加減さに文句を言っていました。ところがそれから数年後にそのイタリア人マネジャーはトラブルを起こして会社を辞めて行きました。やっぱり日本企業には真面目なドイツ人の方が合う様です。ドイツ人と日本人の間だけで通じるジョーク「次はイタリア抜きでやろうな」の通りですね。

彼との世間話で印象に残っているのは戦争に関係する話です。私がロンドン出張から戻って来て「ホテルの水回りのコンディションが悪くて参った」という話をした時に彼は「英国は爆撃されてないからね」と言いました。第2次大戦でドイツは大規模な空襲を受けたので多くの建物を更新したが英国は古い建物が残っているので水回りが悪いと言う事ですね。英国人の前では口に出来ない話です。

空襲を受けたドレスデンの街並み

実際には先にロンドンやその他の都市の空爆を行ったのはドイツ空軍で1944年以降にはV2ロケットによる攻撃もしているのですが、1941年5月以降はドイツ空軍はソ連との戦いに忙しくなって英国空爆をしなくなったのでその様な言い方をするのでしょうね。特に戦争末期は連合軍がドイツ全土を一方的に相当激しく空爆しているので彼が恨み言を言いたくなるのも分る気がします。

ドイツ空軍空襲後のロンドン西部を視察するチャーチル

敗戦国のドイツは連合軍の空爆に表立って文句を付けにくいのですが、以前の投稿"海外美術館巡り"でも触れた通りロンドン塔の破壊された箇所の看板には「ドイツのロケットにより破壊された」と書かれていました。

ロンドン塔

私の会社が業務委託していた彼の元の勤務先は従業員数千人の企業で本社はケルンにありました。彼はデュッセルドルフ支店の中に複数ある課の一つの課長職という立場だったのですが学歴はギムナジウム卒で大学は出ていませんでした。当時のドイツの大学進学率は20%程度で大卒は本社の役員など一部に限られていました。大学の前段階の学校にはギムナジウムの他に実科学校(レアルシューレ)等もあるのですがギムナジウムが最上級に位置付けられます。なのでギムナジウム卒はそこそこに高学歴という扱いでした。

ドイツの学制

ちなみにエーリヒ・ケストナーの少年向け小説「飛ぶ教室」の舞台となっているのがギムナジウムですね。ギムナジウムの生徒達のケンカ相手として登場するのが実科学校(レアルシューレ)です。

私の勤務地だったデュッセルドルフはドイツ北西部に位置するノルトラインヴェストファーレン州の州都です。"ドルフ"というのは村という意味でライン川の支流のデュッセル川のほとりの村が起源となっています。

Düsseldorfの綴りはユーウムラウトなのですがこれを英語のuで綴ると"馬鹿・間抜けの村"と言う意味になってしまうので注意が必要です。ユーウムラウトが打てない英語のキーボードの場合はウムラウトに代えて小文字のeを使います。

ドイツ西部のライン川沿岸の一帯はラインラントと呼ばれる地域で古代ローマ帝国の時代から都市が建設されドイツでは最も古くから文明が栄えた地域です。

ベルギーやフランスに隣接している事からラインラントのドイツ語にはフランス語っぽい訛りがありました。彼が"レストラン"と言う時は必ず"ラン"の部分で鼻に抜けるような発音をしていました。

ラインラントの人々にはドイツの中の先進地域だったというプライドがあるような気がします。チャーチルは「カエサルがドーバー海峡を渡った時から大英帝国の歴史は始まる」と言いました。古代ローマの都市が多くあったラインラントの人々がプライドを持つのも解る気がしますね。デュッセルドルフの南にある大聖堂が有名なケルンは古代ローマの植民都市を意味するコロニアが街の名前の語源です。英語でも植民地はコロニーと言いますね。

ケルンの街並み

ラインラントは内陸に位置する為シーフードを食べる習慣が定着していませんでした。彼は生まれてから一度も牡蠣を食べた事が無いと言っていました。カキフライも食べた事が無いと言うのです。港町のハンブルクには生牡蠣を食べさせるオイスターバーが多くありますし隣国のベルギーの生牡蠣も有名です。食文化って地方毎に違うもんだな~と思いました。

ドイツのスーパーには良い鮮魚が置いてないので私は週末にしばしばギリシャ人がやっている魚屋に鮮魚を買いに行きました。その当時から30年が経っていますので今は状況が変わってドイツのスーパーにも良い鮮魚があるかもしれませんが・・・。

ドイツ人は定時に退社する事が多いのですが彼は残業している私達日本人に気を遣ってか定時ピッタリでなく少し遅れて退社していました。ドイツ人には珍しいタイプかもしれません。でも定時から1時間以内には退社していたので仕事が溜まって来ると早朝に出社してこなしていました。米国のビジネスマンもこの早朝出社スタイルが多いみたいですね。私達日本人はいつも朝9時ぎりぎりに出社していたので世間話に邪魔されずに仕事に集中出来る事も早朝出社の理由だったかもしれません。

さて今回のドイツ人の同僚のお話はここまでです。楽しんで頂けたでしょうか。私が駐在した他の国々(インド・シンガポール・フィリピン・ロシア)のローカルスタッフについてもまた機会を見てお話ししたいと思います。それではまた。

本稿の関連動画を以下にアップしています。良ければご参照下さい。

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ドイツ、インド、シンガポール、フィリピン、ロシアに、計17年駐在していました。今は引退生活を楽しんでいます。

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