今回は私がモスクワに駐在していた2008~2014年の間に散歩しながら見たモスクワの街並みについてお話ししたいと思います。
本稿の関連動画を以下にアップしています。良ければご参照下さい。
私は平日は専ら運転手付の社有車で移動していた事もあり運動不足を解消する為に週末はなるべく散歩をするようにしていました。私はモスクワ川沿いのWTC内のサービスアパートメントに住んでいました。ソ連時代の1979年に建設されたWTCにはサービスアパートメントの他にオフィス棟とクラウンプラザホテルが在りました。
WTCを表すロシア語Центр Международной Торговлиの頭文字を取ってツェーエムテーと呼ばれていました。ソ連時代は外資系企業が事務所を置ける場所が限られており多くの日系企業がWTCに事務所を構えていました。サービスアパートメントに住んでいるのも外国人ビジネスマンとその家族でした。
私が住んでいた14階の部屋の窓からは文化人アパートが良く見えました。映画「モスクワは涙を信じない」に登場するスターリン建築の集合住宅です。マスコミ関係者などが住んでいた事から"文化人アパート"という名前が付いたようです。
モスクワ川を挟んでWTCの反対側にはこれもスターリン建築のウクライナホテルがあります。以前の投稿"ソ連崩壊の瞬間、モスクワの街にはビートルズが流れていた"でもお話ししましたが、1991年に出張でモスクワを訪れた際に訪問先のロシア企業の役員が昼食を御馳走してくれたのがこのウクライナホテルのレストランでした。私がモスクワに赴任した2008年当時は長期改装工事中で2010年にラディソン・ロイヤル・ホテル・モスクワとして営業再開しました。
WTCからモスクワ川に沿って中心部に向かうとロシア連邦政府庁舎(通称:ホワイトハウス)があります。ホワイトハウスは首相官邸となっており私がモスクワに住んでいた当時は2008~2012年はプーチンが2012年以降はメドベージェフが勤務していました。
1991年8月の保守派クーデターの際にはエリツィンがこのホワイトハウスに立て籠もり寝返ってホワイトハウスの護衛についた戦車の上に立って演説しました。
また1993年10月の政変に際してはエリツィンに敵対する議会派勢力が立て籠もりエリツィンは戦車による砲撃を指示しました。
政府の推計によると1993年10月の政変の際の犠牲者は187人(負傷者437人)という事でホワイトハウス裏の公園には犠牲者の慰霊施設がありました。
ホワイトハウス裏の公園の道を挟んだ反対側には米国大使館があります。米国大使館は広大な敷地を持っており周囲は赤レンガの塀で囲まれています。2009年7月初旬に米国大使館の前を通りかかったら6月25日に亡くなったマイケル・ジャクソンへの献花が行われていました。
米国大使館の隣が私の自宅の窓から見えた文化人アパートです。私の自宅から見えたのと反対側が正面になります。
ホワイトハウス前のノヴォアルバツキー橋を渡るとクツゾフスキー通りになります。戦車によるホワイトハウスへの砲撃はこのノヴォアルバツキー橋の上から行われました。
以前の投稿"ロシアのクリスマスは1月7日"でもお話ししましたが、ノヴォアルバツキー橋のたもとには毎年クリスマスシーズンになると大きなジェド・マロースとスネグーラチカが飾られていました。
ウクライナホテルを右手に見ながらクツゾフスキー通りを進むとバグラチオン将軍の騎馬像があります。ナポレオン軍が侵攻してきた時にロシア第2軍団を指揮した将軍です。
更に進むと対ナポレオン軍の勝利を記念して建造された凱旋門が見えてきます。
凱旋門のすぐそばには対独戦勝記念公園があります。その中心にあるのは戦勝記念塔です。塔の上端近くにあるのは3人の天使で2人の天使は下に向かってラッパを吹いています。
戦勝記念公園内には古い戦車などが並べられていました。最近はウクライナ侵攻で破壊したウクライナ軍の戦車などを展示している様です。
ロシアでは新婚カップルが市内のあちこちで記念写真を撮る習慣があるのですが、戦勝記念公園も新婚記念写真のスポットの一つらしくストレッチされたリムジンが大挙して訪れていました。
ちなみに最も人気のある新婚記念写真スポットはおそらくモスクワ大学正面の雀が丘だろうと思います。
ホワイトハウス前のノヴォアルバツキー橋を渡らずに反対側に進むと新アルバート通りになります。旧アルバート通りは新アルバート通りの南側にあります。旧アルバート通りは歩行者天国になっており飲食店や土産物店が多く集まっています。
一方の新アルバート通りはソ連時代に西側諸国に対して共産主義の成功をアピールする為のショーウインドウとして建設されたものだそうで1960年代に建てられた高層ビルが並んでいます。
この通りにある映画館"カロオクチャブリ"ではモスクワ国際映画祭が開催されます。
私は2013年に審査員特別賞を受賞した真木よう子主演の「さよなら渓谷」をここで見ました。
映画館の向かいにはカジノがあったのですが2009年7月1日から規制が強化されて廃業しました。
新アルバート通りとサドーヴォエ環状線の交差点を右に折れるとロッテホテルがあります。
ロッテは韓国の大手財閥の一つで海外でホテルチェーンを展開しています。更に進むとスターリン建築の外務省があります。
この外務省と手前の高級スーパーマーケット・アズブカフクサの間の道が旧アルバート通りの西の端になります。車は環状道路から100m位迄しか入れずその先は東の端迄歩行者天国です。
ノヴォアルバツキー橋から新アルバート通りに入らずにモスクワ川に沿って進むとガラスの歩道橋があります。
歩道橋からはこれもスターリン建築のモスクワ大学が見えます。
この歩道橋を渡るとキエフ駅があります。
ロシアでは行先を駅の名前にするのでキエフ駅からはキエフ行の列車が出ていました。モスクワには他にもサンクトペテルブルク行の列車が出るレニングラード駅などがあります。サンクトペテルブルクを始めとするロシア各地にモスクワ駅があるのですがモスクワにはモスクワ駅はありません。映画「ボーン・スプレマシー」で主人公のジェイソン・ボーンがモスクワに列車で着いたのがキエフ駅でした。キエフ駅の横にはヨーロッパデパートがあります。
新アルバート通りの東の端を右に折れると真ん中の中央分離帯部分が公園になっているゴゴレフスキー・ブールバードになります。
ゴゴレフスキー・ブールバードを抜けるとロシア正教の総本山の救世主キリスト大聖堂が見えます。「宗教は阿片」と見なすソビエト政権の下で1931年に救世主キリスト大聖堂は爆破され跡地は屋外温水プールになっていたのですがソ連崩壊後に再建されました。
右手にはエンゲルス像があります。
左に折れて救世主キリスト大聖堂の前を進むと左手にプーシキン美術館があります。
以前の投稿"ロシア人の芸術性はすごい!"でもお話ししましたがプーシキン美術館で私が度々訪れたのは、19〜20世紀ヨーロッパ・アメリカ美術ギャラリーと呼ばれる別館でした。この別館にはゴッホ、ゴーギャン、マティス、ピカソなどの印象派の作品が収蔵されています。これらのコレクションはサンクトペテルブルクのエルミタージュ美術館とモスクワのプーシキン美術館に分けて収蔵されているものです。
更に進むと左側にレーニン図書館(正式名称はロシア国立図書館)がありその正面にはドストエフスキーの像があります。
ロシアを代表する図書館の前に設置されている事から考えるとロシア人にとって最高のロシア文学者はドストエフスキーなのかもしれません。
2009年にはF1のデモ走行がありレーニン図書館前では無料で見られるというので見に行きました。目の前を一瞬の内に通り過ぎてほんの僅かしか見えませんでしたけどね。
レーニン図書館の前から右に折れて公園を横切りクレムリンの城壁に沿って進むと無名戦士の墓があります。第二次世界大戦で戦死したソ連の兵士に捧げられた戦争記念建造物です。
かつてはレーニン廟の入り口に衛兵が立って1時間毎に衛兵交代が行われていたのですが、1997年に衛兵の立つ場所をクレムリンを挟んだ反対側にある無名戦士の墓に変更しました。
無名戦士の墓を過ぎると国立歴史博物館とジューコフ元帥像があります。ジューコフ元帥は独ソ戦を指揮した司令官です。
国立歴史博物館の角を右に曲がるとロシアの道路元標ヌレヴォイ・キロメトルがあります。
その先のヴァスクレセンスキー門をくぐると赤の広場に出ます。5月9日の対独戦勝記念日に行われる軍事パレードが有名ですね。右側にクレムリンの城壁があり左はグム百貨店です。
中ほどにはクレムリンの城壁を背にしたレーニン廟があります。レーニン廟には保存処理されたレーニンの遺体が安置されています。レーニンの遺体は一般公開されているのですがいつ行っても大行列が出来ていたので私は結局見ないままに帰任してしまいました。
レーニン廟の後ろにはスターリンを始めとする12人の歴代指導者が埋葬されています。
スターリンも初めは遺体を保存処理されてレーニン廟に収められたのですが、後継のフルシチョフによる"スターリン批判"の結果レーニン廟から撤去されてその後ろ側に埋葬されました。
フルシチョフは失脚したので赤の広場の他の墓所(クレムリンの壁と英雄墓地)にすら埋葬されずノヴォデーヴィチ修道院付属墓地に埋葬されています。
赤の広場の反対側の端に見えるのが聖ワシリイ大聖堂です。その前にあるのが「ミーニンとポジャルスキーの像」です。
1612年にポーランド軍に攻められクレムリンが占拠されてしまった時にニジニ・ノヴゴロドで肉屋を営んでいたミーニンが、多額の軍資金を集めて軍隊を組織しポジャルスキー公がそれを指揮してポーランド軍を撃退しました。リューリク朝とロマノフ朝の間の大動乱期の出来事です。1818年の建立当時は赤の広場の中央にあったのですが軍事パレードの邪魔になるという事で1931年に現在の位置に移されました。
ジューコフ元帥像のところから右に折れずに直進すると革命広場に出ます。そこにあるのがカール・マルクス像です。台座にはマルクスの有名な言葉「万国の労働者よ団結せよ」がロシア語で刻まれています。
革命広場に面して歴史ある名門ホテル・メトロポールがあります。1901年創業でロシア革命後は1930年まで全ロシア中央委員会が置かれレーニンやスターリンなどのソ連最高幹部が居住し執務を行っていました。 ちなみに私はいつもこのメトロポールの中にある床屋に行っていました。何故か理由は不明ですが料金が割安だったのです。
革命広場の先にはボリショイ劇場があります。2005年から修復工事が行われ2011年に完成しました。ボリショイ劇場の隣には赤の広場のグム百貨店と並ぶ老舗百貨店のツムがあります。
革命広場からメトロポールの方向に進むとルビャンカ広場に面してロシア連邦保安庁(FSB)本部ビルがあります。昔のKGBですね。
プーチンは1975~1990年までKGBに勤務していました。エリツィンに指名されて1999年に首相になる直前はロシア連邦保安庁(FSB)長官をやってましたね。
救世主キリスト大聖堂の正面の歩道橋でモスクワ川を渡ると右手にはチョコレート工場の跡地があります。このメーカー(クラスヌィ・オクチャブリ)の製品の"アリョンカ"が独特のパッケージの絵で有名です。
工場の向こうにはピョートル大帝の像があります。ディズニーランドにあったら似合いそうな像ですが有名な彫刻家の作品だそうです。
中洲を横切ってもう一つの歩道橋を渡って少し行くと以前の投稿"海外美術館巡り"でお話ししたロシア美術に特化した美術館トレチャコフがあります。
更に南に下ると以前の投稿"ロシアのレーニン像"でご紹介したオクチャブリスカヤの交差点に出ます。交差点に面したビルに設置されたキヤノンの大きな看板が印象的だったのですがその後オーストリアの銀行ライファイゼンバンクの看板に変わっていました。ライファイゼンバンクはポートフォリオに占めるロシア事業の割合が大きいので対応に苦慮しているようですね。
交差点の近くのモスクワ川沿いにはゴーリキー公園があります。
さて今回のモスクワ散歩のお話はここまでです。楽しんで頂けたでしょうか。まだロシアがG8メンバーだった時期のモスクワの街の風景を思い出すと今のロシアが残念でなりません。時を戻す事が出来ないのが本当に悔しいですね。今回触れられなかったモスクワの街並みのその他の場所についてはまた機会を改めてお話ししたいと思います。それではまた。
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