やがて哀しき外国語 - 海外駐在員にとっての英語 - シングリッシュの勧め

05/07/2024

その他

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今回は村上春樹氏のエッセイ「やがて哀しき外国語」のオマージュとして日本人にとって"英語を使う"というのはどういう事なのか自身の経験を通して感じるところをお話ししたいと思います。

本稿の関連動画を以下にアップしています。良ければご参照下さい。

https://youtu.be/I3k6_CPufXg

「やがて哀しき外国語」は村上氏がプリンストン大学に招聘されて1990~1993年に米国で暮らしている間に書かれたエッセイ集のタイトルで、その中に収められた一つのエッセイのタイトルでもあります。

村上氏はサリンジャーの"キャッチャー・イン・ザ・ライ"やフィッツジェラルドの"グレート・ギャツビー"をはじめ多くの米国文学作品の翻訳をしており、私などより遥かに英語が堪能なのは間違いないところですがエッセイの中で「自分にとって自明性を持たない言語に何の因果か自分がこうして取り囲まれているという、そういう状況自体がある種の哀しみに似たものを含んでいる」と述べています。

この"やがて哀しき外国語"というフレーズが妙に心に引っ掛かっていたので今回この投稿をしました。

私は1991年から2014年にかけてドイツ・インド・シンガポール・フィリピン・ロシアの5ヵ国に計17年駐在していたのですがその間仕事では専ら英語を使っていました。私が駐在した5ヵ国に共通しているのは英語を母語とする国ではないという事です。但しインド・シンガポール・フィリピンの3ヵ国は法律も英語で書かれており多くの人が英語を話します。

私が勤務していたニューデリーの職場ではインド人従業員同士はヒンズー語で会話していました。シンガポールの職場ではほぼ全てのローカルスタッフが中華系だったのでローカルスタッフ同士は中国語で会話していました。私は中国語が出来ないので判らないのですが北京語ではなく福建語だったのかもしれません。フィリピンではローカルスタッフ同士の会話はタガログ語でした。私の推測ですが彼らは家庭での会話でも英語は使っていないと思います。但しインド・シンガポール・フィリピンの何れでも会議などで一人でも日本人が参加すると全員が英語を話してくれました。母語ではないものの英語を使うのに不自由を感じる事は無いという事だと思います。

この英語を母語とするかどうかというのは英語を話すスピードに関係している様に思います。なので米国人や英国人と比べるとゆっくり話してくれるので聞き取り易くなります。ドイツ人やロシア人の場合は更にゆっくりになるので大変楽です。TVのニュースで時々見るノルウェー人のストルテンベルグNATO事務総長やベルギー人のフォン・デア・ライエンEU委員長、ポルトガル人のグテーレス国連事務総長のスピーチなども聞き取り易いですね。



しかし「そう単純な話でもないのかな」と思う事もありました。インドで仕事の関係でスイスジャーマンと英語で話をする機会があったのですが、私にとっては物凄く聞き取り易いドイツ語訛りの英語を私の同僚の日本人は「良く聞き取れない」と言ったのです。彼は米国の大学に留学してMBAを取得していたからか「米国人の英語の方が聞き取り易い」と言うのでした。私はドイツに駐在していたのでドイツ語訛りの英語に慣れていて聞き取り易かったのですが彼にとってはそうではなかったという事です。私は米国訛りの早口の英語を聞き取るのにいつも苦労していたので彼の発言は意外でした。

私はドイツとロシアに駐在していた時は欧州統括本部がロンドンに置かれていた関係で年2~3回はロンドンでの会議に出席していたので、今でも米国人の英語よりは英国人の英語の方が聞き取り易いと感じます。そうは言ってもネイティブスピーカーの早口の英語はやっぱり苦手ですが。

インド人の英語は独特の訛りがあって慣れないと聞き取りが難しいところがあります。シンガポール人の話す英語であるシングリッシュにも独特の訛りがあります。両者に共通する特徴の一つは"th"を"t"と発音する事です。例えば"think"は"ティンク"と発音します。この"th"の発音は日本語には無いので正確な発音が面倒くさいと感じる日本人が"think"を"スィンク"と発音したりしますが、そうすると"沈む"と言う意味の"sink"になってしまうので意味が通じなくなります。確かに日本人にとって"th"を正確に発音する事は結構面倒くさいので省略する場合は"s"ではなく"h"を取って"t"のみの発音にする方が通じ易いですね。道具として英語を使いこなす上では無理をしてネイティブの発音を目指すよりも"相手に理解されれば良い"と割り切る方が楽です。

映画スターウォーズでは人間の姿をした登場人物は反乱軍はアメリカ英語、帝国軍はイギリス英語を話します。人間の姿をしていない宇宙人は訛りの強い英語を話すのですが"ニモーディアン"という宇宙人の英語だけは物凄く聞き取り易いのです。彼等が話しているのは日本訛りの英語だからです。スターウォーズを見るとネイティブスピーカーが訛りのある英語をどの様に聞いているのか分かる気がします。

ニモーディアン

話をシングリッシュに戻すと中国語には時制が無い事からシングリッシュでは常に現在形が使われます。例えば"I go there yesterday" "I go there tomorrow"といった具合です。"I went there yesterday"とか"I will go there tomorrow"とは言わないのです。学校で英文法を中心に学習する日本人からすると無茶苦茶に感じますが道具として英語を使いこなすという観点ではシンガポール人の方が日本人の遥かに上を行っていると思います。

インド・シンガポール・フィリピンを比べるとフィリピン人の話す英語が一番綺麗なようです。おそらくそれが理由でセブには多くの外国人向け英語学校があります。日本の外務省がフィリピン全土にレベル1(十分注意)の危険情報を発出しているせいか日本からセブの英語学校に行く人は限られているのですが韓国はその様な危険情報を発出していない為多くの韓国人の若者がセブの英語学校に通っています。韓国では財閥系の大企業に就職するには英語が堪能である事が必須条件となっている事もあって英語教育に熱心なのです。

私がモスクワで会ったサムスングループ企業の駐在員から聞いたところによればサムスングループに就職する為にはTOEIC900点以上でなければならないそうです。その韓国人ビジネスマンは私と同じ位の年齢だったのですが「今だったら私はサムスングループに就職出来なかった」と言っていました。2006年にフィリピンで会った30歳位の韓国人ビジネスマンは韓国から出張でフィリピンに来ていたのですが、カナダの大学に留学経験があるという事で確かに英語が堪能でした。そんな状況なので安く英語の勉強が出来る場所としてセブが韓国の若者に人気となっているようです。

最近日本で流行っているオンライン英会話レッスンでもフィリピン人の先生が多くいますね。オンラインならフィリピンにいる先生のレッスンを受ける事も出来ますし、時差も1時間ですから便利ですね。

インド・シンガポール・フィリピンは英語は母語ではないものの多くの人が母語に準ずる言語として使用しているので、彼等の英語の聞き取り能力は平均的な日本人のそれを遥かに上回っていました。私はフィリピンに駐在していた時、ショッピングモールに隣接したサービスアパートメントに住んでいた為、そのショッピングモール内のシネマコンプレックスによく映画を見に行っていました。フィリピンでは字幕を付ける必要が無いのでハリウッド映画が日本より早いタイミングで封切られていました。


私にとっての問題は英語の聞き取りでした。英語の聞き取りの難易度にはシチュエーション毎に明確なランクがあります。一番簡単なのは1対1の仕事に関する会話です。仕事に関するテクニカルタームは共有されていますし聞き取れなかった時に質問をする事も簡単です。相手もこちらの反応を見ながら話してくれるので判り難い部分を言い直したりゆっくりと話したりしてくれます。同じ1対1でも電話の場合はお互いが見えない分やや聞き取りの難度が上がります。対面での仕事に関する会話でも会議など話に参加する人数が増えると難易度が上がります。

仕事の話より難しいのは世間話です。仕事の様にテクニカルタームが共有されないので自分の知らない単語が出て来る可能性が高まるからです。

自分が会話に参加しない場合は更に難易度が上がります。米国の政治家のスピーチはその中では比較的聞き取り易い方です。ヒスパニック系の移民など英語が堪能でない人々にも判る様に話すからかもしれません。TVのニュース等もアナウンサーが明瞭に喋ってくれるのでまだましです。

聞き取りが一番難しいのが映画やTVドラマなのです。ネイティブスピーカー用に作られているので速い上にネイティブならではの慣用句を多用するので単語が分かっても意味が分からなかったりします。台詞ですからアナウンサーのようにはっきり喋らない事も多くあります。なので私がフィリピンの映画館で映画を見ている時には細かな台詞を聞き逃す事がよくありました。私がショックを受けたのは登場人物がジョークを言って私が分からなかったのに映画館にいる他の観客がみんな笑っていた時でした。当時映画の入場料は100ペソ(約180円)と大衆的な料金設定で観客の中には富裕層とは言えなさそうな中高生位の子供も多くいました。インド・シンガポール・フィリピンの人々にとって英語は母語ではないものの道具として英語を使いこなす能力は相当高いと思います。

私が海外の英語学校に行く機会を得たのは1987年でした。会社が社内で公募していた"海外短期研修"に行かせて貰える事になったのです。自由な研修テーマを設定して予め人事部に報告し帰国後にレポートを提出する前提で6週間の研修期間中に世界中のどこに行っても良いというものでした。

私はそれまで仕事で海外との関りが一切無かった事もあり英語に不安があったので、研修の初めの2週間を英国で英語学校に通うのに充てる事にしました。私が行ったのはブライトンの英語学校でした。ブライトンはロンドンの真南の海沿いにある街です。ロックバンド・ザ・フーの2枚組アルバム「四重人格」を原作とする映画「さらば青春の光」の舞台となった街ですね。

当時学生が夏休みなどに英国の語学学校に行く場合は午前中のみ授業で午後は自由だったりしたのですが、会社が紹介してくれた語学学校は午前9時から午後5時までびっちりと授業があるものでした。

同じクラスには私以外に日本人はおらず他の生徒はスペイン人・イタリア人・フランス人などでした。また学校に通う2週間の間は学校から紹介されたブライトンの一般家庭にホームステイしました。なのでこの2週間は完全に日本語から隔絶されて英語でのコミュニケーションに追い込まれる生活となりました。

8月中旬の土曜日に成田からアンカレッジ経由のJALでロンドンに入って一泊し、翌日曜日にビクトリア駅からSouthern Railwayでブライトンまで移動してブライトン駅で出迎えてくれたホストファミリーと合流しました。



ホストファミリーはいつも英語学校の生徒を受け入れているので英語が下手な外国人と話す事に慣れており会話は楽でした。家に着くと歓迎のバーベキューパーティーで早速世間話が始まり家族の話になりました。私は前月に次女が生まれたばかりだったのでその話をするとホストファミリーの夫婦は次女の名前とその意味を訊いてきました。次女の名前は"薫"というのですが意味を訊かれて私は「花の香り」と答えようとしました。そこで私は少し逡巡しました。"smell of a flower"という英語しか思い浮かばなかったのですが"smell"は悪い臭いのイメージだったからです。残念ながら他の単語が思いつかなかったのでやむなく"smell of a flower"と言ったのですが、ホストファミリーは直ぐに"Oh! Scent of a flower"と言い直してくれました。お陰で私はそれ以降は良い香りの事は"scent"と言えるようになりました。

このホストファミリーとの会話は学校の授業以上に勉強になるものでした。

もう一つ印象に残っているのが否定疑問文です。ある日の朝食の時に奥さんが私に笑いながら"Don't you like my cooking?"「私の料理が好きじゃないの?」と問いかけました。私は"No. Not at all."と答えました。私としては「全然そんな事無いですよ。好きですよ。」と答えたつもりだったのですが奥さんは戸惑った様な表情を浮かべました。私はその時はそのまま遣り過してしまったのですが学校で授業を受けている最中に否定疑問文の回答を間違えていた事に気付いたのです。私は"No"ではなく"Yes"と答えなくてはいけませんでした。私は学校から戻ると直ぐに奥さんのところに行って否定疑問文の回答を間違えた事を説明して謝りました。奥さんは私が答え方を間違えたのをずっと気にしていた事に驚いて喜んでくれました。私はそれ以来、否定疑問文の回答には気を付ける様になりました。否定疑問文に答える時には"yes""no"を言わずに答える様にしたのです。"Don't you like my cooking?"に対しては"Of course I like your cooking very much."という具合です。

英語学校の後の4週間の自由研修で私は米国に行ったのですがそこで会った米国現地法人の社長の英語の話し方は大変印象的でした。

私が勤務していた会社の100%子会社である米国現地法人に日本から派遣された社長だったのですが英語の話し方が堂々としていました。ネイティブスピーカーの様に話したくて一所懸命それらしい発音の早口で無理をして英語を話している日本人を時々見ますが、その社長はゆっくりとした自然な話し方で発音にも無理をしている感じが全くありませんでした。日本語も比較的ゆっくりと話す人だったので同じ様な感じで英語を話している雰囲気でした。話の内容は的確でかつユーモラスだったので米国人スタッフの受けも良く尊敬されていました。その人の影響もあって私は無理をせずに自然体で英語を話す事を心掛ける様になりました。

さて今回の英語に関するお話はここまでです。楽しんで頂けたでしょうか。最後におまけでロシアで警官に難癖をつけられた時に逃れる為の会話術についてお話ししたいと思います。

以前の投稿"最強の反社は警察"でお話しした様にロシアでは警官が路上で外国人に職務質問して、パスポート不携帯や滞在許可関係書類の不備を見つけまたは不備が無くても難癖をつけてカネを要求する事が行われていました。

こういった警察官に遭遇した場合に難を逃れる方法としてドイツ人の知人が教えてくれたのが「月曜日ではありません」と言うというものでした。ロシア語で「解りません」は「ニエ・パニマーユ」と言うのですがそれを「ニエ・パニジェーリニック」とわざと間違えるのです。"パニジェーリニック"は月曜日という意味です。警官に何を言われても警官が諦めるまで「月曜日ではありません」と繰り返す訳です。"パニジェーリニック"の代わりにトマトという意味の"パミドール"を繰り返すという手もあるという事でした。今回は英語でしたがロシア語についてもまた機会を改めてお話ししたいと思います。それではまた。

本稿の関連動画を以下にアップしています。良ければご参照下さい。

https://youtu.be/I3k6_CPufXg

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ドイツ、インド、シンガポール、フィリピン、ロシアに、計17年駐在していました。今は引退生活を楽しんでいます。

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