インドの財閥 - インド経済を牽引する人々 - パルシー マルワール商人 グジャラティ

07/06/2024

インド

t f B! P L

今回は成長著しいインド経済を牽引するインドの財閥についてお話ししたいと思います。

本稿の関連動画を以下にアップしています。良ければご参照下さい。

https://youtu.be/RTnwjV_as2Q

以前の投稿"モディ首相のインド"ではグローバルサウスのリーダーとして注目を集めているインドと、2014年から10年に亘ってインドの首相の座にあるモディ首相についてお話ししました。インドは2025年にはGDPで日本を抜いて世界4位に2027年にはドイツも抜いて世界3位になると予測されています。

インドにはタタ・ビルラ・リライアンスの3大財閥とそれに続く中堅財閥があります。タタとビルラは英国統治時代の19世紀に創業した歴史ある財閥ですがリライアンスは1958年に創業した新興財閥です。中堅財閥も英国統治時代創業とインド独立後創業が混在しています。

英国統治時代に創業した財閥の多くは綿取引を起源としています。

産業革命により急速な工業化を遂げていた英国企業は南北戦争の影響で米国からの綿供給が妨げられるようになると代替供給元としてのインドに注目しました。英国企業はインド商人に支援を求めたのでこの商業的機会に機敏に反応したインド商人は取引を請負い財を蓄えました。資金を手にしたインド商人はやがて自らが綿紡績に進出し更なる事業拡大の為に自身の家族や近親を経営層に組込んで今日のインドの財閥を形成したのです。

インドを代表する財閥と言えばやはりタタですね。インド最大の財閥です。2008年にフォードモーター傘下だった英国高級車ブランドの"ジャガー"と"ランドローバー"を買収して話題となったのでご存じの方も多いと思います。

ペルシャからインドに渡ったゾロアスター教徒のパルシーの子孫であるジャムシェトジー・ヌッセルヴァーンジー・タタ(以下JNタタ)が1868年にボンベイで設立した綿貿易会社がタタ財閥の始まりです。

パルシーとはヒンズー語でペルシャ人の意味です。インド国内では少数派ながら富裕層が多く社会的に活躍する人も多くいます。少数派だけど社会的に活躍しているのは以前の投稿"シーク教指導者殺害事件"でお話ししたシーク教徒と似ていますね。ちなみにクイーンのボーカリストだったフレディ・マーキュリーの両親もパルシーです。

ゾロアスター教で特徴的なのはその葬送です。遺体を埋納せず野原などに放置し風化ないし鳥がついばむなど自然に任せるのです。ムンバイはインドにおけるゾロアスター教の中心地なので鳥葬を行う施設"沈黙の塔"が市内の森の中にあります。

森と言っても縦横300m位の小さな公園で周囲には普通の街並が広がっています。

ムンバイのサービスアパートメントに住んでいた私の知人(日本人)は付属するスイミングプールにカラスが毎日来て水を飲んでいるのを見て、「死体をついばんだカラスかもしれない」と言ってそのプールには絶対に入りませんでした。

さて話を戻すと1868年にボンベイで綿貿易会社を設立したJNタタはその後綿紡績に事業を拡大しインド有数の民族資本家となりました。彼は大きな製鉄所・世界的な教育機関・大ホテル・水力発電所等をインドに建設することを夢見たのですが、それらの中で生前に実現したのは1903年にボンベイに建てられたタージマハル・ホテルのみでした。

タージマハル・ホテルはインドを代表する高級ホテルです。JNタタは当時ボンベイで最大のホテルだったワトソンズ・ホテルに入ろうとして白人専用である事を理由に立ち入りを拒否され、これに怒ってもっと豪華なホテルをインド人の手で築こうとしたのだそうです。

2008年のイスラム過激派によるムンバイ同時多発テロの際にはタージマハル・ホテルも占拠されました。2010年には米国オバマ大統領が宿泊し「テロとの戦いで米国とインドは一体だ」との声明を発表しました。ちなみにオバマ大統領が宿泊した際にはテロリストのミサイル攻撃に備えて米海軍のイージス艦が沖合に停泊していたそうです。

JNタタが綿紡績の次に事業拡大のターゲットとしたのは製鉄でした。JNタタは1904年に志半ばにしてこの世を去り長男ドーラブが事業を継承して1907年にタタ製鉄を設立します。

欧米から最新設備を購入し製鉄所建設に4年を費やして1911年に操業を開始しました。この製鉄所は当時の官営八幡製鉄所をやや下回る規模で世界的な規模の製鉄所でした。

1914年に第一次世界大戦が勃発するとインドでは鉄鋼の輸入が完全に途絶え供給不足に陥りました。これがタタ製鉄を大きく飛躍させる事になります。2007年には英蘭系鉄鋼大手コーラス社を120億ドルで買収し2019年の粗鋼生産量ランキングでは世界9位になっています。

タタ製鉄が自身より遥かに規模の大きいコーラス社を買収した事で"小が大を飲む"買収として話題になりました。インドの中堅財閥であるミタル財閥が傘下の世界一の粗鋼生産量を誇るアセロールミタルの更なる拡大を目指してタタ製鉄に敵対的買収を仕掛ける動きを見せていたので防衛の手段としてコーラス社買収を行ったようです。

タタは2022年に国営航空会社エアインディアを買収したのですがこれは元々タタ航空だったものです。

タタ航空は1932年に設立されたのですが1948年に国有化されていました。

1947年に英国から独立したインドで初代首相に就任したネルーは国家が経済を主導する計画経済を推進したのです。公企業拡大優先の混合経済体制の下で財閥は政府による様々な規制や干渉を受け隠忍自重を強いられました。この状況が変わったのは1991年です。政府の経済改革によって規制緩和が図られ民間部門の活動範囲が広がりました。この節目の年である1991年にタタ財閥5代目会長に就任したのがラタン・タタです。ラタン・タタはタタ財閥創業者JNタタの次男の孫にあたります。

タタ財閥は初代のJNタタから5代目のラタン・タタまで分裂する事無く続いているのですがこれはインドの財閥では稀有な事です。インドの相続法では父系制家族制度の下で同一世代の男子の間で財産を均等分割すると定められています。その為インドの財閥では後継者による中核企業のトップ・マネジメントを巡る争いや企業経営のあり方の違いで分裂する事例が多く存在するのです。何故タタ財閥でこの様な分裂が起きなかったのかは定かではないのですが2代目以降の会長に男子が生まれなかった事が理由かもしれません。ちなみにラタン・タタは未婚の独身で子供はいません。

ラタン・タタは2012年に会長を辞任しタタ・グループの筆頭個人株主パロンジ・ミストリーの息子であるサイラス・ミストリーを後継者とします。

サイラス・ミストリーはパルシーで姉がラタン・タタの異母弟に嫁いでいました。ところが2016年にサイラス・ミストリーは解任されラタン・タタが会長に復帰して再度後継者探しを行う事となります。詳細は不明ですがサイラス・ミストリーがラタン・タタの意向を無視して勝手に物事を進めようとした事がラタン・タタの逆鱗に触れたのではないかと思います。

2017年にタタ財閥の主要企業の一つであるIT企業タタ・コンサルタンシー・サービシズ(TCS)のCEOだったナタラジャン・チャンドラセカランが後継会長に指名されます。

チャンドラセカランは1987年にタミル・ナドゥ州の工科大学を卒業してTCSに入社した生え抜きの人物で、タタ財閥では初のタタ家と血縁関係の無い非パルシーの会長となりました。ラタン・タタはかねてより「後継者は同族・パルシーである必要はない」と言っていたとの事で、この新会長指名がタタ財閥を近代的な国際的企業グループへ脱皮させる事になるのかもしれません。

現在のタタグループ企業で株式時価総額が最大なのはTCSです。世界46カ国に60万人超の社員を擁しておりIBM・Accentureと並んで「ブランド価値の評価額が100億ドルを超える世界3大ITサービス企業」の1社に選ばれています。

その他の主要グループ企業としては前述のタタ・スチールとタタ・モーターズがあります。もう一つ忘れてはならないのが電力会社のタタ・パワーです。

以前の投稿"海外IPP"でもお話ししましたがインド全土が電力不足で計画停電を実施していた時でもタタ財閥の本拠地であるムンバイだけは電力不足が無く計画停電を実施していなかったのです。

タタ財閥は全体としては好調を続けているのですが中には失敗した事業もあります。その筆頭はタタ・モーターズで2009年に発売した乗用車"ナノ"です。

"ナノ"は「自動二輪に5人家族全員が乗っている様な人達の為の移動手段に」とラタン・タタの熱い思い入れでスタートした事業でした。

当時インドで最も安価な乗用車は20万ルピー(当時の為替レートで約56万円)で販売されていたスズキの"マルチ800"でした。"マルチ800"は1979年に日本で発売されて大人気となった軽自動車アルトのエンジンを800ccにアップしたものでした。

以前の投稿"スズキの海外展開"でお話しした様にスズキは今でもインドの乗用車市場でトップシェアを堅持しています。"ナノ"は"マルチ800"の半分の10万ルピーの4ドア乗用車で3~4万ルピーの自動二輪からの乗り換え需要を狙ったのです。

鈴木修さんはラタン・タタの構想に対し「10万ルピーの車は非現実的」と発言していました。私が以前会ったトヨタの人は「"良い車を安く作る"技術でトヨタは他社に負けないが"そこそこの車をもっと安く作る"技術ではスズキに敵わない。」と言っていました。結局"ナノ"はインドの消費者を満足させる品質と価格のバランスにおいてマルチ800に敵わなかったと言う事でしょうね。"ナノ"は2009~2016年まで販売されたのですが生産コストは常時販売価格を上回ってしまい大赤字だったそうです。

もう一つの失敗は携帯電話サービスプロバイダーのタタ・テレサービシズです。こちらにはNTTドコモが関係しています。NTTドコモは2009年にタタ・テレサービシズに約2600億円を出資するのですが、インドでの競争は激しく収益は悪化し2014年にインドからの撤退を決定、ドコモとタタは提携を解消する事で合意します。

ドコモは出資した時に取り交わした合意文書に基づきタタ財閥にタタ・テレサービシズの株式買取を要求したのですが、要求は容れられずドコモはロンドン国際仲裁裁判所に仲裁を申し立て最終的に出資の半額の1300億円を取り返すのに3年を要しました。インドではたとえ契約で定められていたとしても誰かにカネを払わせるのは容易ではないのです。ちなみにタタの携帯電話サービスプロバイダー事業は2019年に業界首位のバルティ・エアテルに吸収合併されています。

3大財閥の内のもう一つビルラ財閥も英国統治時代創業の財閥です。ビルラ財閥の創始者シブ・ナラヤン・ビルラはラジャスタン州マルワール地方ピラニの出身です。このマルワール地方出身の商人は"マルワール商人(マルワリ)"と呼ばれ多くの財閥を形成しています。

マルワール商人

シブ・ナラヤン・ビルラは1860年に綿貿易を始めます。創業はタタより数年早いですね。シブ・ナラヤン・ビルラが綿貿易の次に取り組んだのは中国向けのアヘン輸出でした。英国が中国から茶と絹を輸入するのに支払う銀をインド経由で回収する為にインドからアヘンを中国に輸出した"三角貿易"ですね。アヘン戦争の原因になった貿易形態です。このアヘン輸出で築いた巨万の富がビルラ財閥の基です。

シブ・ナラヤン・ビルラは子供がいなかったので養子を迎えるのですが養子のバルデブ・ダス・ビルラには4人の息子がいたので財閥は分裂して行きます。現在のビルラ財閥は6つ以上の小さな財閥の集合体です。

3大財閥の残る一つリライアンスは1932年にグジャラート州の寒村に生まれたディルバイ・アンバニが1958年に友人と一緒に始めたスパイスとポリエステル糸の貿易をするベンチャー企業が始まりです。

1965年にパートナーシップを終了しディルバイはポリエステル事業を継続しました。1966年にはグジャラート州アーメダバード郊外に小さな合成繊維工場を建設して貿易から製造業に進出します。

更に化学繊維の原料としてサプライチェーンの川上である石油化学に進出し垂直統合を目指しました。

2002年にディルバイ・アンバニが亡くなった時点でリライアンスの事業領域は電力・天然ガス・エンターテイメント・電気通信・マスメディア・金融・建設・ヘルスケア・航空・運輸と拡大していたのですが二人の息子によって事業が分割されました。

3大財閥に続く中堅財閥の筆頭はアダニ財閥です。財閥の創業者ゴータム・アダニは1962年グジャラート州アーメダバードに生まれました。1986年に貿易自由化の波に乗ってプラスチック商社"アダニ・エージェンシー"を設立したのがアダニ財閥の始まりです。

創業当時は小さな貿易会社に過ぎなかったのですが現在では港湾管理から鉱業・発電・送電・再生可能エネルギ空港運営・天然ガス・食品加工・インフラ等、多様な事業を展開し3大財閥に並ぶ財閥となりました。40年弱でここまで成長した理由は偏に創業者であるゴータム・アダニ会長の才覚にあると言えそうです。

この様にわが世の春を謳歌していたアダニ財閥でしたが2023年1月に激震に見舞われます。米国の投資会社"ヒンデンブルグ・リサーチ"がアダニについて「長年に亘っての株価操縦やタックスヘイブンを利用した不正会計があった」とするレポートを発表したのです。グループ各社の株価は3週間で最大60%も下落し疑惑浮上前に約2200億ドルあったグループの時価総額は半分以下に目減りしました。ヒンデンブルグはアダニ・グループ株への"空売り"を公言しておりレポートには胡散臭い印象もあります。

リライアンスでも1988年に株式市場操作疑惑がありました。

これらのスキャンダルを聞いて私が思い出すのはインドに駐在していた2000年にニューデリーで面談した日本の大手生保の役員の話です。その役員は有価証券の運用責任者で運用ファンド総額は30兆円との事でした。その人は新たに投資を検討しているインド企業の本社を訪問して経営陣のインタビューを行う為にインドに出張して来ていたのです。投資対象となるインド企業はニューヨーク証券取引所に上場している会社で、インド企業に投資するのだけれどもインドの株式市場は信用していないのでニューヨーク証券取引所で株を買うという事でした。

中堅財閥の中にも日系企業との関係が深いところが幾つかあります。ラーセン&トゥブロはエンジニアリングと建設部門に強みを持つ財閥でコマツ・三菱日立パワーシステムズと夫々合弁事業があります。ラーセン&トゥブロは1938年にボンベイでラーセンとトゥブロと言う二人のデンマーク人技術者により設立されました。

ヒーロー財閥は以前の投稿"ホンダの海外展開"でもお話ししたホンダと合弁の自動二輪製造会社ヒーローホンダを傘下に持っていた財閥です。合弁解消後はヒーローモトコープと社名を変え今でも自動二輪販売台数でトップを維持しています。

日本製鉄は2019年にアセロールミタルと共同でインド第4位の製鉄企業だったエッサールスチールを買収しました。それに先立つ2014年には両社でドイツ・ティッセンクルップの米国アラバマ州の製鉄所を買収しています。

アセロールミタルのCEOでミタル財閥のトップであるラクシュミ・ミタルは1950年にラジャスタン州サードゥルプルと言う小さな町でマルワール商人の家庭に生まれ、1代で世界最大の鉄鋼会社アセロールミタルを擁するミタル財閥を築き上げました。

さて今回のインドの財閥のお話はここまでです。楽しんで頂けたでしょうか。インドにおいては財閥が国民経済に占める比重が大きくインド財閥はインドの経済発展に極めて重要な役割を果たしています。モディ首相は上手く財閥を使いながらインド経済を発展させていると思います。インド経済発展の陰には海外のIT企業で活躍する印僑の影響もあると思うのですが今回はそこまで踏み込んだ分析には至りませんでした。そのあたりはまた機会を改めてお話ししたいと思います。それではまた。

本稿の関連動画を以下にアップしています。良ければご参照下さい。

https://youtu.be/RTnwjV_as2Q




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ドイツ、インド、シンガポール、フィリピン、ロシアに、計17年駐在していました。今は引退生活を楽しんでいます。

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