今回は私の駐在した国々(ドイツ・インド・シンガポール・フィリピン・ロシア)の日本人駐在員のゴルフ事情についてお話ししたいと思います。
本稿の関連動画を以下にアップしています。良ければご参照下さい。
海外駐在員の多くはゴルフをします。ゴルフをしない人は少数派です。多くの国では日本国内より手軽にゴルフが出来る、という事があるのかもしれません。その他にも、日本人コミュニティのお付き合いとか、国によっては他にやる事が無いとか、理由はいくつかあります。そんな背景もあって海外駐在員にはゴルフに熱心な人が多くいます。
私の初めての海外赴任地であったドイツは、当時も今もゴルフがあまりポピュラーではない国です。私がドイツに駐在していた1991~1995年当時、デュッセルドルフとその近郊には約1万人の日本人が住んでいて、その大半は駐在員とその帯同家族でした。前述の通り海外駐在員にはゴルフフリークが多いのですが、デュッセルドルフ周辺にはゴルフ場は殆どありませんでした。なので日本の廣済堂が街の中心部から東へおよそ13kmのフッベルラート(Hubbelrath)にゴルフコースをオープンしていました。
廣済堂は2008年にゴルフ場をドイツ人オーナーに売却してしまったのですが、今でも廣済堂インターナショナル・ゴルフクラブという名称はそのままに営業しています。私も駐在期間中に何回か廣済堂でプレーする機会があったのですが、日本式の大浴場を備えているのに驚いたものです。
私はドイツ駐在中はあまり熱心にゴルフをする方では無かったのですが、デュッセルドルフにも毎週末にゴルフをする熱心な日本人駐在員が大勢いました。たった一つのゴルフ場ではそのような人達のニーズに応えるには不十分だったので、多くの人がベルギーやオランダまで出かけて行ってゴルフをしていました。オランダの国境までは車で60分、ベルギーでも70分くらいなのでドイツ国内の少ないゴルフ場を探すよりも簡単なのです。当時デュッセルドルフの日本人コミュニティで流行っていた珍曲"土曜日はインマーマン"の中にも、「ダンナはダンナでドイツを抜け出してはオランダあたりでゴルフクラブ振り回して・・・」という歌詞が出て来ます。
そういったゴルフフリークの日本人駐在員が金曜の夜に集まっていたのが、インマーマン通りから一筋入ったクロスター通りにある"やばせ"という日本食レストランでした。そこで週末一緒にラウンドするメンバーを募っていたのです。
私は次の駐在地インド・ニューデリーでは毎週末必ずゴルフをやるようになりました。娯楽の少ないインドではゴルフ以外にやる事が無かったのです。「土日と祝日は全てゴルフをやる」というような熱心な人も多くいましたが、私は元々そんなにゴルフ好きでない事もあり土日のどちらかはゴルフをせずにノンビリする日にしていました。
インドは英国の植民地だった事から歴史あるゴルフコースが幾つかあります。その一つがデリーゴルフクラブでした。デリーゴルフクラブは1911年英国が首都をカルカッタからデリーに移した時に設立されました。私はニューデリーの中心部にあるインドの名門ホテル"オベロイ"のスイートルームを事務所としていたのですが、デリーゴルフクラブはその"オベロイ"に隣接していました。東京で言えば日比谷公園がゴルフ場になっている様な感じでしょうか。
法人メンバーシップを持っている企業では駐在員が交代する都度名義を書き換えるのですが、新たにメンバーとして登録される為には審査員と一緒にラウンドして審査を受ける必要がありました。スコアが一定のレベルを超えてしまうとメンバーになれないのです。そこはインドらしく、スコアが悪くても審査員に賄賂を渡せばOKという事でした。
ちなみに私が1年弱駐在したシンガポールの名門ゴルフクラブであるシンガポール・アイランド・カントリークラブ(SICC)でも、同様の審査があるのですがシンガポールでは賄賂が使えないので法人メンバーシップの名義変更で苦労する日本人駐在員の話を聞きました。
私が駐在していた時は名門だけれどもボロボロといった感じのデリーゴルフクラブでしたが、現在では綺麗に整備され新たにメンバーシップを得るには50年以上待たねばならないそうです。
私が駐在していた時期はニューデリー近郊で幾つかの新しいゴルフコースがオープンしており私はそれらの一つクラシックゴルフのメンバーでした。
クラシックゴルフはジャック・ニクラウスの設計で18ホールのチャンピオンシップコースと9ホールのキャニオンコースがありました。やはり各プレーヤーに一人ずつ男のキャディが付くのですが、デリーゴルフクラブと違うのは、キャディがゴルフ場の近くに住む若い男の子だった事です。ゴルフ場の周辺には牛の糞で塗り固めた電気も無い掘立小屋のような家が沢山あり、そういった所に住んでいる10代半ば位の男の子がアルバイトでキャディをしていたのです。
彼らの多くは英語を全く理解しませんでした。英語の数字すら解らなかったのです。なので"5アイアン"と言っても通じないのでプレーヤーは自分でゴルフバッグからクラブを取る必要がありました。またゴルフのルールを解っていないので150ヤードのショートホールでもティーグラウンドでドライバーを渡してきたりしました。彼らは物凄く目が良いのでボールの行方を見るのは得意でした。但し時々他の事に気を取られて自分が付いているゴルファーがショットをするのを見ていない事がありました。ウォーターハザードに捕まった時は水を意味するヒンズー語の「パニ」谷に落ちた時は谷を意味する「ナラ」というのでそのヒンズー語だけは覚えました。
水辺にはコブラがいる事があるので近付かないようにしていました。クジャクもいて時々優雅にフェアウェイを横切ったりしました。私は遠くの自分のボールを見ながら足元を見ないでフェアウェイを歩いている時に、1mくらいあるオオトカゲを危うく踏んでしまいそうになった事がありました。
インの2番ホールは距離のある左ドッグレッグのパー3でショートカットを狙ってOBとなる人が多かったのですが、近所の子供達がそのOB球を拾い集めて柵越しにゴルファーに売っていました。
ニューデリーでゴルフをする上で大変なのは暑さです。ニューデリーは最も寒い1月には最低気温が10度を下回る事もあるのですが、2月頃から徐々に暑くなり最も暑くなる4~7月は最高気温が50度近くなります。なので2月頃から毎週ラウンドして徐々に体を暑さに慣らして行きます。そうしないと50度近い気温の中でゴルフは出来ないのです。
私は2Lの保冷水筒を持ってラウンドしていたのですが、いつも途中で飲み干してしまって2Lのミネラルウォーターを買い足していました。湿気が少ないので汗がどんどん蒸発してしまい皮膚の表面に塩がたまりました。
インドの次の赴任地のシンガポールではゴルフは殆どやらなかったのですが、その次のフィリピンでは日本人コミュニティのお付き合いでインドと同じペースでゴルフをしました。
私がメンバーシップを持っていたのはマカティの高級住宅地フォルベスパークに隣接した名門ゴルフクラブのマニラゴルフでした。
メンバーは500人位で予約という制度は無くいつ行っても殆ど待たずにプレー出来ました。私が住んでいたサービスアパートメントのオークウッドから車で5分程度の距離でした。合弁パートナーの華僑が複数のメンバーシップを持っていてその内の一つを合弁会社に貸してくれていたのです。
ちなみにマニラゴルフに並ぶ名門ゴルフクラブ"ワクワクゴルフ"は以前の投稿"小説「炎熱商人」解説&考察"で、お話しした小寺支店長が襲撃される直前にプレーしていたゴルフ場です。
私の部下の日本人駐在員が持っていたメンバーシップはカンルーバンゴルフクラブでした。
カンルーバンゴルフクラブは多くの日本企業がメンバーシップを持っていました。ちなみに三井物産の若王子支店長が誘拐されたのはこのゴルフ場の帰り道でした。
ゴルフクラブへ行く途中、道の両側に丈の高い草が茂っているところがあり、そこから誘拐犯が飛び出して車を停めたとの事でした。私は時々カンルーバンで行われるゴルフコンペに参加する為に早朝薄暗い時分に誘拐現場を通ったのですが、運転手はいつもそこに差し掛かるとアクセルを踏み込んでスピードを上げていました。
フィリピンはインドと同じくプレーヤー一人ずつにキャディが付きました。マニラゴルフはキャディの大半が男で皆ゴルフが大変上手でした。私の知人はクラブを持ってラフに打ち込んだボールを探しに行ったのですが、見つからなかったので離れたところにいたキャディにボールをくれるように頼んだところ、キャディはボールをフェアウェイに落とすとバッグからクラブを1本抜いて知人に向かって打ったそうです。ボールはちゃんと知人から離れたところに落ちて転がって足元まで来たそうです。だけど知人は怒っていました。
フィリピンでは一部の名門クラブを除くと大半のゴルフ場ではキャディは女性でした。日本人はキャディ1名しか付けないのですが地元のフィリピン人や華僑は、キャディ以外に日傘を差したり折り畳みの椅子を運んだりするアンブレラガール2名を付ける事がありました。身の回りの世話をするメイドのゴルフ場版という感じですね。プレーヤー・キャディ・アンブレラガールの合計が16人になるのでグリーン上はごった返していました。
私が2008~2014年に駐在していたロシアもドイツと同様にゴルフがポピュラーではない国です。ソ連時代にモスクワに駐在する日本人は数が少なかった事もあり殆どが総合商社やソ連に特化した専門商社などに勤務するロシア語が堪能な所謂"ロシア族"だったのですが、ソ連崩壊後の経済発展に伴って多くの日本企業が進出する様になったので、ロシア族ではない駐在員が派遣されるようになりました。
多くの日本企業ではロシア拠点は欧州HQsの傘下となっているので当初は欧州駐在経験者が多かったのですが、以前の投稿"最強の反社は警察 - ロシアの汚職(腐敗) -"でお話しした様なロシアの汚職体質に対する耐性を考慮したのか、徐々に東南アジア駐在経験者の割合が増えてきました。以前の投稿"フィリピンの汚職(腐敗) - 賄賂は潤滑油? -"でお話ししたフィリピンを筆頭にシンガポールを除く東南アジアの国々は概して汚職が多いのです。東南アジア駐在員にはゴルフフリークが特に多いのでモスクワの日本人駐在員ゴルファーが急激に増える事となりました。
モスクワ市内には中心部に近いモスクワシティゴルフクラブとモスクワ市を取り囲む環状道路MKADに近いクリラツコエゴルフクラブがありました。
モスクワシティゴルフクラブは9ホール、パー33という小さなものだったのですが、クリラツコエゴルフクラブは不思議な事に18ではなく20ホールでした。モスクワオリンピックの頃に出来たゴルフコースで、ゴルフを良く知らないロシア人がホールの数を"大体20"と覚えていた為に20ホールになったと言う事でした。
モスクワ近郊には1994年にオープンした民営のモスクワカントリークラブがありました。こちらはごく普通のまともなゴルフコースでしたが、ビジターは年3回までしかプレー出来ないという制限があり、数回しかラウンドしませんでした。
モスクワ中心部から30~40kmなのですが世界一のモスクワの渋滞に捕まると2時間以上かかったりします。その為ロシア人富裕層はヘリコプターで来たりしていました。今ではモスクワ郊外に更に幾つかのゴルフコースがオープンしているようです。
欧州在住の日本人ゴルフフリークを対象としたユーロカップ欧州ゴルフ大会というものもあります。1989年にベルギーとオランダの日本人ゴルフフリークの対抗戦として始まり、2023年には8カ国が参加する33回大会が開催されました。
私がモスクワに駐在していた2012年にロシアも新たに参加国となったのですが、現在は参加していないようです。団体戦は各国12名のチーム戦で上位8名のグロススコアを競います。日本人が多い国では国内で予選会を行って出場する12名を決定するのですが、ロシアは出場を希望する日本人が少なかった為、希望者全員が参加していました。
さて今回の、日本人駐在員のゴルフ事情についてのお話はここまでです。楽しんで頂けたでしょうか。ゴルフフリークの日本人駐在員は世界中にいて過酷な環境の中でもゴルフをしています。中東の砂漠でもゴルフをするそうです。巨大なバンカーの中でゴルフをするような感じですね。全てがバンカーショットでは楽しくないので、小さな人工芝のマットを持っていて、ボールを拾い上げてマットの上に置いて打つという事でした。グリーンは砂を重油で固めたものだそうです。そこまでしてゴルフをやるというのは、よっぽど他にやる事が無いのでしょうね。それではまた。
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