日立の選択と集中 - グローバル化による復活は如何にして成し遂げられたか - 【海外進出日系企業研究】

28/07/2023

海外進出日系企業研究

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今回は、私が海外駐在していた時に印象深かった日系企業から日立製作所についてお話ししたいと思います。

本稿の関連動画を以下にアップしています。良ければご参照下さい。

https://youtu.be/LsPhP9bEOsA

日立と言えば「♪この木なんの木気になる木♪」のテレビCMで有名です。このテレビCMは"日立の樹"をバックに延々と日立グループ企業名を流すものでしたが、昨今の日立は大胆な"選択と集中"による思い切った事業ポートフォリオ見直しの結果、御三家の日立化成・日立金属・日立電線、新御三家と呼ばれた日立キャピタル・日立マクセル等グループ企業を次々と売却し話題となりました。ちなみに新御三家のもう一社である日立ハイテクは上場子会社だったのを完全子会社化しています。

売却されたグループ企業の中でも特に日立金属は、戦前に鮎川義介が率い日立製作所も属していた日産コンツェルンの源流にあたる由緒ある企業なので「トヨタが豊田自動織機を売却するような、大恩ある親を切り捨てるものだ」と言う人もいました。

正確には日立製作所の源流は久原房之助(くはら ふさのすけ)が率いた久原鉱業所日立鉱山の機械修理工場で、第一次大戦後に久原鉱業が経営危機に陥り、久原氏の義兄にあたる鮎川義介が再建を引き受けて、日本産業㈱と社名を改めて持株会社化し、日立金属の前身の戸畑鋳物を含む日産コンツェルンを形成したので、"親"と言うより"伯父"と言うのが正しいかもしれません。

日立製作所創業小屋

ちなみに日産自動車はこの戸畑鋳物の子会社でした。この点も豊田自動織機と似てますね。

90年代のバブル経済崩壊以降、日立は業績低迷が続いていたのですが、回復の兆しが見られないままリーマンショック後の2009年3月期に国内製造業で過去最大の8000億円近い最終赤字を計上した結果、それまでの"総花経営"から"事業の選択と集中"に舵を切らざるを得なくなったのです。ちなみに国内製造業の赤字の記録は東芝が2017年3月期最終損益▲9657億円で更新しました。

日立は従来型の1)高品質な"ものづくり"による優れた製品/システムの提供 2)日本国内中心及び製品輸出等の日本を起点とした事業成長 から1)製品/システム+データを活用した"社会イノベーション事業"の拡大 2)グローバルでの事業成長 に方向転換します。

家電の分野でも海外家電事業と空調事業を合弁化してマイナー出資に留めたり、テレビやパソコンの製造から撤退したりしています。

日立は断捨離のように既存事業の整理を進めると同時に海外M&Aも活用しながら新たな事業分野に進出します。特に目を引くのが海外における鉄道事業です。日立の戦略は成熟した国内鉄道市場から海外へ進出する事でした。欧州の鉄道産業は世界の46.4%を占める世界最大の市場で、日立にとって欧州への進出は喫緊の課題でした。日立が英国で鉄道事業参入への挑戦を開始したのは1999年に遡ります。日本人中心ではセールス活動において核心に迫れないとして、2003年にアリステア・ドーマー氏を採用します。ドーマー氏は英海軍出身で、鉄道事業における日立のライバル、仏アルストムを経て日立ヨーロッパに入社しました。このドーマー氏が日立の鉄道事業躍進の立役者となり、現在は本社の副社長として鉄道事業以外も担当しています。

2005年に英仏海峡トンネルのイギリス側出口とロンドンを結ぶ高速鉄道路線"ハイスピード1(HS1)"のClass395電車174両並びにその保守サービス事業受注に成功します。


HS1ハイスピード1プロジェクトでは日立が納期よりも早く車両を納入した事が英国の関係者を驚かせました。またClass395は2012年のロンドンオリンピックではロンドン中心のセントパンクラス駅からメイン会場のストラトフォードインターナショナル駅までのシャトル便として使用され、およそ7分ピッチで早朝から深夜まで一度の運休や遅れもなく運行出来た事で日立の評価を更に高めました。

英国では列車の遅延・運休が当たり前となっており、ロンドンの地下鉄で改札口の横に掲示されている"Service information"では、遅延が無い場合は"good service"と表示されています。英国では遅延が有るのが"nomal"なのです。

このHS1ハイスピード1プロジェクトを通して日本の鉄道品質、納期遵守によるプロジェクト遂行能力を訴求出来た事が次の大型案件Intercity Express Programme(都市間鉄道車両取替計画:IEP)の受注に繋がります。IEP計画は、ロンドンから西に向かう幹線グレートウェスタン・メインラインと北に向かう幹線イーストコースト・メインラインを走行している900両にも及ぶ老朽車両を全面的に取り替える大規模プロジェクトでした。

IEPの最大の特徴は所謂PPP(Public Private Partnership)スキームを活用している事で、車両を提供するというよりも政府から鉄道の運営を委託される民間の事業者に日々のダイヤに合わせて整備状態にある車両をリースするというサービス事業であるという点です。

日立は3つの顔でこのプロジェクトに参画しています。

①車両リース事業運営会社Agility Trainsの筆頭株主として70%の出資

②車両リース事業の為に必要となる車両の製造及び保守基地の建設を担当するメーカー

③政府から保障される30年弱の事業権期間中の車両保守サービスを担当する保守事業者

HS1プロジェクトが高く評価されていた事から日立は2009年に英国運輸省よりIEPの優先交渉権(Preferred Bidder)を得ます。その後、2010年の英国総選挙による政権交代など紆余曲折を経て、鉄道PPPとして史上最大規模の案件であるIEPは、2014年7月ファイナンシャルクローズとなり契約が発効します。


日立は契約発効に先立つ2014年4月に全世界の鉄道事業のトップにドーマー氏を指名し同時にグローバルオペレーションの拠点をロンドンに移します。

更に2015年にイタリアの防衛大手フィンメカニカ傘下にある鉄道関連2社の株式の40%を2600億円で取得します。これは日立にとって過去最大の買収でした。

鉄道ビッグ3(カナダ・ボンバルディア、ドイツ・シーメンス、フランス・アルストム)の鉄道事業の売上高はいずれも8000億円を超え、2000億円しかなかった日立とはかなりの隔たりがあったのですがイタリアの2社統合後の連結売上高は5000億円規模となり鉄道ビッグ3の後ろ姿が捉えられる所まで来ます。

2021年には英国の次世代高速鉄道車両の設計・製造・保守に関する事業をアルストムと共同で受注し、2022年にはイタリア・フィリピン・カナダ・フランスで立て続けに大型鉄道案件を受注、合計受注額は1兆円を超えました。

この日立の鉄道事業の歩みは以前の投稿"JTの海外展開"でお話ししたJTのグローバル化を彷彿させます。アリステア・ドーマー氏はJTI(Japan Tabacco International)におけるCEOのエディ・ピラード氏です。

"JTの海外展開"では「JTは大型買収前にパイロット(試験的)買収で経験を積む事をした」とお話ししましたが、私は日立におけるこのパイロット(試験的)買収に当たるのが日立グローバルストレージテクノロジーズ(HGST)ではないかと思います。そこでここからはHGSTについてお話ししたいと思います。

HGSTは日立製作所ストレージ事業部内のHDD(ハードディスクドライブ)部門を分離独立させ日立製作所が2002年に米国IBMから買収したHDD(ハードディスクドライブ)事業と統合の上、2002年12月に発足させた会社です。

HDD(ハードディスクドライブ)は元々IBMが開発した製品だったのですが、PCやHDD(ハードディスクドライブ)といったハードウエア事業を売却・撤退しITサービスビジネスに特化するという事業転換方針の下で、HDD(ハードディスクドライブ)事業の売却が決定されました。

前景の2つのIBM350ディスクドライブを持ったレッドリバー陸軍補給処のIBM305

HDD(ハードディスクドライブ)のビジネスを創業したIBMが売却を決断したという事は、将来の収益見通しが良くないと考えていたからだと思われるのですが、当時の日立はストレージ、バイオメディカル、都市再生事業を注力事業として掲げており、ストレージ事業拡大の目玉としてIBMのHDD(ハードディスクドライブ)部門買収に踏み切ります。

買収金額は20億5000万ドルで2015年のイタリアの鉄道関連買収前は日立にとって過去最大の買収でした。日立は意図的に練習したのではなく、バリバリに本気の買収だったのが結果的に練習になったのです。

当時のメディアは日立の思い切った戦略を絶賛するところと"戦略の誤り"と批判するところがあり日経新聞は批判の急先鋒でした。日立はIBMのHDD(ハードディスクドライブ)部門買収と同時期に持分法適用関連会社だった日東電工を売却したのですが、日経新聞は「液晶パネルに欠かせない部材である偏光板で世界トップシェアを握る日東電工を売却してIBMが見切りをつけたHDD(ハードディスクドライブ)部門を買収するのは明らかな戦略の誤り」と言ったのです。

この買収によって日立はHDD(ハードディスクドライブ)世界シェア3位となるのですが、HGSTは長く赤字に苦しみます。

一方の日東電工は"グローバルニッチトップ"戦略を掲げ、偏光板以外にも半導体ウエハ保護フィルム、電子部品の製造工程で使われる熱剥離シートなど、世界トップシェア製品を揃えて、現在も好調を維持しています。

HGSTにはIBMから約14,700名、日立から約6,800名が移籍しました。HDD(ハードディスクドライブ)部門はIBMの方が圧倒的に規模が大きかったのです。本社はIBMのHDD(ハードディスクドライブ)部門があった米国サンノゼとしました。工場は旧日立が小田原とフィリピンの2カ所、旧IBMが藤沢、米国、シンガポール、メキシコ、中国、タイの6カ所でした。

私は2002~2006年のフィリピン駐在時に仕事でフィリピン工場に関りがありました。ちょうど日立がHDD(ハードディスクドライブ)部門を切り出してHGSTをスタートさせた時期にあたります。本社からフィリピン工場に派遣されていた日立の人々は途中からレポート先がHGSTの本社があるサンノゼになるのですが、彼等の振る舞いは大変印象的でした。

HGSTサンノゼ本社のトップは日立から派遣された日本人でしたが、その下で実務を行う人々の大半はIBMから来た米国人でした。工場の数も日立2に対してIBM6と日立はマイノリティーでした。

米国の名門企業だったIBMは1993年にCEOに就任したルイス・ガースナーの改革によって経営再建されるのですが、それ以前のIBMは官僚主義という名の病が深刻化した会社でした。有名だったのがIBMの服装規定(ドレスコード)です。男性は濃紺のスーツに白いシャツ、赤いネクタイというものでした。

ルイス・ガースナーはCEO就任直後の経営会議に、わざとブルーのシャツで臨んだそうです。ルイス・ガースナー以外の参加者は全て白いシャツだったのですが、次の会議の時には全員ブルーのシャツを着ていたそうです。ルイス・ガースナーの改革の一環で切り出されたHDD(ハードディスクドライブ)部門の従業員の多くがそのような官僚主義を引き摺っていた事は想像に難くありません。名門企業だからプライドも高かったと思います。

ところがサンノゼ本社から頻繁にフィリピンに出張して来る米国人に対して日立の人々は決して日立のやり方を押し付けませんでした。IBMから"不要"として切り出された部門を日立が買収したのですから、"上から目線"で対応しても不思議は無いのですが、その様な雰囲気は全くありませんでした。

日立の"社風"なのかもしれませんが、日立の社員には"優秀で善良"な人が多い様に感じます。"善良"なので"上から目線"で対応する事は無く"優秀"なので欧米人(白人)を前にして卑屈になる事もありません。

以前の投稿"JTの海外展開"でもお話ししましたが欧米人とビジネスをする上で大切なのは"メンタリティを理解した上でフラットに接する"事です。日立の人々は正にそれを実行していました。海外M&Aで重要なのは"双方のメンタリティと企業文化の違いへの理解"なのです。

フィリピン工場のトップは2004年にサンノゼ本社に異動となるのですが、後任は旧IBM藤沢工場から来た日本人でした。この辺りの人事からもHGSTの中で旧日立と旧IBMの融合が順調に進んでいる事がうかがえました。

日立に関してもう一つ印象に残ったのは"Treasurer & Comptoroller"という肩書でフィリピン工場の経理・財務を担当していた日本人駐在員でした。その人は日立本社の財務部門から派遣されていたのですが"会計監査人"として本社財務部門へのダイレクトレポートラインを持っていました。多くの日本企業では、海外現地法人の経理・財務担当に本社の経理・財務部門から人を出しますが、それは単に"経理・財務人材の供給"という趣旨で、レポートラインは現地法人の経営陣だけになるのが一般的です。なので会計監査は本社の業務監査部から出張で来る監査人が行う事になります。ところが日立では現地法人の経理・財務担当が監査人なのです。私が話を聞いた"Treasurer & Comptoroller"は事も無げに「現地法人に経理・財務を任せると業績を良く見せる為に何をするか判りませんからね」と言っていました。

海外現地法人の不正経理で大損害を出した日本企業は枚挙に暇が無いのですが、日立のこのシステムはそういったリスクを極小化するものでした。このガバナンスも前述の社風と併せて、日立の海外M&Aの成功を支える一つの要素になっていると思います。

HGSTはスタートから5年連続で赤字を計上するなど苦しむのですが、日立は歯を食いしばって業績を回復させ、2012年にウエスタンデジタルに35億ドル+WD(ウエスタンデジタル)の株式2500万株(約7億5000万ドルに相当)で売却します。買収価格を大きく上回る売却で日経新聞を見返しました。

2005年にHGSTのCEOに就いて立て直しの指揮を執った中西宏明氏は業績回復の功績を認められ、2010年に異例の人事で社長として本社に復帰しリーマンショックなどの影響から経営危機に陥った日立の再建に当たっていたのですが、HGST売却を発表する記者会見の席上「創業以来最大のM&AだったHGST買収は成功だったのか失敗だったのか」と質問され、「日立全体でグローバル事業を経営するいろんな経験をさせてもらった。市場に近いところで迅速に決断する力を獲得出来たと思っている。」とその意義を強調しました。

中西氏は"海外のマネジメントチームにはその業界や土地柄を知っている人物が欠かせない"としてライバル会社のウエスタンデジタルから幹部のスティーブ・ミリガンを引き抜き、2010年に本体の社長に返り咲いた際に自身の後任とします。結局ミリガン氏はHGSTの売却で古巣のウエスタンデジタルにNo.2として戻り、最終的にはCEOとなります。

さて今回の日立製作所のお話はここまでです。楽しんで頂けたでしょうか。HGSTで海外M&Aの練習をした日立はその後、鉄道事業以外でも海外M&Aを積極的に展開しています。2018年ABBパワーグリッド社(68.5億米ドル)2021年グローバルロジック社(96億ドル)などです。今回は鉄道以外の事業に触れなかったのですが、また機会を見てそれらの事業についてもお話ししたいと思います。

最後に少しだけシンガポールの日立について触れます。シンガポールのメイン・ストリート"オーチャードロード"のクリスマスライトアップは長年に亘って日立がスポンサーになっています。

タングリン・モールからプラザ・シンガポールまでの2.88kmが11月中旬から年明けの元旦までライトアップで華やかに彩られます。

なのでシンガポールの人々にとって日立は特別な会社です。アジア地域統括会社である日立アジア社がスポンサーなのですが、バブル崩壊後の経営が厳しい時期には本社からのサポートを受けたそうです。スポンサーになりたがっている多くの企業が待ち構えている状態で、一旦スポンサーを降りたら二度と復帰出来ないので、頑張って続けたそうです。

クリスマスシーズンにシンガポールを訪れる機会があったら是非オーチャードロードのライトアップを見て下さい。それではまた。

本稿の関連動画を以下にアップしています。良ければご参照下さい。

https://youtu.be/LsPhP9bEOsA

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ドイツ、インド、シンガポール、フィリピン、ロシアに、計17年駐在していました。今は引退生活を楽しんでいます。

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