JTの海外展開 - 専売公社はいかにしてグローバル企業になったか - 海外M&AはJTのお家芸 【海外進出日系企業研究】

26/05/2023

海外進出日系企業研究

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今回は、私が海外駐在していた時に印象深かった日系企業から、日本たばこ産業(JT)についてお話ししたいと思います。

本稿の関連動画を以下にアップしています。良ければご参照下さい。

https://youtu.be/885NVKcJP2E

私は2008年にモスクワに赴任したのですが、その時初めてJTが旧ソ連圏に6カ所の工場を持っている事を知りました。ロシアに4カ所、カザフスタンとウクライナに夫々1カ所です。従業員は3カ国合計で約6千人という事でした。ロシアにおける売り上げはJT全体の10%を超えていました。私はそれまで寡聞にしてJTの海外展開についてあまり知らなかったのですが、実はロシアで最も多くの自社製品を製造・販売している日本のメーカーはJTだったのです。

私が更に驚いたのは、旧ソ連圏でそれだけ大々的に事業を展開しているにも関わらず、駐在している日本人はモスクワの一人だけだった事です。普通の日本のメーカーであれば、工場毎に少なくとも数十人の日本人が駐在しており、更に地域全体を見る地域本社にはアドミ担当の日本人が最低10人前後います。ところがJTの場合は、旧ソ連圏に進出している日本のマスコミ及びその他の日本の諸団体の対応窓口として、モスクワにたった一人の日本人をCorporate Affairs & Communications Managerという肩書で派遣しているのみだったのです。

2011年にジェトロモスクワ事務所主催のカザフスタン・ビジネスミッションがあり、私もそれに参加したのですが、プログラムの中にJTのカザフスタン工場訪問が組み込まれていて、モスクワに駐在しているJTの方がアレンジしていました。訪問したJTのカザフスタン工場には日本人は一人もおらず、工場長はイタリア人でした。

JTカザフスタン

現在のJTは売上及び利益の過半が海外源泉のグローバル企業なのですが、その前身は日本専売公社という完全にドメスティックな特殊法人です。その為JTの海外展開のやり方は自動車メーカーや家電メーカーなどとは全く違ったものでした。

JTの海外展開の歴史を振り返る前に、まずは現在のJTについて見てみましょう。現在のJTは70以上の国と地域で事業を展開するグローバルたばこメーカーで、130以上の国と地域で製品を販売しています。たばこ事業に加えて医薬事業と加工食品事業も展開していますが、売上の90%以上がたばこ事業です。


たばこ事業は販売数量で世界第3位を誇り、世界における販売数量シェア上位10ブランドのうち3ブランドを製造・販売しています。たばこ事業の工場は日本国内に6、海外は28の国・地域に33あります。たばこ事業の2021年度の売り上げは、国内が5,198億円、海外が1兆4,821億円です。海外の内訳は欧州5,578億円、旧ソ連(CIS)3,424億円、その他地域5,819億円です。

主要国のマーケットシェアは、英国45.8%、フランス28.9%、イタリア26.7%、スペイン27.8%、ロシア36.7%、トルコ27.7%、台湾48.1%、フィリピン36.7%などです。日本国内のシェアは59.1%です。

さてここからはJTのグローバル化の歴史を見て行きたいと思います。事の始まりは1985年の専売公社民営化です。元々大蔵省専売局が1949年に分離独立した特殊法人だったのが、民間企業として自身で生き残りを考えなければならない事態に追い込まれた訳です。

日本たばこ産業(JT)の発足に際してあいさつする長岡実初代社長

日本のたばこ市場は1998年頃を頂点に減少に転じると見込まれていました。主たる原因は喫煙率の低下です。JTは何もしないと民営化から10年ちょっとで減収する事が確実だったのです。

1998年以降の実際の推移

更に悪い事に、民営化して間もない1987年に輸入たばこの関税が撤廃されます。また、プラザ合意により1985年に1ドル=250円程度だった円が3年ほどで約125円と倍になると、海外メーカーにとって大きな追い風となって、急激にJTの国内シェアが低下してしまいました。以前は外国製のたばこは"洋モク"と呼ばれて高級品扱いだったのですが、急に売値が下がったので吸う人が増えたのです。

本業の国内市場が縮小する時に企業が考える解決策は、1)事業の多角化と、2)本業の海外展開、の二つです。

JTの事業多角化の歴史は、残念ながら失敗の連続でした。スッポンの養殖・野菜や果物の栽培・バーガーキングの経営・スポーツクラブの運営・不動産業などですが、結果的に殆ど失敗して撤退しています。現在残っているのは加工食品と医薬ですが、前述の通りその売上は全体の10%未満です。

JTは結果的に、もう一つの解決策であるたばこ事業の海外展開に賭けざるを得ない事になります。ここで一つの問題がありました。元々完全にドメスティックな特殊法人だった専売公社には、グローバル人材は皆無だったのです。

以前の投稿"スズキの海外展開 - スズキのどこがすごいのか -"や"ホンダの海外展開 - 本田宗一郎と藤澤武夫の夢の続き -"でお話ししたように、日本のメーカーの海外展開は自身の手で海外に拠点を作り売り上げを伸ばすオーガニックグロース(自律成長)がスタンダードでした。ところがJTには時間がありませんでした。

一方でJTには、海外進出を開始した頃のスズキやホンダより圧倒的に有利なポイントがありました。専売公社から引き継いだ多くの優秀な人材と数千億円の手元現預金です。確かに海外志向の人が専売公社に入社する事は無かったでしょうが、3公社の一つである専売公社には優秀な人材が集まっていました。

JTの海外M&Aの中心人物だったのは新貝康司(しんがいやすし)氏です。

新貝氏は1980年に京都大学大学院工学研究科電子工学専攻修士課程を修了して専売公社に入社します。英語に苦手意識があったので、英語を使わなくても済みそうな専売公社に入社したのだそうです。ところが1987年まで複数のたばこ工場で勤務した後、経営企画部で企業買収案件や多角化事業におけるクロスボーダーでの提携案件に従事します。更に1989年にニューヨークに赴任して、7年間医薬関連の提携推進業務に携わります。ここまで海外経験を積んだ後、1996年に本社経営企画部に戻り海外M&Aの指揮を執り始めます。

JTは数多くの海外M&Aを成功させているのですが、その中の大きな二つは1999年のRJRインターナショナル(RJRI)と2007年のギャラハーです。

RJRI

ギャラハー

このRJRIは、実は1988年に親会社であるRJR NABISCOからJTに、米国以外のたばこ事業を担うRJRIを買わないかと打診があったのです。結局その時は時期尚早と判断して買収せず、その少し後に親会社のRJR NABISCO自体がプライベート・エクイティ・ファンドであるコールバーグ・クラビス・ロバーツ(KKR)に250億ドルでLBO(Leveraged Buyout)によって買収されてしまいます。所謂"ハゲタカファンド"ですね。

LBOの後、KKRによってRJR NABISCO傘下のデルモンテやナビスコなどが切り売りされるのを見て、いつか必ずRJRIも売られる時期が来るだろうと踏んで、JTは情報収集と準備を進めていました。

ここでJTの凄さが発揮されるのですが、彼等は大型買収前にパイロット(試験的)買収で経験を積む事をします。当時のJTの状況を考えると、小さな買収案件は無視して大型買収案件だけに取り組みそうなものです。M&Aは規模と手間が正比例せず、小さな買収案件でも大型買収案件でも同じくらい手間がかかったりします。当時のJTの規模と日本のたばこ市場での危機的状況を考えれば、大型買収案件だけに注力したくなると思うのですが、彼等は敢えて小型案件に取り組んだのです。1992年にJTは初めて、小さな会社ながらバリューチェーンのすべてを有している英国のマンチェスター・タバコを買収します。これにより、買収後に海外で事業展開を行うとはどういう事なのか、経験を積んで行くのです。

1999年、JTは満を持してRJRIを買収します。最初の買収断念の時から10年に亘り研究を続けていたのです。


日本企業の海外M&Aでは、突然外資の投資銀行に「この会社が売りに出ていますが買いませんか?」と言われて、それから検討を開始するようなケースも多いのですが、JTは違いました。この買収により"ウィンストン""キャメル""セーラム"という世界有数のたばこブランドとグローバル人材、更には海外の工場や営業拠点などのインフラを丸ごと手に入れたのです。オーガニックグロース(自律成長)を諦めたJTは"時間"を買った訳です。買収価格は77億9,000万ドル(9,420億円)でした。

大変なのはここからでした。問題の一つはKKRによるLBOの後遺症でした。借金を早く返済する為コストダウンが最優先され、R&D、マーケティング、販売促進、品質、そのベースになる設備への投資が疎かになっていました。品質が落ち、有名ブランドでさえもジリ貧になっていたのです。

KKRのRJRナビスコ買収チーム 中央左がGeorge R. Roberts 中央右がHenry R. Kravis

JTはRJRIをJTインターナショナル(JTI)として、その後の海外展開のプラットフォームとする事を予定していました。その為に8カ月かけて、事業再生しながら成長の基盤を構築していく為の統合計画を策定します。更にJTIの本社をスイス・ジュネーブに置き、日本人に過度に依存しないグローバルな組織を目指します。

人材コンサルティング会社(Mercer)が定期的に行っている世界生活環境調査(Quality of Living Survey)で、ジュネーブが長らく上位に位置付けられていた事も、本社所在地をジュネーブにした理由の一つです。旧RJRIの有能な人材を繋ぎ止める為に、人材を惹きつけるのに適した都市にJTIの本社を置いた訳です。現在のJTIの役員を見ても、スイス国籍を持っている人は極僅かです。

二つ目の大型買収は2007年のギャラハーです。買収価格は94億ポンド(2兆2,500億円)です。これはそれまでの日本企業による海外買収の最大案件でした。JTは前回のRJRI買収後に統合計画を作るのに8カ月を要した事を反省して、ギャラハーの時は100日に短縮しました。買収された企業の役職員の立場に立てば、8カ月も先が読めない状態に置かれると、今後の自分の仕事はどうなるのかと不安で仕事が手につかなくなります。それを防ぐ為に短縮したのです。"買収後の経営の青写真"を綿密に作成して、買収交渉に使用すると同時に買収後の統合計画作成期間の短縮にも利用しました。各国市場での本部はどこに置くのか、ブランドの配置はどうするのか、営業員や間接人員はどの程度必要か、工場の統廃合はどうするか、などを事前検討したのだそうです。RJRIの時と同じくギャラハーの有能な人材を引き留める事が重要なポイントでした。JTにとって海外M&Aは"究極の経験者採用"という側面があるのです。ギャラハーが合流するのが、JTの日本本社ではなく日本人が殆どいないジュネーブのJTIだった事は、ギャラハーの人材を引き留めるのに極めて有利に働いたと考えられます。

ギャラハーは元々北アイルランド発祥の会社で、それまで役員クラスはアイルランド人が務めるという暗黙の了解がありました。それをJTIが撤廃すると分かった事も、人材引き留めにプラスに働きました。

ギャラハーの創業の地ロンドンデリーの街並み

JTは2022年から国内のたばこ事業もJTIに統合する形で一本化しています。現在JTのたばこ事業全体を率いているのは、JTIのCEOであるエディ・ピラード氏です。彼はJTがギャラハーを買収した当時、ギャラハーのCigar and Other Tobacco Products Divisionのトップでした。正に海外M&Aによる人材獲得ですね。

JTの海外M&Aを指揮した新貝氏は、JTのグローバル経営の特徴を"適切なガバナンスを前提とした任せる経営"と表現しています。JT本社はガバナンスに特化して、海外たばこ事業については旧RJRIが母体となったJTIに任せるという事です。実はこれは「言うは易く行うは難し」の典型例です。ただ任せると放任になってしまうので、責任権限のルールを明確にして、要の部分については掌握する必要があります。ただし、日々の箸の上げ下ろしまでは口出ししないという事です。

これがそう簡単には出来ないので、日本企業の海外M&A失敗事例は枚挙に暇がありません。まさに"死屍累々"です。東芝の米ウエスチングハウス(WH)買収(54億ドル)や日本郵政の豪トール・ホールディングス買収(6,200億円)などが典型的な失敗例です。


私は、JTの海外M&Aが成功したのは、指揮を執った新貝氏の属人的な能力によるところが大きかったのではないかと思います。但し、米国から帰任してM&Aの指揮を執り始めた時点では新貝氏はまだ40歳ですので、彼の提案を受け入れた上司・経営陣の能力・度量も大きかったものと思います。専売公社には元々その様なオープンな社風が有ったのかもしれません。

また、1988年にRJRI買収を断念してから10年に亘り研究を続けていたという事や、1992年にパイロット買収として英国のマンチェスター・タバコを買収した事などは、新貝氏が米国から戻る前から優秀な海外M&A担当スタッフがいたという証左です。

新貝氏は"欧米人と英語で喧嘩が出来る数少ない日本人"と言われています。これは単に英語力だけの問題ではありません。欧米人(白人)を前にすると卑屈になってしまう日本人ビジネスマンをよく見かけます。そんな人に限って東南アジアの人々に対して傲慢な振る舞いをしたりします。新貝氏は欧米人のメンタリティを理解した上でフラットに接する事が出来る人なのだと思います。

海外M&Aにおいては"双方のメンタリティと企業文化の違いへの理解"が重要なのだと考えます。悪い例として、M&Aが成立した後に日本の社長が買収した欧米企業の幹部を集めて「今日からあなたがたは当社グループの一員です。私が経営を続ける限り解雇はしませんので安心して働いて下さい」などと言ってしまう事があります。日本人相手であれば"仲間として一緒にやっていこう"というメッセージが有効なのですが、欧米企業の幹部は報酬額を重視する転職前提の人達ですから『そんな事より何をどうすれば報酬が上がるのかを言えよ!』と反発されるだけで、全く彼等の心には響きません。

海外M&Aを人任せにしない事も、JTが成功した理由の一つだと思います。前述の通り、M&AのターゲットはJT自身で決めて調査・研究をしていたのですが、買収後の統合計画の策定も自身で行っていました。買収が決まると世界中の著名コンサルティング会社から「統合計画作りのお手伝いをしましょう」とオファーが来たのを、全て断ったそうです。

さて今回のJTのお話はここまでです。楽しんで頂けたでしょうか。

今回は"JTは積極的かつ周到な海外M&Aで手に入れたグローバル人材を活用して短期間にグローバル企業に変身した"とお話ししましたが"何故JTにはそれが出来たのか"という点については、残念ながら深く掘り下げる事が出来ませんでした。前述の通り、私は新貝氏のパーソナリティによるところが大きいと考えていますが、それを許したJTの社風も大きな要因ではないかと推測しています。

他の日本企業の海外M&Aについても、また機会を改めてお話ししたいと思います。それではまた。

本稿の関連動画を以下にアップしています。良ければご参照下さい。

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ドイツ、インド、シンガポール、フィリピン、ロシアに、計17年駐在していました。今は引退生活を楽しんでいます。

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