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"haven"は"避難所"という意味で、天国を意味する"heaven"と間違え易いので注意が必要です。納税義務を軽減しようとする裕福な個人や企業にとっての"税金の避難所"なのです。
世界各地のタックス・ヘイブンにおける企業の設立・管理サービスを提供する大手法律事務所であるモサック・フォンセカ(在パナマ)から流出したデータがパナマ文書として2016年に公表され話題となりました。その中には400人以上の日本人と270社以上の日本企業が含まれていました。
ここで注意すべきなのは"節税"と"脱税"の違いです。"節税"は法律に定められた方法を使って払うべき税金を減らすことを指します。つまり"節税"は合法的な経済活動です。一方"脱税"は法律によって規定された税金を支払わずに不正に税金を回避する事を意味します。こちらは完全な違法行為です。パナマ文書で名前が挙がった企業・個人の多くは高度な方法で"節税"をしていたのです。
但し、政治家の場合は"倫理的義務違反"と認識されてスキャンダルになっていました。選挙で投票してくれた納税者に対する背信行為と受け取られたのです。
一方で一般人や企業の場合はそれほどバッシングを受ける事は無かったようです。欧米では企業が適切な節税策を行っていないと『無駄な支出をして利益を損ねた』として株主から責任を追及される可能性すらあります。日本企業も外国人株主の持株比率が高まっていますので、このようなリスクは無視出来ません。
但し"節税"と"脱税"は境界が曖昧な事もあって、その観点からスキャンダルになるケースもありました。日本でも最近は企業と国税が裁判で争うケースが増えてきました。国税から脱税を指摘された企業が『見解の相違』というコメントを出す事がよくあります。タックス・ヘイブンの利用者の大多数は高度な方法で"節税"をしているに過ぎない、とは言うものの、一方でタックス・ヘイブンを意図的に"脱税"に利用している企業・個人が存在する事も事実です。
タックス・ヘイブンの歴史は、スイス、リヒテンシュタイン、パナマなどの国が外国資本を引き付けるために銀行秘密法と低い税率を確立した20世紀初頭に遡ります。銀行秘密法は脱税以外にもマネーロンダリングのような不正な取引を助長する可能性があります。その後、ケイマン諸島、英領バージン諸島、バミューダ等がそれに続き、タックス・ヘイブンとしての地位を確立しました。
タックス・ヘイブンを利用する富裕層にとって、高級なホテルやレストラン、ゴルフ場などがあるリゾート地を節税に利用出来れば、レジャーと仕事の一石二鳥なので人気が高かったのです。タックス・ヘイブンに租税回避を目的として設立したペーパーカンパニーの株主総会を、リゾートホテルのプールサイドで開催する、なんていう事もあるようです。特にバミューダは、ニューヨークから自家用クルーザーで行けるタックス・ヘイブンとして人気が高いそうです。
多くの国の税務当局はタックス・ヘイブンの使用を巡って多国籍企業や個人の富裕層と争って来ました。タックス・ヘイブンを利用した国際的租税回避の防止を目的とするタックス・ヘイブン対策税制が、1962年に米国において最初に導入され、その後、72年西独、78年日本、80年仏、そして84年英国で導入されました。
日本のタックス・ヘイブン対策税制は、正式名称を「外国子会社合算税制」と言います。タックス・ヘイブンにある一定の子会社の利益を、日本の親会社に配当されたものと見做して日本で課税するという制度です。この制度は租税回避行為を規制する事を目的としているので、実体のあるビジネスを行っている場合には合算課税の対象としないのですが、ペーパーカンパニーなどの場合は"実体のあるビジネスを行っている"とは認められません。なので合算課税を免れる為に、必要も無いのにタックス・ヘイブンに事務所を構えて人を常駐させるケースが出てきます。
私はモスクワに駐在していた2010年4月に、仕事で関係のあった日系企業の金融子会社を訪問する為にマルタに出張しました。マルタもEU域内にあるタックス・ヘイブンです。ペーパーカンパニーでは合算課税されるので、事務所を構えて人を常駐させていたのです。
マルタと言えば、ベルリンの壁崩壊の1か月後の1989年12月3日に米国のブッシュ(父)大統領とゴルバチョフがマルタで会談して冷戦の終結を宣言したのが有名です。ちなみに冷戦の始まりは1945年2月にルーズベルト、チャーチルとスターリンが会談したヤルタ会談と言われていますが、ヤルタ会談の直前にルーズベルトとチャーチルが下打ち合わせをしたのもマルタでした。
マルタは1964年に英連邦王国自治領マルタ国としてイギリスから独立し、1974年に君主制から共和制に移行し英連邦加盟のマルタ共和国となりました。2004年にEUに加盟し2008年にはユーロを導入します。この結果マルタは非常に魅力的なタックス・ヘイブンとなりました。
その日系企業はEUのシングルパスポート制度(単一免許制度)を利用する為に、EU内のタックス・ヘイブンに金融子会社を設立する必要があったのです。シングルパスポート制度とは、EU内のどこか1か国で認可されれば、領域内のどの国でも自由に金融業を営むことが出来る制度です。
その金融子会社の事務所はセントジュリアンというマルタ島東海岸の真ん中あたりのリゾートエリアにありました。
スピノーラ湾に面したヨットハーバーのウッドデッキの横でした。事務所の正面のガラス戸が大きく開かれていて、床はウッドデッキと同じ高さになっており、事務所から数歩歩くとヨットに乗る事が出来ます。
日本人は常駐しておらず、私は英国人社長と面談しました。私は「EU域内には複数のタックス・ヘイブンがあるが、何故マルタを選択したのか?」と尋ねました。英国人社長は「候補地は最終的にアイルランドのダブリンとマルタの2カ所に絞られたが、天候を考慮してマルタにした」と言いました。そこに常駐する事になる英国人社長としては至極尤もな選択ですね。英国人社長は休みの日はヨットでセーリングを楽しんでいると言っていました。
私は同じ年の11月にプライベートの旅行でダブリンを訪ねたのですが、どんよりと曇って寒く、改めて英国人社長に共感しました。
話は前後しますが2008年、私がモスクワに赴任した直後に手掛けた案件で関りがあったタックス・ヘイブンはキプロスでした。4大会計事務所の一つであるKPMGからロシアのM&A案件の紹介があり、先方の経営陣とロンドンでミーティングをしたのです。私はモスクワからロンドンに出張し、東京からも国際担当役員や国際部門と財務部門のスタッフ等が来ました。
面談相手は買収候補企業を所有している投資ファンドのCEOとその部下3名でした。CEOは42歳、米国生まれのロシア系ユダヤ人でした。彼はソ連崩壊直後の1992年からクレディスイスファーストボストンのロシア子会社のトップを務め、その後独立し投資ファンドを立ち上げてロシア企業の買収等を手掛けていたのです。以前の投稿"オリガルヒ列伝"で紹介したオリガルヒ達よりは資産規模は小さいのですが、中堅のオリガルヒの一人でした。ソ連崩壊後のロシアで台頭したオリガルヒの多くは元々ロシアに住んでいたユダヤ人だったのですが、ロシア国外に居たロシア系ユダヤ人がロシアに戻って起業するケースもあったようです。彼のファンドが所有する企業の一つが、KPMGに紹介されたM&A案件だったのです。
彼は高そうなスーツとワイシャツにノーネクタイで無精髭を生やし、普通のビジネスマンとは違う雰囲気を漂わせていました。
彼の横に座ったNo.2の男はもっと個性的でした。ハリウッドスターのアシュトン・カッチャーに似た30歳前後のイケメンで、ロングヘアーを後ろで束ねていました。
後の2人はM&A対象企業の役員で、50歳前後の英国人の普通のビジネスマンと40歳前後の地味な感じのロシア人女性でした。グループの中では下っ端だったのでしょうね。
最終的に買収は見送りになりました。リーマンショック直前のバブル絶頂期で買収価格が相当割高だった事もありましたが、対象企業と持株会社の所有関係が明確でなかった事も見送りの理由でした。キプロスに設立された持株会社とM&A対象企業の間には複雑な出資スキームがあり、ミーティングの際にはそれはディスクローズされませんでした。私たちは企業買収の話し合いを行っていたのですが、相手が当該企業を所有しているという証拠は一切無かった訳です。KPMGが紹介している案件ですので詐欺という事は無いと思いますが、複雑な出資スキームには脱税他の違法な背景がある可能性もあります。さほど魅力的な案件と思えないのに、敢えて火中の栗を拾う必要は無いので、見送りとなったのです。
私はロシア人がタックス・ヘイブンとしてキプロスを利用しているのは知っていましたが、実際のビジネスの場で遭遇したのは初めてでした。
ロシア人はキプロスを使う理由は、英国の植民地だったキプロスが独立する時に、ソ連の支援を受けていた事があり、この良好な関係が現在に至るまで続いている為です。
キプロスはロシアとの間に租税条約を締結している為、キプロスに設立された法人には配当所得税が免除されキプロスを通じて支払われた利子やロイヤリティに対する源泉徴収税も免除されます。また、ロシア人がキプロスに渡航する際にはビザが免除されるので、簡単に行き来する事が可能です。ロシア人がビザ無しで渡航出来る国は限られるので、これは大きなメリットなのです。なのでキプロスのリゾートには大勢のロシア人観光客がいます。
最近、先進各国の政治課題の1つになっているのがGAFAをはじめとするグローバルなデジタル企業への課税です。自国の市場から巨額の利益を上げているにも関わらず、各国の税務当局はこれらの企業から思うように税を徴収出来ていないのです。
2018年、アイルランドの税務当局は同国に2つの子会社を置くアップルに対して130億ユーロ(約1.7兆円)の追加徴税の支払いを求めました。
アイルランドは長年に亘りアップルに大幅な税の優遇措置を行っていました。EUの欧州委員会はこれを"違法な補助金"と認定してアイルランド政府に税の追徴を求めたのです。
他にも、2018年に売上高2392億ドル純利益112億ドルを計上したアマゾンは、米連邦税を1セントも払わなかったそうです。
こういった事が起こる原因は、租税条約をはじめとする現行の国際的な課税ルールが、グローバルなデジタル企業の活動に対応しきれていない為です。デジタル企業はサーバーや支店などの物理的拠点をタックス・ヘイブンに置けば、そこから国境を超えて顧客を開拓出来ます。一方、現行の課税ルールは自国内での支店などの拠点の存在を課税の前提としているので、デジタル企業が自国の市場で上げている利益に課税する根拠が無いのです。
アップルはアイルランドのコークに欧州統括会社とApple Distribution Internationalという子会社を、ダブリンにApple Operations Internationalという子会社を持ち、アイルランド全体で6000人以上の従業員がいます。ペーパーカンパニーという指摘を避ける為にそこまでやる訳です。この規模になると小さな島のリゾートのタックス・ヘイブンを使うのは無理ですね。
ここまではタックス・ヘイブンに会社を設立して租税回避をするケースのお話をしてきましたが、個人の究極の節税策として、タックス・ヘイブンに移住するという手があります。但し日本では国税に"非居住者"と認められないと、日本の所得税を逃れる事は出来ません。
2007年に国税がハリーポッターの翻訳者に対して過少申告加算税を含め約8億円を追徴課税した事がニュースになりました。
その人はスイスに移住していたのですが国税は『日本に1年の半分以上滞在して日本に住居を所有している』として、非居住者ではなく居住者と認定したのです。多くのタックス・ヘイブン移住者は、こういった指摘を防ぐ為に日本での滞在日数を細かく管理しているようです。
所得税以外に相続税を回避する為に移住するケースもあり、国税はそういった相続税回避の対策も強化しています。2018年4月1日以降の相続では相続開始時点において少なくとも出国してから10年を超えていないと居住者としての相続税が課されます。
さて今回の、タックス・ヘイブンのお話はここまでです。楽しんで頂けたでしょうか。GAFAに比べると日本の大企業の節税はまだおとなしい方だと思いますが、彼らの収益の大半が海外源泉となっている中で、近い将来に世界本社をどんどん海外に移して行くような時代が来るかもしれませんね。それではまた。
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