今回は、以前の投稿"海外IPP - 総合商社と国内電力事業者が海外で発電事業?! -"の中で説明を省略した、"インド国外に買出しに行って買って来る冷凍の食材を保管する業務用大型冷凍庫"という部分の背景についてお話ししたいと思います。具体的には、私がニューデリーに駐在していた1999~2001年当時の一般的な日本人駐在員の日常生活の話です。
本稿の関連動画を以下にアップしています。良ければご参照下さい。
今から20年以上前ですので、現在のインド駐在員の生活環境は、当時と比べると相当改善されています。当時のインドにはまだ外国人向けのサービスアパートメントは無く、私は"ガウリ・アパートメント"という比較的豊かなインド人向けの普通のアパートに住んでいました。
2008年に出張でインドを訪問した際には、私が離任してからたった7年しか経っていないのに、私の会社の日本人駐在員は全員、外国人向けのサービスアパートメントに住んでいて、時の流れを感じたものです。
外国人向けのサービスアパートメントは、全館冷暖房で建物内は共用部分も含めて快適な状態に保たれており、サービスアパートメントのスタッフが定期的に部屋の掃除、タオルやシーツなどのリネン交換、ベッドメイキングをしてくれるなど、イメージとしてはキッチンや洗濯機・乾燥機などを備えたホテルのスイートルームという感じです。
これらはインドに限らない一般的なサービスアパートメントのアドバンテージですが、インドではそれ以外にもっと基本的なアドバンテージがあります。一つは停電対策です。外国人向けのサービスアパートメントはバックアップ用の巨大な自家発電機を備えており、停電に際して瞬時に切り替わります。
ニューデリーの夏は最高気温が40度を超えるので、エアコンをつけっぱなしにして寝ていたのですが、夜中に停電になると暑くて目が覚めてしまい、暗い中で暑さに耐えながら停電が復旧するのをじっと待っていました。停電に備えて自宅内に数時間持続可能なバッテリー使用のUPS(Uninterrupted Power Supply)を備えていたのですが、出力に限度があり、この後で詳しく説明する業務用大型冷凍庫と普通の冷蔵庫及び一部の照明器具以外は使えなかったのです。
二つ目は水道水です。インドは衛生状態が悪いので有名ですが、中でも水道水は無茶苦茶に不潔なのです。なので外国人向けのサービスアパートメントは敷地内に浄水場を持っており、そこで浄化された水(Filtered Water)を各戸に供給します。
サービスアパートメントはスイミングプールを備えている事が多いのですが、そこに使われる水も自前の浄水場で浄化されたものです。水道水をそのまま使った場合、プールで泳いで水が口に入るとおなかを壊してしまいます。私の住んでいたアパートは普通の水道水でしたから、シャワーを浴びる時は、水が入らないようにしっかり目と口を閉じていました。
うがいや歯磨きは洗面所にミネラルウォーターのペットボトルを置いておいて、それを使っていました。インドで流通しているミネラルウォーターには、先進国では販売を許されない程の雑菌が入っているという事でしたが、それでも水道水よりははるかに清潔でした。
このように私が駐在していた頃のインドの住環境は過酷だったのですが、更に大変だったのは食生活でした。以前の投稿"インド人の特徴 - インドよもやま話#2 -"でもお話ししましたが、インドにはベジタリアンが大勢います。このベジタリアンの多さから言えるのは、総じてインド人は食べる事に対する関心が低い、という事です。
ポルトガル人もフランス人も、インドにやって来たのですが、インドの食文化に耐えられなかったので、食に無関心な英国人だけがインドを植民地に出来た、という事です。
私も含めて多くの日本人駐在員は、家事をするインド人の使用人を雇っていました。使用人は住み込みのケースと通いのケースがあるのですが、私の使用人は通いでした。男性コックと女性メイドの夫婦で、コックは日本食が作れました。以前働いていた日本人駐在員の家で、奥さんに教わったとの事でした。私は単身赴任だったので、コックの料理を指導する事は出来ず、完全にお任せ状態だったのですが、明らかにコックの料理の腕がだんだん落ちて行くのが判りました。コックは、インド人の嗜好からすると全く美味しいと感じられない日本食を作っているので、自分で味見をして味付けを調整する事が出来ません。奥さんがいる家庭では、適宜コックを指導して味付けをアジャストしていたのですが、私にはそれが出来なかったので、本来の味付けからどんどんズレていってしまったのです。
それでもインド料理を作って貰う事は考えませんでした。インドに住んでいる時は、インド料理以外の選択肢が無いシチュエーションが多い為、選択出来る時は必ずインド料理以外を選択するようにしていたのです。「米国に住んで、初めて自分が"和食党"だと知った。」と言った知人(日本人)がいましたが、この感想には海外に暮らす日本人の多くが共感するのではないかと思います。米国でもそう感じるくらいですから、インドでは尚更です。私も今では、時々インドレストランに行って食事をしますが、インド離任後5年くらいは、インド料理を避けていて、自分から進んでインド料理を食べる事はありませんでした。
インドのマクドナルドに行っても、マトンのパテを使ったインド特有のハンバーガーや、ハッシュドポテトが挟んであるベジタリアン用のバーガーなどは避けて、日本のマクドナルドと同じ味のフィレオフィッシュしか注文しませんでした。
マクドナルドは、インドが一連の経済改革を開始した1991年から進出検討を開始し、1996年に1号店をオープンしました。
インドの人口の多さと高い経済成長率に基づく、巨大な潜在市場を見据えた進出です。マクドナルドの先見性と、困難を恐れずに新たな市場を開拓する姿勢は、すごいものだと思います。ちなみにその1年前の1990年には、ソ連崩壊前のモスクワにロシア1号店をオープンしています。
私はよく、ニューデリー市内のマクドナルドに行っては、テイクアウトでフィレオフィッシュを買って、持ち帰って食べていました。当時のインドは現在と違って、近代的なショッピングモールなどは皆無だったので、マクドナルドも汚い商店街の中にありました。そのためマクドナルドの店内で食事をする気になれず、テイクアウトしていたのです。
コックに料理して貰う為にインドで調達する食材は卵と野菜だけで、それ以外は全て海外から持ち込んでいました。ちなみにインドの卵は黄身の色が限りなく白に近いものでした。
野菜は水道水で洗ってから調理するので、生野菜は食べませんでした。乾物や缶詰・瓶詰類、調味料、米、乾麺などは、日本食送付制度を使って取り寄せていました。
多くの日本企業は、日本食材が入手しにくい国の駐在員を対象とした福利厚生制度として、会社と提携している業者に注文して日本食材を送付して貰う、日本食送付制度を導入しています。食材自体の代金は駐在員が負担するのですが、送料は会社が負担してくれるのです。私はこの制度をフル活用して、色々な食材を取り寄せていました。
問題は肉や魚などの生鮮食料品でした。鶏肉はまだなんとかなりましたが、牛肉は入手不可能でした。インドにはイスラム教徒も多くいますので、それが関係しているのかもしれませんが、豚肉の流通量が限られている為、養豚業が確立しておらず、農家が放し飼い状態にしている豚を自分で屠殺して売っているだけなので、インドで売られている豚肉の品質には大いに問題がありました。
ちなみにイスラム教徒が豚を食べないのは"不浄"と考えているからです。ヒンズー教徒が神聖な牛を食べないのと"食べない"という結論は同じなのですが、理由は真逆ですね。
冷蔵輸送設備が貧弱だった為、内陸にあるニューデリーではまともな海産物は売られていませんでした。ちなみに港町であるチェンナイでは、日本人の経営する会社が回転寿司用の寿司ネタを日本に輸出しており、その寿司ネタを使った寿司を供するダリア(天竺牡丹)という日本食レストランがありました。
日本で寿司ネタを加工する時には大量の水を使うものなのだそうですが、インドでは水道水を使えないので、水をあまり使わずに寿司ネタを加工する技術が"企業秘密"という事でした。
トヨタは1999年にインドのバンガロール(現在のベンガルール)に工場進出するのですが、自社の日本人駐在員の為にダリア(天竺牡丹)に依頼してバンガロールにも出店して貰いました。トヨタは日本人駐在員の為に、インドで一番気候が穏やかなバンガロールを選んだそうです。バンガロールは標高920mの高原にあるため爽やかな気候で、"インドの軽井沢"と言われていました。
チェンナイには"赤坂"という寿司屋もあり、日本人の板前さんがいて、本場のインドマグロを供していました。
話をもとに戻すと、ニューデリーで肉や魚が買えなかったので、私は月1回のペースでインド国外に出て、冷凍の肉や魚などの食材を買って来ては、自宅の業務用大型冷凍庫に保管しておいて、少しずつそれを食べていました。日本本社の社員には「月に一回はインド国外に出ないと窒息してしまうんだ。クジラやイルカは、たまに海面に出て呼吸しないと窒息するだろ。それと同じだ。」と話していました。
買出しに行く先は、主としてシンガポールの大丸とバンコクの伊勢丹でした。
両方とも、インドの他、パキスタン、バングラディシュ、スリランカ、ミャンマーなど近隣の国々の日本人駐在員の買出しの為に、日本人店員の担当者を置いており、購入した品物を冷凍して、保冷剤を入れた発泡スチロールのケースと段ボール箱で梱包し、帰りのフライトの出発2時間前に空港のエントランス前で引渡すというサービスをやっていました。購入者は受け取った段ボール箱をカートに積んで、そのままチェックインカウンターに行く訳です。
F2001年9月「そろそろ買出しに行かないとストックが無くなってきたな~」と考えていた時に、問題が発生しました。2001年9月11日、会社から帰って来て自宅でNHKワールドのニュースを見ていると、タワーの中ほどから煙を出しているニューヨークのWTCの映像が飛び込んできました。何が起こったのかと見ていると、現地からの生中継の映像の中で、煙が出ていなかった方のタワーに大型旅客機が突入しました。米国同時多発テロでした。
ショッキングな出来事でしたが、私は翌日本社から来た指示で更にショックを受けました。「航空機を使用する不要不急の出張を禁止する」と言うのです。全世界的に航空機テロのリスクが増加しているという事で、多くの日本企業が同様の指示を出していました。私はすぐに本社に電話して「プライベートの買出しでシンガポールやバンコクに行くのは、出張じゃないからいいんだよね?」と尋ねました。担当者は冷たく「それこそ正に"不要不急"ですね」と言い放ちました。
幸い私は2001年11月にシンガポールに異動となったのですが、それまでの2ヵ月間はインド国内で調達した肉や魚のみで過ごす事になりました。少しでもましな肉や魚を求めて、インド人のコックと一緒に自宅から離れた場所にある大きなローカルマーケットに行って、暗くて臭くて汚い、迷路のように入り組んだマーケット内で買物をしたりしました。
さて今回の、私がニューデリーに駐在していた1999~2001年当時の一般的な日本人駐在員の日常生活のお話はここまでです。楽しんで頂けたでしょうか。今回お話ししたインドほどではないのですが、私が駐在した1991~1995年のドイツ・デュッセルドルフでも、日本食材の入手には苦労していました。当時のデュッセルドルフの日本人駐在員の日常生活についても、機会を改めてお話ししたいと思います。それではまた。
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