海外IPP - 総合商社と国内電力事業者が海外で発電事業?! -【海外進出日系企業研究】

11/11/2022

海外進出日系企業研究

t f B! P L

今回は、以前の投稿"海外プロジェクト - 戦後の日本企業はこうして海外進出を始めた -"の最後で少し触れた、日系企業が関わる海外のIPP(Independent Power Producer:独立系発電事業者)についてお話ししたいと思います。

本稿の関連動画を以下にアップしています。良ければご参照下さい。

https://youtu.be/-92ieEGEu_4

以前の投稿でお話ししたように、当初苦しい中で"第二次世界大戦当時におけるアジア諸国に対する損害賠償"としてODA(政府開発援助)を始めた日本は、自国の戦後復興の為に、そのODAを通じて輸出の促進や海外投資による国内産業の振興を図る事を狙いました。

日本政府の目論見通り、ODAの受注で経験を積んだ日本のゼネコンはその後、ODAとは全く関係ない海外工事の受注を拡大して行きます。この、ODAで経験を積んでビジネスのフィールドを拡大したもう一つの例が、今回お話しするIPPです。

IPPは"公益事業に分類されない、売電のための発電設備を保有している事業者"と定義されます。FIT(固定価格買い取り制度)による日本の太陽光発電などもIPPです。

太陽光発電

一部の発展途上国は、急激に増加する電力需要への対応として、外資のIPPを積極的に誘致したのです。それらの国々でも初めはODAを使って、以前にお話しした水力発電所の他、火力発電所も多く建設していたのですがインフラプロジェクトに使われる事が多い有償資金協力は、返済の必要がある"借金"ですから国の返済能力を超えて発電所建設を進める事は出来ません。そこで発展途上国の政府は、電力不足を手っ取り早く解決する方法として外国の民間企業に発電事業を委託する事にしたのです。

私がニューデリーに駐在していた1999~2001年、ニューデリー市内では頻繁に地区別の計画停電が実施されていました。ニューデリーは当時、恒常的に週2~3回、1回6~7時間程度の計画停電がありました。なので裕福なインド人は自宅に大きな自家発電機を持っていました。私の同僚の日本人駐在員の自宅(一戸建て)にも、6畳間くらいの部屋がいっぱいになるような大きなディーゼル発電機があり、計画停電の間は大変な騒音を我慢する必要がありました。

自家発電機

ところが私が住んでいた地区はニューデリーの中心部で、各国の大使館や政府機関が多くある為か、例外的に計画停電の対象とはなっていませんでした。

計画停電は無かったのですが、送配電設備の故障の為か、月数回くらいの頻度で停電がありました。それに備えて自宅内に数時間持続可能なバッテリー使用のUPS(Uninterrupted Power Supply)を備えていたのですが、出力に限度があり、インド国外に買い出しに行って買ってくる冷凍の食材を保管する業務用大型冷凍庫と普通の冷蔵庫及び一部の照明器具以外は使えませんでした。

当時私が住んでいたガウリ・アパートメント
*インドにはまだ外国人向けのサービスアパートメントは無く
 比較的豊かなインド人向けの普通のアパートだった

一番問題だったのはエアコンが使えなくなる事でした。ニューデリーは内陸の乾燥した場所にある為、冬は最低気温が10度を下回る事もあるのですが、夏は最高気温が40度を超えます。夏場はエアコンをつけっぱなしにして寝るのですが、夜中に停電になると暑くて目が覚めました。暗い中で暑さに耐えながら、停電が復旧するのをじっと待つのです。

首都のニューデリーでこんな調子ですから、インド全土の電力不足を解消するのは並大抵ではありません。余談ですがインド国内ではムンバイだけが例外的に停電が少なく、電力不足がありませんでした。インド最大の財閥であるタタ財閥がムンバイを本拠地としているのが理由という事でした。

インド政府は 1991年7月に「新経済政策」を発表してから、外資IPPの誘致を目論見ます。1992年5~6月にインド政府の代表団が訪米し、それを受けて同年6月エンロンとGEのチームがインドに赴き、直ちに同チームとマハラシュトラ州政府との間で合意書(Memorandum of Understanding:MoU)が締結されます。

インドでは公共電力部門の中心的存在をなしているのが、地域独占事業体としての、州電力庁(State Electricity Board: SEB)なので、IPPはSEBに対して売電する事になるからです。

この時締結されたMoUは、公開入札という手続きを経ることなく拙速に締結されたもので、その内容はエンロンに一方的に都合の良いものでした。悪党のエンロンがインド側の無知に付け込んだと言えそうです。

エンロンは強欲資本主義の代名詞のような会社でしたが、巨額の不正経理・不正取引による粉飾決算が明るみに出て、2001年12月に破綻しました。ちなみにエンロンの監査を担当していた会計事務所アーサー・アンダーセンは、世界5大会計事務所の1つと言われた名門会計事務所だったのですが、粉飾決済やその証拠の隠蔽に関与していたとされて信用を失墜し、2002年に解散を余儀なくされました。

このエンロンのIPPが始まりとなり、先進国の民間企業が続々とインドのIPP事業に参入します。日本企業では丸紅が1998年にタミルナドゥ州のIPP"PPN Power Generating Company Private Limited"の建設(Engineering,Procurement & Construction:EPC)を落札し、併せてIPPに26%出資しました。ちなみにPPNのマジョリティ(71.26%)はインドの民間企業(APOLLO INFRASTRUCTURE PROJECTS FINANCE COMPANY)が持っています。

PPN

以前からODAによる発電所建設に際して、重電メーカーやエンジニアリング会社が、発展途上国でのややこしい交渉事から解放される為に、総合商社と組む事はよくありました。そういった経験を積んだ総合商社がIPPへと進出して行ったのは、自然な流れでした。海外のIPPにおける総合商社のトップランナーは丸紅です。丸紅社長の勝俣宣夫氏と東電社長の勝俣恒久氏が実の兄弟というのが、丸紅がIPPのトップランナーになった背景にあるのかもしれません。

勝俣宣夫丸紅社長

勝俣恒久東電社長

丸紅の持分発電容量は12,219MW(2018年11月現在)で、中国電力、北陸電力、北海道電力、四国電力などが国内で持っている発電容量を上回ります。丸紅が出資したPPNの事業は順調に推移し、現在も丸紅から派遣された日本人が取締役を務めています。

一方、悪党のエンロンがマハラシュトラ州政府の無知に付け込んだダボール電力会社(Dabhol Power Company:DPC)は、紆余曲折を経て、2001年にマハラシュトラ州電力庁(MSEB)がDPCからの電力購入を打ち切る措置を発表し、エンロンはDPCから撤退します。この撤退による損失でエンロンの株価が緩やかに下がり始めるのですが、これがエンロン破綻の始まりと言われています。

DPC

IPPを運営する民間企業は、発電所建設の為の多額の投資を売電で回収する事になるので、通常は売電先と長期間に亘る電力販売契約(Power Purchase Agreement:PPA)を締結します。マハラシュトラ州政府とMSEBは、エンロンが行ったPPAの電力料金算定に不正があったと認定したようです。

確かにダボールプロジェクトのPPAにおける電力料金が相当割高だったのは間違いないようです。ダボールプロジェクトでは"コスト積算"方式が適用され、報酬率は16%と定められていたのですが、エンロンはこの"コスト積算"をごまかして高い電力料金としていたのです。したたかなインド人を騙し通せると考えたエンロンが甘かったですね。

それでなくても外資がインドへ進出するのは、容易ではありません。以前の投稿"スズキの海外展開 - スズキのどこがすごいのか -"でもお話ししましたが、インドで大成功しているスズキも、過去には合弁相手であるインド政府をオランダ・ハーグの国際仲裁裁判所へ提訴したりしています。

NTTドコモは2009年にタタ財閥の通信会社であるタタ・テレサービシズ(TTSL)に約2600億円を出資するのですが、現地での競争は激しく収益は悪化し、2014年にインドから撤退を決定、ドコモとタタは提携を解消する事で合意します。ドコモは出資した時に取り交わした合意文書に基づき、タタ財閥にTTSLの株式買取を要求したのですが、要求は容れられず、ドコモはロンドン国際仲裁裁判所に仲裁を申し立てます。ドコモは最終的に出資の半額の1300億円を取り返すのに3年を要しました。

そんな厳しいビジネス環境のインドで、丸紅はPPNを成功させるのですが、それに気を良くして次に取り組んだテランガーナ州ラマグンダムのIPPでは、手痛い失敗をします。州政府との商談を進める中で好感触を得た丸紅は、契約確定前に発電所建設の準備を始めるのですが、最後の最後に州政府の掌返しに遭い、準備が全て無駄になってしまいました。

このプロジェクトには電源開発(Jパワー)と東芝も関わっていました。私は、契約確定前に先行して開設したラマグンダムのプロジェクトオフィスに常駐して準備にあたっていた東芝の日本人駐在員がニューデリーに来た時に会ったのですが、まだ20代後半くらいの独身の人で「発電所建設工事が始まったら、7年くらいラマグンダムに駐在する予定」と言っていました。20代後半から30代前半の時期に7年間、インドの片田舎に常駐して過ごすというのは、ちょっと私には耐えられなさそうですが、その人は淡々としていました。

ラマグンダム中央駅前

ラマグンダムから一番近い都会がハイデラバードなのですが、片道4~5時間くらいかかる上、そこまで出たところで日本食レストランなど皆無なのです。

ちなみに州政府の掌返しの後、Jパワーと東芝は早々に手を引いたのですが、丸紅だけはしつこく巻き返しを図ったらしく、2003年3月期の決算関連資料を見ると、「インド・ラマグンダム石炭火力発電所の建設・所有・運営(30年間)による売電事業」を事業内容とするBPL Power Projects (AP) Limitedという会社に26%出資している、と記載されています。

ラマグンダム石炭火力発電所

さてここで少し、国内電力事業者の海外展開についてご説明したいと思います。Jパワーも国内電力事業者です。国内電力事業者が海外展開を目指すのは、国内の電力需要が将来に亘って右肩下がりと予想されるからです。原因は"少子高齢化による人口減少"です。

そこで海外に不慣れな国内電力事業者は総合商社をパートナーとして徐々に海外案件を増やしてきたのです。海外IPP事業で先行している国内電力事業者はJERA(東京電力と中部電力)、Jパワーの2社で、関西電力と九州電力がそれを追いかけています。

さてここからはフィリピンのIPPについてお話しします。フィリピンも1990年代半ばくらいまでは電力不足で、マニラ首都圏においても計画停電が実施されていましたが、IPPを積極的に活用する事によって電力供給を増やして、私が赴任した2002年時点でマニラ首都圏では計画停電は皆無でした。ただしフィリピン全土で見ると電力不足は今でも完全には解消されていません。人口の増加と著しい経済の発展で電力の需要が増えており、IPPによる発電量の増加が需要増に追いつかないからです。

私がフィリピンに駐在した2002~2006年に仕事で関りがあったIPPは二つあります。そのうちの一つが、丸紅と関西電力が出資しているサンロケ水力発電所です。

サンロケ水力発電所

サンロケ水力発電所は1998年に建設工事が始まり、2003年から営業運転を開始しています。サンロケ多目的プロジェクトは、フィリピン・ルソン島北部から南進するアグノ川に高さ200mのロックフィルダムを築き,パンガシナン州からその北側に隣接するベンゲット州に及ぶ総容量約10億m3の貯水池を建設して、灌漑、洪水調整、水質浄化および発電の機能を持たせるものでした。場所はマニラの北、約200kmのパンガシナン州イトゴンです。

残念ながら私は現地を訪れた事が無いのですが、私の同僚は丸紅の人々とともに現地に行きました。彼等はチャーターしたヘリコプターでマニラ(マカティ)から飛びました。マニラから約200kmですから無理をすれば車で日帰りが可能なのですが、途中の地域が新人民軍(New People's Army:NPA)の支配地域となっていたので、そこを避けてヘリコプターにしたのです。

太平洋戦争当時、日本占領下で抗日ゲリラ戦を行っていたフィリピン共産党はフィリピン独立後に政府軍により壊滅されていましたが、1968年に再建されその軍事部門の新人民軍がゲリラ活動を行っていたのです。

そんな山奥にあるサンロケ水力発電所ですが、関西電力の日本人技術者が常駐しています。

私が仕事で関りがあったもう一つのIPPは、2005年に住友商事とJパワーが買収したCBK発電所です。CBKというのはCaliraya, Botocan, Kalayaanという3つの水力発電所の総称で、総出力 728MWでした。

Jパワーは1960年代から海外コンサルティング事業を行っていた事から、海外ビジネスにある程度慣れていたようで、このCBK以降は総合商社と組まずに独自で海外展開を行うようになりました。米国ではジョン・ハンコック生命保険をJVパートナーとして事業を展開しています。タイでは地場エネルギー会社のGulfをJVパートナーとして10件以上のプロジェクトを手掛けており、タイにおける主要な発電事業者になっています。このGulfは三井物産とも組んでJパワーとは別のIPPを展開しています。三井物産は最近になってIPP事業を急速に拡大して丸紅と並ぶ持分発電容量となっています。

さて今回の、私が見聞きした日系企業が関わる海外のIPPのお話はここまでです。今回は触れなかったのですが、総合商社、国内電力事業者以外でも、オリックスがグローバルな再生エネルギー事業者として世界各国で発電事業を行っています。その一環でオリックスはインドの大手再生可能エネルギー事業者Greenko(Greenko Energy Holdings)に資本参加しています。

今回は時間の関係で、"インド国外に買い出しに行って買ってくる冷凍の食材を保管する業務用大型冷凍庫"という部分の詳細な説明を省略しましたが、そこについてはまた機会を見てお話ししたいと思います。

本稿の関連動画を以下にアップしています。良ければご参照下さい。

https://youtu.be/-92ieEGEu_4

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ドイツ、インド、シンガポール、フィリピン、ロシアに、計17年駐在していました。今は引退生活を楽しんでいます。

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