今回は、以前の投稿"ドイツでの車の運転 -世界で唯一の速度無制限高速道路-"の最後で少し触れた、モスクワ駐在時代に休暇で度々行ったヨーロッパのレンタカー旅行について、お話ししたいと思います。これからヨーロッパをレンタカーで旅行しようと考えている方にも、この投稿の情報を役立てて頂ければ幸いです。
本稿の関連動画を以下にアップしています。良ければご参照下さい。
私が2009~2013年の間にレンタカーで旅行した国は、英国、スペイン、アイルランド、フランス、イタリア、ドイツ、チェコとクロアチアです。
多くの日系企業では、発展途上国に派遣する日本人駐在員が当該国で車の運転をする事を推奨せず、運転手付のカンパニーカーを貸与します。私の場合は、ドイツとシンガポールでは自分で運転していましたが、インド、フィリピン、ロシアでは、運転手付のカンパニーカーがありました。
インド、フィリピン、ロシアの一般的な運転マナーは、確かに日本よりは悪いのですが、自分で運転する事が不可能なレベルかどうかは、微妙なところです。但し、不慣れなガイジンが運転していると、路上で警官に止められ、難癖をつけられてカネを取られるリスクは、相当高いと思います。また、万が一事故に遭った時の対応等まで考えると、運転はしない方が無難です。
そんな事で、私は2008~2014年までのモスクワ駐在時代、ロシア国内では一切運転しなかったのですが、休暇で西ヨーロッパに出た時には、よくレンタカーを借りて旅行していました。
その時に大変役立ったのが、以前の投稿"ドイツでの車の運転 "の最後でご紹介した、日本語でガイドしてくれる海外用カーナビ「ガーミン」です。このカーナビを知ったのは、荒俣宏さんの本「日本語カーナビで行くヨーロッパ・レンタカー旅行完全ガイド◆イタリア篇◆」でした。現在であればスマホのグーグルマップのカーナビ機能を使えば良いのかもしれませんが、当時はまだそのようなサービスはありませんでした。初めてガーミンを使った時は、「ドイツに駐在していた時にこれがあったら、もっといろんな所に行けたのに」と思いました。
ガーミンを使い始める前、2009年に1回だけカーナビ無しで、英国をレンタカーで旅行したのですが、本当に大変でした。初日と最後のロンドン以外はホテルも予約しておらず、どの町に泊まるかも含めて、都度気分で決めました。というと格好良いのですが、実は目的地のホテルを予約してもそこに辿り着けるかどうか判らなかったので、そうせざるを得なかったのです。それはそれで楽しかったのですが、どこの街に行くにも基本昼前後に到着して、まずはホテルを確保するという作業が必要で、常にプレッシャーがありました。ホテルも当たり外れがあって、不愉快な思いもしました。
ガーミンで目的地にホテルを登録すれば、確実にそこに行けるので、ガーミンを使い始めてからは、ブッキングドットコムで良さそうなホテルを調べて、あらかじめ全行程分の予約をするようになりました。
レンタカーは専らエクスペディアを使って予約していました。エクスペディアのレンタカー予約サイトには英国版と米国版があったのですが、何故か米国版の方が格段に安かったので、ヨーロッパでレンタカーを借りるのに、米国版で予約していました。
ヨーロッパで車を借りる時の問題は、オートマチック車が少ない事でした。昔の日本もそうでしたが、ヨーロッパでは未だにマニュアル車が主流なのです。私は1986年に車を買い替えて以来、マイカーは常にオートマチックだったので、マニュアル車の運転には若干不安がありました。
2010年にスペインのアンダルシア地方を旅行した際、3泊4日という短い期間の旅行だった事もあり、予約しやすくてレンタル料も安いマニュアル車にしたのですが、左ハンドルのマニュアル車は思った以上に運転し辛く、大変後悔したので、その後は必ずオートマチック車を予約するようにしました。
私は日本で免許を取った1977年から1986年までは、マニュアル車ばかり運転していたので、なんとかなるかと思ったのですが、左ハンドルのマニュアル車の運転は思った以上に大変でした。右ハンドルの場合、シフトチェンジの際には右手だけでハンドルを持ちながら、左手でシフトレバーを握ってシフトチェンジします。左ハンドルでは当然これが逆になるのですが、左手だけでハンドルを持ちながら、右手でシフトチェンジすると、慣れていないせいで、どうしてもふらついてしまい、走行を安定させるのに苦労したのです。
レンタル料の安い小型車はマニュアル車しかないケースが多く、結果としてグレードの高い車を借りる事になったのですが、それでもレンタル料は1日あたり1万円以下で、リーズナブルでした。エクスペディアでは複数のレンタカー会社を比較して選択出来るので、安いところを選べたのも価格がリーズナブルになった一因です。
さてここからは、各国のドライブ事情についてお話しします。
先ほどお話しした通り、最初のドライブ旅行は2009年5月の英国で、ガーミン無しでした。午前中にロンドン市内のレンタカー店で、予約しておいたレンタカーを借りて、取り敢えず北を目指しました。
スコットランドの首都エジンバラに行こうと思っていたのですが、1日の走行距離としては長くなりすぎるので、その手前のニューカッスルで一泊するつもりでした。ところがロンドン市内を抜けるのに道に迷ってしまって時間を取られ、ニューカッスルまで辿り着けず、相当手前のヨークで夕方になってしまい、そこで一泊しました。世界の中心ニューヨークの名前の由来となった街ですが、こんな偶然が無ければ訪れる事は無かったと思います。
ヨークに着いた時には、ホテルを予約するインフォメーションセンターが閉まっており、B&Bを何軒も回って、漸く空室を見つける事ができました。これに懲りて、以降の町では必ずインフォメーションセンターが開いている時間に到着し、そこでホテル予約をするようにしました。
翌日ヨークからエジンバラを目指し、途中イングランドとスコットランドの国境を通りました。英国の正式名称は"The United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland"です。このUnited Kingdomは"連合王国"と訳されます。つまり英国は、イングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドという4つの国の連合体なのです。
特にスコットランドは独自の紙幣を発行するほど独立心が強いので、わざわざ仰々しく国境に表示をしているものと思います。
スコットランドのみローマ帝国の覇権が及ばなかった事も、独立心が強い原因かもしれません。チャーチルは「カエサルがドーバー海峡を渡った時から大英帝国の歴史は始まる」と言いましたから、ローマ帝国外にあったスコットランドの事をイングランド人がどう思っているかは微妙です。
ちなみにドイツの大部分を占める地域も、ローマ帝国の支配を受けなかったのですが、例外的にローマ帝国の一部であったライン川流域に住むドイツ人は、その事に誇りを持っているように感じました。ドイツで古代ギリシャ・ローマ史の研究が盛んなのは、コンプレックスの裏返しかもしれません。
英国の道路事情は欧州大陸側と大きく違います。一番の違いは、英国のみが左側通行な事です。なので車は右ハンドルです。英国人と話していた時に「日本も英国と同じく、車は左側通行なんだ。」と言ったら、その英国人は「日本でも車は正しい側(correct side)を走ってるんだね。」と言いました。英国人らしいジョークですね。
左側通行の国の多くは、英連邦の国なのですが、日本が左側通行になったのは英連邦には関係なく、明治期の偶然のようです。欧州大陸側も昔は左側通行だったようですが、ナポレオンが右側通行のルールを作ったそうです。なのでナポレオンに征服されなかった英国のみが左側通行のままになったのです。
もう一つの違う点は、距離や制限速度がKmでなくマイル表示になっている事です。
2009年の英国旅行の際には、エジンバラの後、湖水地方のウィンダミア湖畔の町ボウネスに泊まりました。チャンネル名の"フリント船長"は、英国の作家アーサー・ランサムの少年少女向け小説「ツバメ号とアマゾン号」シリーズに登場する、ジム叔父さんのニックネームから取ったものなのですが、その小説の舞台が湖水地方なのです。ドイツに駐在していた1993年にも旅行で来ていたので、2回目の訪問でした。
この時は道を良く知らない大都会で運転する事に不安があったので、湖水地方から近いにも関わらず、ビートルズゆかりのリバプールには敢えて寄りませんでした。地図で場所を調べながら、ポールやジョンの育った家などのゆかりの場所を訪れる事は難しいと思ったのです。ガーミンを手に入れて不安が無くなったので、翌2010年にリバプールを訪れる事が出来ました。この時の事は以前の投稿"ビートルズ巡礼 - ロンドン・ニューヨーク・リバプール -"で触れています。ビートルズゆかりの場所に車で行くのに、ガーミンが大活躍でした。
2010年、ガーミンを手に入れてから最初のドライブ旅行はスペインのアンダルシア地方でした。お話しした通り、この時はマニュアル車を借りてしまい、大変苦労しました。
2010年の2回目のドライブ旅行はまた英国で、前述の通りリバプールを訪れたのですが、そこから足を延ばして、アイリッシュ海をフェリーで渡り、ダブリンにも行きました。
2度目の英国ドライブ旅行の後、2011年夏にはフランス一周ドライブ旅行をしました。モンサンミッシェルとプロバンス地方に行きたかったのですが、この2か所はフランスの北西と南東に位置しているので、結果としてフランス一周になってしまったのです。
この時はフランス車のプジョーをレンタルしました。見た目はシックで格好良く、驚いた事にベンツのCクラスに積み込むのに苦労したスーツケース2個が、難なくすっきりと収まりました。「フランス人は車の収納を気にするのでフランス車は収納に優れている」と聞いた事がありましたが、まさにその通りでした。
一方、オートマチックトランスミッションはシフトアップの際にガクンと車速が落ちるなどスムーズさに欠け、電気系統に問題があるのか、他の車など近くで強い電波を発するものがあると急にFMラジオが鳴り出すなど、基本性能は今一つでした。また、クリープ現象が全く無くて、車を停める際の微調整に大変苦労しました。クリープ現象をフットブレーキの加減で微妙にコントロールする事で、車を僅かに動かすなどを行っていたので、駐車の際にクリープが無くて苦労したのです。これに懲りて、以降はラテンの車は避けるようにしていました。
次は2012年4月末から5月にかけて、イタリアを旅行しました。この時は北イタリアを回り、2012年末から2013年にかけての年末年始休暇は南イタリアを回りました。フランスでラテンの車に懲りたので、イタリアでは専らドイツ車を借りました。
2012年5月のイタリア・ドライブ旅行からモスクワに戻って1年近く経ってから、イタリアから封書が届きました。交通違反の処理を請け負っているイタリアの会社からのものでした。郵便事情の悪い事で有名なイタリアとロシアなのに、その封書が私の手元にちゃんと届いた事に、ちょっと驚きました。
手紙の中に書かれたURLから自分が借りた車の写っている写真にアクセスしたところ、フィレンツェで宿泊したホテルの近くの道で、時間によってバス専用になるレーンを通行していました。罰金は日本円に換算して数千円で、指定されたサイトからクレジットカードを使って支払う事が可能でした。
罰金を支払った数週間後に、同じ会社からまた封書が来ました。フィレンツェの同じ場所で、違う日にバス専用レーンを通行した写真が撮られていました。泊まったホテルの近くですから、同じところを何度も通っていたのです。手紙の出状日は前のものと同じでした。同じ日に出したのに、イタリアとロシアの郵便事情のせいで、到着日が大きく違っていたのです。私は前回と同じようにクレジットカードで罰金を支払いました。
それから数週間後に、また同じ会社から封書が来ました。出状日は前2回と同じで、フィレンツェの同じ場所で、また違う日にバス専用レーンを通行した写真がありました。3通一緒に届いていたら、罰金総額(2万円を超えました)とリスクのバランスを考えて踏み倒していたかもしれませんが、バラバラと届いた為、結局全てを支払ってしまいました。
モスクワから帰国する前の、最後のレンタカー旅行は2013年8月のクロアチアでした。クロアチアは前月にEUに加盟したばかりでした。モスクワからアエロフロートの直行便で、アニメ映画「魔女の宅急便」の舞台となったドゥブロブニクに入りました。
ドゥブロブニク観光にはレンタカーは不要だったので、北に足を延ばした中5日間だけレンタカーを借りました。この時は珍しく大衆車であるシュコダのオクタビアのオートマチック車があったので、それにしました。シュコダはVWの子会社で、もともとはチェコの国営自動車メーカーです。パリでタクシーに使われたりしている車ですが、トランクも広く、悪くありませんでした。流石VWです。
さて今回の、ヨーロッパのレンタカー旅行のお話はここまでです。楽しんで頂けたでしょうか。また機会を見て、ドライブ旅行で訪れた土地でのエピソードなどをお話ししたいと思います。それではまた。
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