2021年7月15日にアップした動画"東南アジアで最も民主的な国、フィリピン(後篇)"の中で、2022年の大統領選について、現職ドゥテルテ大統領の娘のサラ・ドゥテルテと、フェルナンド・ポー・ジュニアの養女グレース・ポーの対決を予想して、大外れになってしまいました。
そこで今回は、"東南アジアで最も民主的な国、フィリピン(続篇)"として、2022年フィリピン大統領選について考えてみたいと思います。
本稿の関連動画を以下にアップしています。良ければご参照下さい。
2022年5月のフィリピン大統領選挙は、直前の大方の予想通りボンボン・マルコスの圧勝で終わりました。フィリピンの選挙では、開票の不正操作が横行しているのですが、ボンボン・マルコスは2位以下に大差をつけ、3000万票を超す史上最多票を獲得しましたので、不正開票操作の有無に関わらず、民意を反映した当選である事は間違いないところです。投票率も80%を超えており、まさに民意を代表する当選者です。
ボンボン・マルコスの父親は、エドサ革命で国を追われたマルコス大統領ですので、これがまさにフィリピン人の寛容さ(Short Memory?)です。
フィリピンは平均年齢が24歳と極めて若く、多くの有権者がマルコス独裁時代を知りません。最近は日本でも若者に「過去に日本と米国は戦争したんだよ」と言うと「え!ホント?で、どっちが勝ったの?」と訊き返されたりするそうですから、あまり偉そうな事は言えませんが、それにしても1986年のエドサ革命とマルコスファミリー亡命からたった36年で、亡命から戻った独裁者の息子が大統領選に大勝するのは、ちょっとどうかと思いますよね。
しかし私は、日本人もこのフィリピンの人達の寛容さの恩恵を大いに受けていると思います。太平洋戦争の時、日本軍は”米国の植民地であるフィリピンを解放する”事を、理念として掲げていましたが、実は1934年に米国議会で成立した”フィリピン独立法”によって、1944年7月4日に独立する事が約束されていたフィリピンにとっては、日本軍の侵攻は迷惑でしかありませんでした。その後、米国の支援するゲリラ部隊と共産党のゲリラ部隊が、抗日ゲリラ戦を展開します。ベトナム戦争を見ても判るように、民間人の間に隠れたゲリラと戦う際は、どうしても民間人を巻き添えにしてしまう為、日本軍はフィリピン大衆の憎しみの対象となりやすかったのです。
ところが私がフィリピンに駐在していた間、フィリピンの人達の反日感情を感じる事は全くありませんでした。
さて以前の投稿"東南アジアで最も民主的な国、フィリピン(前後篇)"のキーワードは”Too Much Democracy”でした。一定程度の不正開票操作はあるものの、エドサ革命以降の大統領選挙では、基本的に国民に最も人気のある候補者が当選しています。コラソン・アキノ、エストラーダ、ベニグノ・アキノ3世、ドゥテルテ、そして今回のボンボン・マルコスと、いずれも、2位以下を圧倒的に引き離しての当選です。
例外は1992年のフィデル・ラモスと2004年のグロリア・アロヨです。ラモスはコラソン・アキノの後継指名を受け、反アキノ派との激しい選挙戦を制して当選しました。
グロリア・アロヨの対抗馬は、「フィリピンの高倉健」と呼ばれたフェルナンド・ポー・ジュニアでした。不正開票操作が無ければフェルナンド・ポー・ジュニアが当選していたと思われます。
この歴代大統領のプロフィールは、国民の英雄ベニグノ・アキノの未亡人でエドサ革命のシンボル、コラソン・アキノ、「フィリピンの勝新」と呼ばれたエストラーダ、国民の英雄ベニグノ・アキノの息子、ベニグノ・アキノ3世、「フィリピンのダーティー・ハリー」と呼ばれたドゥテルテと、人気が出た理由もはっきりしています。2004年に当選する筈だったフェルナンド・ポー・ジュニアも例外ではありません。
今回の大統領選でも、ボクシング世界チャンピオンで史上2人目の6階級制覇を成し遂げたマニー・パッキャオや、元俳優で現マニラ市長のイスコ・モレノなどの候補者達は、過去の大統領の系譜に連なるのですが、今回はそれらのタレント候補を抑えて、ボンボン・マルコスの当選となりました。
今回の大統領選の結果は、色々な人達の思惑が複雑に絡み合ったもののように思います。そもそも今回の大統領選において、当初は現職ドゥテルテ大統領が娘のサラ・ドゥテルテを後継指名すると見られていました。そして自身は副大統領に立候補する予定だったのです。
ところが娘はお父さんの言う事をききませんでした。彼女の母親であるエリザベス・ジマーマンとドゥテルテ大統領が2000年に離婚した事と関係があるかもしれません。離婚の原因はドゥテルテ大統領の浮気でした。現在ドゥテルテ大統領には、内縁の妻ハニーレット・アヴァンセニャがいて、2004年には彼女との間に娘が生まれています。離婚後も別れた奥さんや彼女との間に出来た3人の子供たちと親交があるので、その関係を壊したくない為、入籍していないようです。
この父娘の微妙な関係の為か、サラ・ドゥテルテは大統領候補者中トップの支持率を持っていたにも関わらず、父親の言う事を聞かずに、父親とは別の政党(ラカスCMD)から副大統領選に出馬します。
フィリピンでは大統領と副大統領は、別々に選挙で選ばれます。米国と同様に大統領候補と副大統領候補はセットで選挙戦に臨むのですが、選挙の結果が敵対陣営の大統領と副大統領の組み合わせとなる事もよくあります。ドゥテルテ政権の副大統領は野党である自由党のレニー・ロブレドでした。彼女は今回の大統領選に立候補して、次点となっています。
グロリア・アロヨもエストラーダ大統領と敵対する副大統領だったので、エストラーダ大統領に対する弾劾裁判がグズグズになり、エドサ革命の時と同じように人々の抗議運動が盛り上がって行くのを見定めて、最高裁に、「エストラーダ大統領は政府を掌握する能力を失った為、大統領職が空席になった」との宣言を出すよう働きかけて、副大統領から大統領に就任しました。
今回の選挙ではサラ・ドゥテルテは、このグロリア・アロヨに相談をしていたようです。アロヨはサラ・ドゥテルテを大統領候補、ボンボン・マルコスを副大統領候補として共闘体制を組もうとしたのですが、ボンボン・マルコスが大統領候補に固執した為、サラ・ドゥテルテが譲ったという事です。
アロヨは現在、与党連合の一角であるラカスCMDの名誉総裁を務めています。ラカスCMDの党首マーティン・ロムアルデスは、ボンボン・マルコスの母方の従弟です。ラカスCMDにはラモス元大統領も所属していますので、アロヨをバックで操っていたのはラモスかもしれません。
ドゥテルテの父親はマルコス独裁政権で内務相を務めており、その恩義に報いたのかドゥテルテは大統領に就任すると、マルコス大統領の遺体を英雄墓地に埋葬する事を決定します。またドゥテルテは、大統領退任後に公金の不正流用の疑いで拘束されていたアロヨの釈放にも尽力します。
ドゥテルテにしてみれば、恩を売ったアロヨとボンボン・マルコスに裏切られたようなものなので、一時は娘の対抗馬として自分が副大統領に立候補する事を考えたようですが、どうやっても娘を翻意させる事が出来ず、最後はボンボン・マルコス支持に回ります。
オランダ・ハーグの国際刑事裁判所(ICC)が、ドゥテルテ政権が進めた「麻薬戦争」に絡む、麻薬犯罪容疑者の超法規的殺害が「人道に対する罪」に当たる疑いがあるとして、正式捜査をしようとしています。ドゥテルテに反対する勢力が選挙に勝利した場合、ICCの訴追を受ける可能性がある事から、娘を翻意させられない場合、敵対を続けるのは反対勢力を利するだけなので、サポートに回らざるを得なかったのです。
実はドゥテルテがこの「麻薬戦争」を始める前から、麻薬に限らず色々な犯罪で、警察が容疑者を逮捕しようとして射殺してしまうケースは、多く見られました。警察と当該容疑者がグルなので、逮捕して尋問すると警察内部の犯罪がばれてしまう為、それを防ぐ目的で射殺する、という事でした。「麻薬戦争」の為にそういったケースが多発する事態となったようです。
日本と違って警官が発砲する事に対するハードルが低いのも原因と考えられます。フィリピンはカソリックの国なので、欧米と同様に年越しの際には花火を上げて大勢で騒ぐのですが、多くの警官が花火の代わりに拳銃を撃つので、毎年事故が多く起きます。
こういった流れの中で現政権を支える与党連合の多くの支持を受けたボンボン・マルコスですが、大衆の人気を得ないと当選はおぼつきません。ボンボン・マルコスの選挙戦術は非常に巧みで、フォロワー数が600万人を超えるフェイスブックなどのSNSを巧みに使って自らの主張を発信し、有権者に直接、支持を訴えました。
一方で、大統領候補者の討論会を欠席したり、厳しい質問をするメディアの取材を断ったりして、父親の犯罪について自身の口から説明する事を回避しました。
ボンボン・マルコスは「ドゥテルテ政権の継承」「団結」と言う以外に纏まった政策を語ってこなかった為、今後どのように政権運営を行うのかはっきりしないのですが、南シナ海の領有権問題で中国に譲歩しない姿勢をアピールし始めたりと、経済関係を重視してきたドゥテルテ現政権の対中融和路線を修正する可能性を見せたりもしています。
フィリピン内国歳入庁(BIR)はマルコス家に対して相続税などの支払いを求めており、その額は2030億ペソ(約5000億円)に上るのですが、ボンボン・マルコスが大統領に就任すると、これはチャラになりそうです。
問題になりそうなのは、米国での未払いのようです。マルコス家がかつて亡命していた米国では、同国の裁判所がフィリピンでの人権侵害に対する賠償金や判決を無視した罰金など23億ドルの支払いを命じているのですが、まだ支払われていない為、ボンボン・マルコスが米国に入国すると逮捕・拘束される可能性があります。
ニューヨークにある国連本部で開かれる国連総会への参加も出来なくなってしまいます。フィリピンは地政学的に米国にとって大変重要ですから、なんとかしてくれるかもしれませんけどね。
以前の投稿でサラ・ドゥテルテの対抗馬に挙げていたグレース・ポーは、大統領選に出馬しなかった理由についての明確な理由は報道されていないのですが、私はマルコス家との関係で出馬を見送ったのではないかと推察しています。
以前に説明した通り、グレース・ポーは生後すぐ教会に置き去りにされて、5歳の時にフェルナンド・ポー・ジュニアの養女となるのですが、グレース・ポーの実の父親はマルコス元大統領だ、という噂があります。
噂に過ぎないのですが、大人気の映画俳優がわざわざその子を選んで養女にした理由としては、腑に落ちるものがあります。この噂が本当だったとすると、腹違いの兄を大統領にする為にマルコス家と話し合いが持たれても不思議はありません。
さて今回の、2022年フィリピン大統領選についての考察はここまでです。お祭りのようなフィリピンの選挙戦を見ると、民主主義について考えさせられますが、陽気で明るいフィリピンの人達の為に、ボンボン・マルコスが大化けして優秀な大統領となる事を願うばかりです。それではまた。
本稿の関連動画を以下にアップしています。良ければご参照下さい。