現在(2022年2月14日)、ロシアのウクライナ侵攻の恐れが高まっていると、米国が主張しています。そこで今回は「ウクライナとはどんな国か - 歴史的背景とロシアとの関係 -」と題する解説を作りました。
本稿の関連動画を以下にアップしています。良ければご参照下さい。
前回の投稿「ソ連崩壊と同じ事がもし日本で起こったら」が、少々説明不足だったと反省したのも、今回この解説を作った理由です。
プーチン大統領は2021年7月に「ロシア人とウクライナ人の歴史的な同一性について」と題した論文を発表し、ロシア人とウクライナ人は「1つの民族」だと主張しました。プーチン大統領は、ウクライナをロシアの勢力圏に取り戻すことが自らの使命だと考えているようです。
ロシアとウクライナ、ベラルーシは同じ東スラブ民族で、統一国家の始まりは9世紀から12世紀ごろまで栄えたキエフ・ルーシにあります。中心地は現在のウクライナの首都キエフでした。
紀元前8世紀から1991年のソ連崩壊に伴う独立までの年表を見ると、ウクライナの歴史の複雑さが判ります。
8世紀ごろ、ウクライナでルーシという国が誕生し、東スラヴ人のポリャーネ族の町キエフはその首都となります。この"ルーシ"という名称が"ロシア"の語源です。"ベラルーシ"の"ベラ"はロシア語で"白い"という意味なので、日本語では白ロシアと呼びます。
現在これら3カ国がある一帯を最初に統治したのはノルマン人のリューリクを創始者とするリューリク朝です。これは殆ど神話のレベルですが、12世紀に作成されたルーシの『原初年代記』によると、相互の争いに疲弊したスラヴ人が自分たちを治める指導者を求めてバイキング(=ノルマン人)にすがり、862年、リューリクら三兄弟(リューリクの弟、シネウスとトルヴォル)を得たと書かれています。
リューリクはスラヴ人の町であったノヴゴロドを支配下に置き、キエフの大公朝を滅ぼし、自分の幼い息子イーゴリをキエフの統治者にします。その摂政であったオレグ公は、キエフ大公国(ルーシ)を建国して、死後にイーゴリに譲ります。
1238~1480年の間、"タタールのくびき"と呼ばれる期間になり、ルーシはモンゴルに支配されます。この"タタールのくびき"の名残は、ロシア料理"ペリメニ"などに残っているように思います。ロシアの人達はスメタナと呼ばれるサワークリームをつけて食べます。それはそれで美味しいのですが、私はモスクワの自宅では酢醤油とラー油で食べていました。
なおモンゴル人は、侵攻して行く時の戦い方は激しくて、住民の虐殺なども頻繁にあったようですが、支配地域を属国とした後の支配自体は緩やかで、厳しい締め付けなどは無かったようです。
"タタールのくびき"は、モスクワ大公国が1480年にモンゴルへの貢納を廃止し、他地域も相次いでモンゴルからの自立を果たす事によって終わるのですが、その後、ウクライナの地は様々な国々に分割統治される時代が長く続きます。
ロシア革命によるロシア帝国消滅の機会に、ウクライナとして独立を目指し、ドイツ、オーストリアの支援を得て、ウクライナ人民共和国を樹立するのですが、第1次大戦でドイツとオーストリアが連合国に降伏した為、支援が得られなくなったウクライナはソ連に屈し、ウクライナ社会主義ソビエト共和国として、ソビエト連邦の一部となります。
ちなみにクリミアは、1917年、クリミア・タタール人を中心とし、クリミア人民共和国の建国が宣言されるのですが、1918年にモスクワのソビエト政府により占領され、1921年、クリミア自治ソビエト社会主義共和国となります。
その後、自治共和国の廃止によりクリミアはロシア・ソビエト連邦社会主義共和国のクリミア州となりますが、1954年、ウクライナ・ソビエト社会主義共和国へと移管されます。ソ連のトップに就いたフルシチョフが、過去にウクライナ共産党のトップを務めていた時の恩義に報いるために、クリミアをウクライナにプレゼントした、という話があります。
当時はロシアもウクライナもソ連に所属する共和国ですから、例えて言えば、「町田市を東京都から神奈川県に移管する」くらいの感覚だったのではないかと思います。クリミアのセヴァストポリ軍港は、ロシアの黒海艦隊の基地という重要な軍事拠点ですから、ソ連崩壊が判っていればウクライナに移管する筈は無いのですが、1954年にそんな事を見通せる筈もありません。
さて、ソビエト連邦の下でようやく一つの国となったウクライナは、1991年のソ連崩壊に伴って独立するのですが、独立ウクライナはソ連の一部となる前に短期間存在したウクライナ人民共和国の後継者であることを意識し、国旗や国章の「トルィズーブ」(三叉の鉾)などは同共和国時代のものが採用されました。またこの独立をもって、ウクライナはキエフ・ルーシ崩壊以降ウクライナ史上最大の領土を手に入れました。
ここまでの歴史で判るのは、四方を海に囲まれて自然に国が成立した日本とウクライナの成り立ちは、全く異なるという事です。2008年4月にブカレストで開かれたNATO首脳会談でプーチン大統領は、米国のブッシュ大統領に対して、「ウクライナは他の国々から少しずつ領土をとって繋ぎあわせた人工的な国家だ」という趣旨の発言をしています。
これは実はウクライナ固有の問題ではなく、カザフスタンなど他の旧ソ連諸国に共通する問題です。原因は旧ソ連憲法の「国家からの分離に至るまでの民族自決権」という考え方にあると思われます。
*参考資料:ウクライナ - 国民形成なき国民国家(伊東 孝之)
https://src-h.slav.hokudai.ac.jp/center/essay/20140609-j.html
民族が自決して全体国家から分離出来るとするならば領域を持たなければなりません。そこでほとんど全ての定住民族に領域が設定されました。民族の領域は連邦構成共和国、自治共和国、自治管区など大から小まで幾つかのレベルに及びました。その領域の主人であるべきなのが「タイトル民族」でした。領域はタイトル民族の原型的な、あるいは歴史的な居住範囲でした。
タイトル民族が定められ、境界線が原型的には民族誌に忠実に設定されたといっても、その民族に政治的実権が与えられたわけではありません。各地の共産党はソ連共産党の一部であり、この地域共産党がソ連共産党の決定に反して行動することはあり得ませんでした。
加えて重要なのは、地域共産党が代表する「人民」がタイトル民族の構成員だけではなく一定領域の全住民を指していた事です。ソ連時代には急速な工業化、都市化、開墾と植民、勤労動員、人事異動、大量流刑などによって大きな人口移動が起こり、原型的な民族誌的境界線はほとんど意味を失って行きました。
ソ連が崩壊した時、構成共和国がそのまま独立した訳ですが、その国民は"たまたま独立時にその国家内に居住していた者"だったのです。それ故に多くのウクライナ国民がウクライナという国家に対して持つ感情は、私たち日本人が日本という国家に対して持つ感情とは明らかに異なったものです。
もう一つの考慮すべき点は、汚職(腐敗)です。以前の投稿「最強の反社は警察」でも触れた、世界の汚職を監視する非政府組織(NGO)Transparency Internationalが調査・公表している直近の腐敗認識指数(Corruption Perceptions Index -CPI)では、ウクライナは117位で、ロシアの129位よりは僅かに上ですが、115位のフィリピンを下回っています。ウクライナでは平均して国家予算の30%程度が汚職で消えてしまうそうです。特に国防予算の使い方がひどいようで、ある軍需工場は100ドルの注文を受けると、81ドルまでを盗んでいたそうです。
「ウクライナにはソ連が引いた国境線のために、あるいはキエフの政府のために、命を賭けることに関心があるような人はほとんどいない。」と言う人もいます。
更にこの腐敗認識指数から推測されるのは、過去から現在に至るウクライナの大統領、首相、各州知事他の権力者が、必ずしも国家・国民に奉仕するとは限らず、政界は魑魅魍魎が跋扈するところだ、という事です。
バイデン大統領の次男であるハンター・バイデンが、2014年から2019年まで、ウクライナの天然ガス会社の取締役を務め、月額5万ドルの報酬を受けていた、というのもありました。ロシアのガスプロム、ロスネフチなどを見ても判るように、汚職(腐敗)がはびこる国においては、クリーンなエネルギー企業はあり得ません。
2014年の反政府デモでロシアに亡命したヤヌコーヴィチ大統領は、所有する大豪邸が話題になりましたが、その後に就任したポロシェンコ大統領も、1990年代の混沌の中でゼロから巨大企業グループを作り上げ、資産10億ドルの大富豪になった、という経歴を考えると、典型的なオリガルヒ(新興財閥)と考えて間違いないと思います。
そんな中で、現在のゼレンスキー大統領はちょっと変わった経歴の持ち主です。彼はコメディアンだったのですが、2015年にテレビドラマ『国民のしもべ』で平凡な高校教師から大統領となり、政治の腐敗と戦った人物を演じて、人気を博します。その人気を追い風にして、2019年ウクライナ大統領選挙には無所属候補で出馬し、テレビドラマと同じ名前を冠した政党「国民のしもべ」の支援を受け、圧倒的な得票率で大統領に当選します。
フィリピンのエストラーダ大統領は映画で、腐敗した金持ちの金を奪い、貧しい人に分け与えるヒーローの役を演じていたのに、大統領に就任すると、もっぱら私腹を肥やす事に集中していたのですが、幸いゼレンスキー大統領には、今のところその様なスキャンダルは出ていません。もしかしたらこのゼレンスキー大統領は、ウクライナにとって大変ラッキーな"当たりくじ"なのかもしれません。
そのゼレンスキー大統領ですが、彼はユダヤ系で、ウクライナ東部出身の為、母語はロシア語になります。もともとウクライナ語は苦手だったようですが、大統領当選以降はウクライナ語の特訓を受け、会見等ではほぼウクライナ語のみでこなしています。ちなみにユシチェンコ大統領の下で首相を務めたティモシェンコも、母語はロシア語です。
ロシア語が母語だから親ロシア、というような単純な構造ではないと思いますが、ウクライナ人全員がロシアを嫌っている、というような単純な見方も、明らかに誤りです。ゼレンスキー大統領は、EUやNATOとの交流を深める親欧米外交を志向する一方で、前任のポロシェンコ大統領がとった反ロシア政策の緩和も行っているようです。
これまでお話ししたような複雑なウクライナの状況を考えると、米国のバイデン政権の対応は、危機を煽っているだけのように見えてきます。このところハンター・バイデンに関する報道は全く無くなりましたが、私には、バイデン大統領が何らかの特別な意図を持って危機を煽っているようにも見えます。ゼレンスキー大統領も「米欧の指導者の発言やメディア報道が今にも戦争が始まるという印象を与えている」と言っています。極めて複雑なウクライナの状況に対して、米国の対応は大変危険なように感じます。
プーチン大統領は「東西ドイツ再統一に際して、NATOは東方不拡大を約束したのに、それを破っている」と主張しています。"口約束"なので水掛け論ではあるのですが、当時の冷戦終結による和解と希望の雰囲気を思い出すと、それらしい話が首脳間の対話の中で、あったとしても不思議は無い様に感じます。もしそうだとすれば、今回のプーチンの主張も、あながち間違っていないようにも思えるのですが、如何でしょうか。
独仏は英米と一線を画し、ロシアとの対話を模索しているようです。今回のウクライナの件のような複雑な外交は、アングロサクソンよりも欧州大陸側の人々の方が得意なように感じます。なんとか独仏が上手く落し処を見つけてくれると良いのですが。
さて最後におまけで、私がウクライナ出張後に遭遇したトラブルについてお話しします。私はモスクワに駐在していた時、何回かキエフに出張したのですが、その際にATMで現地通貨を引き出しました。
私は海外出張時に利用する目的で、日本でシティバンクの口座を開設して、キャッシュカードを持っています。このキャッシュカードは、世界中のシティバンクのATMの他、提携している多くのATMで、現地通貨を引き出す事が出来ます。その現地通貨は、シティバンクの社内換算レートで円貨換算されて、日本の口座の残高が減る訳です。タイムラグは全く無く、日本の銀行のキャッシュカードを使って、日本のATMで現金を引き出すのと同じです。
スリランカのコロンボに出張した時に、現地の商店街の片隅にある薄汚れたATMで現金(スリランカルピー)を引き出した時は、そのATMと東京の私の銀行口座が繋がっている事に、感動してしまいました。
キエフに出張した時も、いつもと同じようにATMで現地通貨"グリブナ"を引き出したのですが、その数か月後、突然シティバンクからメールが入りました。私の口座から不審な引き出しがあるというのです。
私はラッキーな事に、その時たまたま休暇で日本に戻っていたので、すぐに口座があるシティバンクの支店に出向きました。何者かがキエフ市内のATMで、私の口座から15万円位の現金を、4日連続で引き出していました。私はパスポートとキャッシュカードを見せて、その期間私が日本に居て、キエフで現金を引き出したのは別人である事を証明出来ました。シティバンクは、現金の引き出しが犯罪によるものである事を認めて、引き出された現金約60万円を全額返してくれました。これに懲りて、シティバンクのキャッシュカードで現金を引き出すと、都度メールで連絡が来るように設定を変更しました。
ウクライナは空港も街も綺麗で、日本人はビザなしで入国する事が出来る為、旧ソ連の国というよりは、普通のヨーロッパの国のような印象を受けていたのですが、やっぱり普通のヨーロッパではないんだと、実感した次第です。それではまた。
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