ソ連崩壊と同じ事がもし日本で起こったら

21/01/2022

ロシア

t f B! P L

以前の投稿「プーチンの評価」でもお話しした通り、現在の世界は、自由、民主主義、基本的人権、法の支配、市場経済の5つを普遍的価値とする欧米と、「全ての国に固有の歴史と文化があり、互いを尊重しなければならない。」として、欧米の価値観の押し付けに抵抗する中国、ロシアなどの国々に2分されている様に思います。日本政府は欧米と普遍的価値観を共有すると表明していますが、同時に、「価値観の押しつけや体制変更を求めず、各国の文化や歴史、発展段階の違いに配慮。」と付け加えています。

今回は、私自身がロシアの主張や立場を感覚的に掴む為に、ソ連崩壊と同じ様な事が日本で起こったらどうなるか、架空のストーリーを作ってみました。

本稿の関連動画を以下にアップしています。良ければご参照下さい。

https://youtu.be/xZhrjKPQksk

それではキャプテンフリント劇場「ソ連崩壊と同じ事がもし日本で起こったら」のはじまりです。

バブル崩壊後の1993年、7月18日に実施された第40回衆議院議員総選挙の結果、8月9日に日本新党代表の細川護熙が第79代内閣総理大臣に任命され、細川内閣が発足した。

非自民・非共産8党派の連立政権である細川内閣の発足により、1955年の結党以来、38年間単独政権を維持し続けた自由民主党は初めて下野する事となった。55年体制の崩壊である。

この細川内閣の看板政策1丁目1番地は選挙制度改革だった。選挙制度改革は紆余曲折を経て、衆議院小選挙区300議席・比例代表200議席で決着した。併せて地方分権型の社会を目指し、この比例代表を選出する全国11ブロックをベースとした道州制が導入される。

細川政権における連立与党側の運営は、各党書記長・代表幹事らの「与党代表者会議」によって行われるケースが多く、特に新生党代表幹事小沢一郎と公明党書記長市川雄一の「一・一ライン」が中心となった。

ところが小沢一郎と対立する新党さきがけの武村正義は、内閣官房長官という役職にありながら、政権発足当初から自民党と内通し、やはり小沢一郎と折り合いが悪かった社会党も加えて、自社さ連立政権を目指した。この動きを察知した小沢一郎は機先を制する形で、道州制を発展させた連邦制への移行を目指し、国民投票を実施する。自社さ側は国民投票で否決されると見込んでいたが、小沢一郎が主導したキャンペーンで、バブル崩壊後の苦しい経済状況を打開する手段としての連邦制移行をアピールした事が奏功し、連邦制移行賛成票が、僅差で反対票を上回り、その結果日本は、天皇を共通の国家元首とする、北海道、本州、四国、九州の4つの国になる。

英連邦におけるカナダ、オーストラリア、ニュージーランドと同様に、北海道、四国、九州も独自の首相と議会を持った。国際法上は本州が日本を継承し、国名も日本とした。連邦制移行時の各国の首相は、日本(本州):羽田孜、北海道:鈴木宗男、四国:後藤田正晴、九州:細川護熙だった。自衛隊は駐屯地の所在する国に所属する事となり、日本(本州)、北海道、四国、九州と米国が連名で、安全保障条約を締結する。

この直後に香川県で、四国からの分離と日本(本州)への帰属を求める住民運動が起こる。四国は香川県の要求を認めなかったが、日本(本州)が香川県を積極的に支援し、香川県は独立を宣言する。この香川共和国は現在に至るまで、日本(本州)の他にはわずかな国しか承認していない。その後四国は米国、日本(本州)、北海道、九州との安全保障条約を破棄した。

2005年に九州で実施された総選挙により、親中国の政党「われらの九州」が議席の過半数を獲得し、「われらの九州」党首の野田聖子(北九州市出身)が首相に選出される。

親中政権の発足をきっかけに、中国は九州への投資を活発化し、中国の自動車メーカー、電機メーカーが工場進出する。併せて九州産農水産物の中国向け輸出が増加し、中国から進出した工場で生産された製品の中国向け輸出と併せて、中国向け輸出が急速に拡大する。また中国からの観光客も大挙して九州を訪れるようになる。これらによって九州経済の中国依存はどんどん深まっていった。

2006年に九州と日本(本州)の間で締結されていた「電力相互供給条約」に基づく、九州から日本(本州)に対する売電契約の見直しによる電力料金の大幅引き下げの提案が、日本(本州)より為され、両国の対立が激化し「日本・九州電力紛争」に発展する。この紛争への対応を巡って「われらの九州」内部で抗争が起こり、九州国民はごたごたに嫌気が差してくる。

そのタイミングで、野党勢力により内閣不信任案が可決され、総選挙の結果「九州自民党」が勝利、「九州自民党」党首の麻生太郎が首相に就任する。

麻生首相は親中路線の修正を図るが、既に九州経済は中国無しには立ち行かなくなっている。2005年の親中政権発足と同時に、九州として上海協力機構への参加について検討を開始していたのだが、2013年11月に麻生政権が上海協力機構への参加見送りを発表した事で、親中派や民族主義政党全九州連合「自由」などの野党勢力などによる反政府運動が勃発する。

2014年1月後半より、抗議者の中に右派セクターなどの武力抵抗を辞さないとする立場のグループが現れ、これを制圧しようとする治安部隊との衝突が発生、双方に死者が出る。2月22日に麻生首相が行方をくらませたことを受け、九州議会において、親中派政党の地域党と九州民主党を含む議会内全会派が麻生首相解任と総選挙の繰り上げ実施を決議し、笠浩史首相代行が承認され、新政権が発足する。

日本(本州)政府は中国の国家安全部が反政府運動を扇動したとして抗議したが、中国は全面否定。親日派の麻生政権が崩壊したことを理由とし、3月1日に日本(本州)国会が沖縄への軍事介入を承認。日本(本州)の安倍首相は、九州の極右民族主義勢力から沖縄住民を保護するとの名目で本格的に軍事介入を開始する。沖縄に多くの基地を持つ米国も、日本(本州)と歩調を合わせる。

この日本(本州)の侵攻に対して、九州新政権は侵略であるとして強く反発したが、沖縄の住民の中にはこれを歓迎する者も少なくなく、九州国内法を無視する形で、沖縄県議会は3月11日に沖縄独立宣言を採択し、3月16日に九州からの独立と日本(本州)への編入を問う住民投票を九州国内法に違反する形で実施する。同結果を根拠に、翌17日に九州からの「沖縄共和国」の独立と日本(本州)への編入を求める決議を採択。

日本(本州)の安倍首相は同日中に沖縄共和国の主権を承認したうえで、翌18日に沖縄の日本(本州)への編入要請受諾を表明し、沖縄の仲井眞知事とともに編入に関する国家間条約に署名する。中国とロシアはこれら日本(本州)の動きが国際法違反の侵略で、九州からの沖縄の独立と日本への編入は無効であるとして、抗議する。

2014年6月に総選挙によって選ばれた上田晋也が九州の首相に就任。沖縄の占領解除と九州への再統合をめざす国家戦略を承認し、国際的な枠組み「沖縄プラットフォーム」を発足させて沖縄奪還をめざす計画を進めている。

北海道は独立以来、鈴木宗男がロシアと日本(本州)及び米国のバランスを取った外交を展開して、長期政権を維持していたが、2019年3月19日に国民向けのテレビ演説で、20日付で首相職から退任すると発表する。ただし、「国家指導者」という憲法上の地位を維持し、国家安全保障会議の終身議長に留まるとした。

鈴木は後継首相に杉村太蔵を指名。

2022年1月2日地方都市で燃料価格の高騰への不満をきっかけとした抗議デモが始まる。その矛先は鈴木前首相に及び、一部暴徒化したデモの波は全国に広がる。杉村首相はデモ隊をテロリストと決めつけ、治安部隊には警告なしでの発砲を指示。あわせて鈴木を安全保障会議議長から解任し、鈴木の腹心とされる治安機関トップを国家反逆罪の疑いで拘束。事実上失脚した鈴木は家族とともに北海道を脱出し、ウラジオストックに向かった。

杉村は鈴木が長女貴子に政権移譲するためのワンポイントリリーフと見られていたが、杉村自身が長期政権を樹立する為に反政府デモを利用して鈴木を追い落としたのである。

杉村は内閣も一新し、権力基盤を固めつつあるようにみえる。事態の収拾を図るためとして、北海道政府は日本(本州)に支援を要請。日本(本州)は安全保障条約に基づき、北海道に部隊を派遣。鈴木が日本(本州)とロシアの間でバランスを取る事を不快に思っていた日本(本州)は、積極的に杉村を支援する姿勢を示したのだが、ロシアと中国は日本(本州)の部隊派遣の正当性に疑義を唱えた。

さて、キャプテンフリント劇場「ソ連崩壊と同じ事がもし日本で起こったら」はここまでです。楽しんで頂けたでしょうか。既にお判り頂いているかもしれませんが、念の為に設定をご説明します。日本(本州)はロシア、北海道はカザフスタン、四国はジョージア、九州はウクライナ、沖縄はクリミアです。中国とロシアは欧米諸国を表します。

登場人物は、安倍晋三=プーチン、野田聖子=ティモシェンコ、麻生太郎=ヤヌコーヴィチ、上田信也=ゼレンスキー、鈴木宗男=ナゼルバエフ、杉村太蔵=トカエフです。






今回は、私自身がロシアの主張や立場を感覚的に掴む為に、ソ連崩壊と同じ様な事が日本で起こったらどうなるか、架空のストーリーを作ってみたのですが、予想に反して、あまり日本(本州)にシンパシーを感じませんでした。皆さんはどう感じられたでしょうか。それではまた。

本稿の関連動画を以下にアップしています。良ければご参照下さい。

https://youtu.be/xZhrjKPQksk

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ドイツ、インド、シンガポール、フィリピン、ロシアに、計17年駐在していました。今は引退生活を楽しんでいます。

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