世界3大商人(華僑、印僑、ユダヤ人)とのビジネスは大変だけど面白い

09/12/2021

その他

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今回は、世界3大商人と言われる、華僑、印僑、ユダヤ人と仕事をした経験についてお話ししたいと思います。

本稿の関連動画を以下にアップしています。良ければご参照下さい。

https://youtu.be/Wd6p6pm6r70

ちなみに、世界3大商人というと、華僑、印僑、ユダヤ人を指す訳ですが、それにレバノン人、シリア人(レバシリ)を加える事もあります。日本で有名なレバノン人ビジネスマンはカルロス・ゴーンですね。

私は密かに"関西人"も加えて良いのではないかと考えています。関西人こそ、世界に通用するグローバル人材です。正確な数字は判りませんが、感覚的には海外駐在員に占める関西人の割合は、日本国内の人口比を大きく上回っているのではないかと思います。

関西人はグローバル人材

私は、独特の民族衣装を着ていない限り、ユダヤ人を外見で見分ける事が出来ません。稀に「ユダヤ人を見分けられる」という日本人もいますが、多くの日本人は、私と同様に、ユダヤ人を見分けられないのではないかと思います。

エルサレムの市街地を歩くユダヤ教超正統派の人々

話題にしにくいテーマなので確認が難しいのですが、どうも欧米人は見ただけでユダヤ人を見分ける事が出来るようです。ちょうど、欧米人が日本人、中国人、韓国人を見分けられないのに、私たちにはそれが出来るのと、同じような感じかもしれません。

見分けられないから、日本人はユダヤ人を普通の白人と区別しません。そんな事もあってか、ユダヤ人は日本人に対して概してフレンドリーです。ユダヤ人と日本人、差別されている者としてのシンパシーがあるのかもしれません。

欧米の白人社会の中でアジア系への差別を感じる事はよくあります。唯一の例外は旧ソ連の国々です。私はモスクワに駐在している間に、有色人種としてロシア人に差別されていると感じた事はありませんでした。これはおそらく数少ない、ソ連時代の良い遺産だと思います。

現在のロシアには中央アジアの人々や沿海州の朝鮮民族など、多くのアジア系の人々がいますが、彼らがスラブ系のロシア人に差別されることはありません。

カザフスタンの人々

私の推測ですが、ソ連に人種差別が無かったのは、もともとマルクスレーニン主義という理念に基づいて人為的に作られた国だったので、"人種差別は良くない"という理念も、そのまま定着したのではないかと思います。マルクスがユダヤ人だった事、スターリンがグルジア人だった事も影響しているかもしれません。

ちなみにソ連では宗教が否定されていた為、宗教的な差別もありませんでした。

爆破されたロシア正教総本山(救世主キリスト大聖堂)

旧ソ連以外の欧米白人社会では、残念ながら人種差別は存在します。ニューヨークで勤務する日本人駐在員が、奥さんと子供を帯同している場合、ハドソン川を挟んだマンハッタンの対岸のジャージーシティに住む事が多いのですが、そこはユダヤ人も多く住む地域なので、JewとJapaneseでJJシティなどと言われるそうです。

ドイツで取引先のドイツ人数名と会食をしていた時に、夏休みの話になり、中の一人が「イスラエルで過ごす予定」と言ったので、私は初めてその人物がユダヤ人である事を知りました。彼は外見は普通のドイツ人で、身長も190cm前後でした。

概してユダヤ人はハードネゴシエーターです。ドイツに駐在していた時、ハンガリーのブダペストに出張してハンガリー企業と商談をする機会がありました。

ブダペストの街並み(ドナウ川にかかる鎖橋)*ブダ側からペスト側を見ている

私は当時30代前半でしたが、従業員6000人の大企業のユダヤ人社長と直接商談をする事になりました。私の感触ですが、ユダヤ人ビジネスマンは相手の"格"は全く気にせずに、商談の重要性に応じて対応を決めるように思います。更に言えば、部下に任せきりにせずに自分が直接関わる度合いが強いようです。

私がフィリピンに駐在していた時に一緒に仕事をした合弁パートナーの華僑も、部下に任せきりにしないという点は、全く同じでした。先方はフィリピンの中堅財閥で、グループ全体の従業員は数千人です。その財閥のNo.2の大番頭が、合弁会社の総務経理担当役員になっていたのですが、合弁会社の出金を全件チェックしていました。

合弁会社なので、出金には、私が所属していた日系企業側のサインと、パートナー側のサインが必要でした。パートナー側のNo.2が出金を全件チェックしているので、私も自然と全件チェックするようになりました。

フィリピンは米国スタイルで、支払いは全て小切手でした。伝票とエビデンス(証拠書類)が添付され、パートナー側のNo.2が既にサインしている小切手が回ってくると、私が内容を確認した上で、小切手にサインし、支払いに回すのでした。この流れで、文房具の購入から来客用茶葉の購入まで、全件チェックする訳です。

このパートナーの華僑のおかげで私は「カネの流れは、人任せにせずに自分でチェックする」という海外ビジネスの基本を身に付ける事が出来ました。本社の業務監査部が社内監査に来た時「業務効率化の為に、一定金額までの経費支払いは、経理課長に権限移譲すべき」というコメントがありましたが、私は無視しました。そんなものは、フィリピンのビジネスの実態を知らない本社の戯言です。

さて話を戻すと、ブダペストでの商談は大変厳しいものでした。私はまだ海外ビジネスに関わり始めたばかりで、拙い英語ながら出来るだけ礼儀正しく交渉したのですが、先方の社長は言いたい放題という感じで、ストレートに種々の要求をしてきました。私は殆ど罵倒されているような状態で、とりあえずその日の商談が終了しました。

するとユダヤ人社長が私を夕食に誘いました。私は、怒りで体が震えるような状態だったので、あまり気が進まなかったのですが、誘いを断る勇気も無かったので、誘いに応じました。

その社長の専用車(ベンツ)に乗せて貰って、市内の一流ホテルのレストランに行き、キャビアやフォアグラなど、ハンガリー特産の食材を使った料理をご馳走になったのですが、驚いたのは、さっきまで私を罵倒していた社長が、嘘のようににこやかに世間話をした事でした。その時、感情的にならずにハードネゴをこなす、ユダヤ人ビジネスマンの凄さを感じました。

会食したフォーラムホテルはインターコンチネンタルに変わっています
ドナウ川の向こうに見えるのはブダの王宮

大まかな話が決まってからの細かな打ち合わせには、社長は参加せず、私はもっぱらドイツ系ハンガリー人の国際部長と話をしていたのですが、私が後任と一緒に帰任の挨拶に行った時は、わざわざ出てきてくれて、餞別にハンガリー名物のヘレンド陶器のキャンディーポットをくれました。

私がインドに駐在していた時には、インド人とハードネゴをする機会も多かったのですが、インドにいるインド人ビジネスマンは印僑とは言いません。中国にいる中国人を華僑と言わないのと同じです。私が初めて印僑と話をしたのはモスクワでした。

以前の投稿「ソ連時代の一般的なロシア人の暮らし」でも触れましたが、私は2010年から2014年まで、ドイツ企業が買収したロシア企業のモスクワ本社で働いていました。そのロシア企業に社長としてドイツから派遣されていたのが、ドイツ生まれのインド人だったのです。

ケルンで生まれ育った人物だったのですが、両親はインドのベンガル地方出身で、外見は完全なインド人でした。私にとって残念だったのは、その人が外見だけでなく中身も完全なインド人だった事でした。

その企業の本社ビルの中に事務所を構えて、私を含めて3人の日本人に加え、そのロシア企業の従業員2名を専属のスタッフとして配属して貰ったのですが、私は四半期毎に、そのインド人社長に業務報告をしなければなりませんでした。ポイントは、そのロシア企業にどれだけ利益貢献したか、でした。要求は厳しいのですが、一方で私と私のチームメンバーに対する扱いは雑で、私たちにはものすごく狭いオフィススペースしか与えられていませんでした。

そのインド人社長は、その後ロンドンに異動し、後任にはスウェーデン人社長が派遣されて来るのですが、そのスウェーデン人社長は、私たちの狭いオフィススペースに同情して、すぐに広いところに移してくれました。華僑、印僑、ユダヤ人の3者を比べると、印僑が一番きついように感じます。

但しそのインド人社長の業務能力が極めて高かったのは間違いありません。以前の投稿「インド人の特徴」でもお話ししましたが、私はインド人は知能指数の平均値が高いのではないかと考えています。まさにこのインド人社長も、そういったタイプでした。

買収したロシア企業の経営というのは、日本人の想像を絶するような難しさがあります。インド人社長が去った後に社長になったスウェーデン人は、真面目な好人物だったのですが、着任から1年くらいで多くの問題が噴出し、退任してしまいました。

さて今回の、華僑、印僑、ユダヤ人に関する話はここまでです。今回は触れなかった、インドにいるインド人ビジネスマンについても、また機会を見てお話ししたいと思います。それではまた。

本稿の関連動画を以下にアップしています。良ければご参照下さい。

https://youtu.be/Wd6p6pm6r70

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ドイツ、インド、シンガポール、フィリピン、ロシアに、計17年駐在していました。今は引退生活を楽しんでいます。

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