今回は、ソ連時代の計画経済が現在のロシアの製造業にどのように影響しているかについて、お話ししたいと思います。
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ソビエト連邦の計画経済は、スターリンが1928年に開始した五か年計画で具体化されました。五か年計画とは、ソビエト連邦が国家発展を希求し、重工業中心の工業化及び農業の集団化に関して逐次作成した、5年間にわたる長期計画の事で、5年ごとに2次、3次と継続されました。今回は重工業中心の工業化について説明します。
社会主義経済が崩壊した根本的原因は、自由主義市場経済と比較して効率が悪く、生産性が低い為である、と言われます。
自由主義市場経済は効率が良いのは、市場における優勝劣敗の結果、効率の悪い企業が淘汰されるからです。企業の淘汰の仕組みは、進化論の自然淘汰に通じるものがあります。
計画経済においては市場における企業の競争が全く無いので、この自然淘汰が起こりません。現在の日本では、政府の補助金等の企業支援策で、本来市場から退場する筈なのに生き残っている企業を、“ゾンビ企業”などと呼びますが、計画経済下では全ての企業がこの“ゾンビ企業”になってしまう訳です。
この、市場における競争が無い状態というのは、今でもロシアに少し残っています。私は2008年から2014年までモスクワに駐在していたのですが、この市場における競争が無い状態の残滓を垣間見る事が出来ました。
一つはプラスチック製のハンガーです。私はロシアで、1種類のハンガーしか見ませんでした。黒いプラスチック製で、比較的しっかりした作りのものです。
自宅のサービスアパートメントでも、出張先のホテルでも、知人宅を訪問しても、取引先企業でも、ゴルフ場でも、レストランでも、どこでも同じハンガーが使われていました。おそらくそれ以外のプラスチック製ハンガーは製造されていないのでしょう。
もうひとつはドアの呼び鈴です。自宅の呼び鈴も、知人宅も、取引先企業も、どこに行っても同じ呼び鈴が付いており、ボタンを押すと同じ呼び出しのチャイム音が鳴りました。
製造業における計画経済の特徴は、生産高のみにノルマが設定されていた事です。そのため、「生産高1トンのノルマを課されたネジ工場が、1トンのネジ1個を製造してノルマを達成した」などというアネクドート(ロシア小話)がありました。
市場における競争が無く、常に需要を下回る量の製品しか生産しなかったので、生産者は“その製品が売れるかどうか”を気にする事無く、生産高ノルマの達成だけを考えて製品を作り続けました。このアネクドートは、製造した製品の使途を全く気にしない事を皮肉ったものです。
資本主義自由経済における企業の目標は、利益を最大化してそれを安定的に継続する事ですが、前述の通りソ連の計画経済では、与えられた生産高ノルマの達成のみが目標になるので、目標達成に対するアプローチも、おのずと違ってきます。
生産高のノルマのみが設定され、利益目標が全く無いという事は、生産高ノルマを達成するためにどれだけの資源を投入したかを問われない、という事です。よって、ソ連時代の製造業には、コスト削減という考え方は皆無でした。
自動車メーカーを例に説明します。
資本主義の国々では、自動車メーカーは“アッセンブリーメーカー”と呼ばれ、部品メーカーなどのサプライヤーから資機材を調達して自動車を組み立てます。これは分業によって効率化を達成し、コストを削減するためです。内製化するよりもサプライヤーから供給を受ける方が、コストが抑えられるので、そのようにする訳です。
ただし、サプライヤーからの資機材供給がストップすると、工場の生産ラインもストップし、生産高のノルマが達成できなくなります。前述のように、ソ連時代の製造業は、コスト削減に対するインセンティブは一切ありません。一方で、生産高のノルマ未達の場合、責任者は下手をするとシベリア送りになりかねません。
そこでソ連時代の自動車メーカーは、サプライヤーからの調達が滞るリスクを極小化するために、極限まで内製化を進めていました。自社で製鉄の高炉を持ち、自動車用鋼板の製造まで内製化していたそうです。自社で使用する分の鋼板だけを、高炉まで所有して製造したら、コストはかなり割高になった筈ですが、経営陣は全く気にかけませんでした。
この自動車メーカーの内製化方針のため、ソ連には自動車部品メーカーが存在しませんでした。現在でも、ロシアに進出した日系を含む外資系自動車メーカーは、殆どの部品を、海外から輸入するか、ロシアに進出した日系を含む外資系自動車部品メーカーから調達しています。
しかし、極限まで内製化を進めても、自社内での何らかの事故または不具合等により、製造ラインへの資機材供給がストップするリスクは残ります。
このリスクを回避するために彼等がした事は、部品在庫の積み増しです。何があっても生産ラインが止まる事が無いよう、在庫は数カ月分から、場合によっては1年分以上あったようです。
トヨタが始めたジャストインタイム生産システムのメリットは、部品在庫の圧縮による資産圧縮、それに伴う借入金の圧縮による金利負担削減、部品在庫保管コストの削減など、いろいろあると思うのですが、ソ連時代の製造業は生産高ノルマの達成以外には全く関心が無いので、綱渡りのようなジャストインタイム生産システムを導入するインセンティブは、全くありませんでした。
もっとも、ソ連時代にジャストインタイム生産システムを導入しようとしても、毎日何回も決まった時間に部品を配送する運送業者も、決められた部品を決められたタイミングで製造して供給する部品メーカーも、存在しませんでしたから、いずれにしても導入は不可能でしたが。
私は2013年に、ロシアの自動車トップメーカー、アフトバズを訪問する機会がありました。アフトバズは既にルノーに買収されており、ルノーはアフトバズの株式の50.2%を保有していました。
アフトバズは、サマラ州トリヤッチ市に本社を置く、1966年創業の、ロシア最大の自動車メーカーで、LADAブランドの車両を製造して、ロシア及びCIS諸国に販売しています。
トリヤッチの本社工場の建屋は、縦2km、横3kmの巨大なものでした。敷地ではなく“建屋”です。
東京ドームが46,755平方メートルなので、この工場は東京ドーム128個分になります。
ところが、驚くべき事に、その巨大な建屋には、生産ラインは3本しかありませんでした。その他のスペースは殆どが部品在庫の保管に使われているという事でした。
この本社工場の製造キャパシティは、年間60万台で、従業員は16万人でした。トリヤッチ市の人口は約60万人なので、市の殆どの人がアフトバズに関係していると考えられます。
ちなみに、トヨタの100%子会社であるトヨタ自動車九州(宮田、苅田、小倉の3工場がある)は、従業員数1万1千人で、年間43万台を生産しています。極端に内製化しているという事を勘案しても、アフトバズの従業員がいかに多過ぎるかが判ります。
ルノーが買収した直後に、ルノー本社から派遣されたフランス人取締役2名は、従業員を16万人から12万人へ削減する事を、取締役会で提案しました。
フランス人取締役2名は、その後、行方不明となったそうです。
ルノーの人達はそれ以外に、部品在庫の圧縮も提案したのですが、アフトバズのロシア人達は、十分な部品在庫が必要な理由を“理論的”に説明して、一歩も引かなかったそうです。
さて、ソ連時代の計画経済が現在のロシアの製造業にどのように影響しているかについてのお話はここまでです。楽しんで頂けたでしょうか。次回は、ソ連時代の一般的なロシア人の暮らしについて、お話ししたいと思います。それではまた。
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