なぜトランプはロシアに融和的なのか - ウクライナ和平案の背景 - スティール文書とモラー報告書

02/01/2026

ロシア

t f B! P L

2025年11月に米国がウクライナに提示した新たな和平案は世界に衝撃を与えました。その和平案は米国のウィトコフ特使とロシアのドミトリエフ特使が書き上げたもので28項目からなるとされます。内容はロシアの要求に沿ったもので領土の割譲やウクライナ軍の縮小など殆どウクライナの降伏に近いものでした。ロシアのG8復帰と制裁解除の段階的実施についても触れられていました。

トランプ大統領はこの和平案を受け入れるようウクライナに迫りました。ゼレンスキー大統領は「尊厳を失うか主要パートナーを失うか」と言って苦渋の色を滲ませました。その後ルビオ国務長官がウクライナ側と協議してより中立的な案に戻したのでウクライナが降伏を強いられる事態はひとまず避けられましたが安心出来る状況にはほど遠い様です。

一連の顛末によりロシアに配慮するトランプ大統領の融和的な姿勢が改めて鮮明になりました。このニュースで私が思い出したのが2017年に米国のニュースウェブサイト・バズフィードが公開しトランプとロシアの関係を示すとされて世界中を騒がせたスティール文書です。今回はこのスティール文書についてお話ししたいと思います。

本稿の関連動画を以下にアップしています。良ければご参照下さい。

https://youtu.be/QmXsfHQ9yE4

スティール文書とは元MI6ロシア担当スパイのクリストファー・スティールが纏めた疑惑・噂・情報提供等の未検証情報のメモの集合体です。

クリストファー・スティール:背景はFSB(旧KGB)本部ビル

スティールは2009年にMI6を退職し民間調査会社オービス・ビジネス・インテリジェンス社を設立しました。2016年の米国大統領選で民主党全国委員会とヒラリー・クリントン陣営は弁護士を通じてワシントンD.C.の民間政治調査会社フュージョンGPSを起用しフュージョンGPSはトランプのロシア関連活動の調査をオービス・ビジネス・インテリジェンス社に発注しました。この発注に基づいてクリストファー・スティールが作成したのがスティール文書です。スティールはこの文書を"生の情報"つまり確立された事実ではなく更なる調査の出発点と見なしていた事を関係者に明確に伝えていました。

トランプ大統領当選確定後の2016年12月に文書のコピーをバズフィードに渡したのは共和党のマケイン上院議員でした。マケインはトランプの大統領としての資質に懸念を表明していました。12月29日共和党の外交政策専門家デビッド・クレイマーはバズフィードの記者ケン・ベンジンガーをマケイン研究所のオフィスに招き入れました。そして20分間ベンジンガーを文書のある部屋に一人残したのです。これはワシントンの用心深い内部関係者の常套手段だそうです。クレイマーは後にベンジンガーにコピーを許可した事を否定しています。

ベンジンガーは全てのページの写真を撮り翌年1月10日にそれを公開しました。写真なので公開された文書はページが少し歪んでいます。以下にネット上にあるスティール文書のリンクを貼っていますのでご興味のある方はご覧下さい。

https://ia600400.us.archive.org/7/items/TrumpIntelligenceAllegations_201801/Trump-Intelligence-Allegations_text.pdf

バズフィードが入手から10日以上経ったそのタイミングで文書を公開したのは、CNNが文書について最初のニュースを報じたのでスクープを完全に失う事を恐れた為と言われています。

スティールは「バズフィードはこの報告書を公開する事でどれほどの命と生活を危険に晒したか」「最も無責任なジャーナリズム行為の一つ」と断じています。バズフィードは文書の作成者を明かしていなかったのですがウォール・ストリート・ジャーナルがスティールが作成者である事を明かしてしまいます。スティールはロシア当局の報復を恐れて自身の名前が公表されると同時に自宅を出て潜伏しました。スティールは数週間の潜伏期間を経て姿を現しました。

さてここからは文書の中身についてお話しします。文書には全部で17のレポートがあるのですがその番号は飛んでいます。スティールは「レポートの番号付​​けに意図的に連続した空白を設けてレポートの実際の数と時期を不明瞭にしていた」と言っています。

最初のレポートは2016年6月20日付で番号は2016/080タイトルは「米国大統領選挙:共和党候補ドナルド・トランプのロシアにおける活動とクレムリンとの危うい関係」です。最も有名なレポートでスティール文書全体の"核"とされました。その概要は次の通りです。

1.ロシア当局は少なくとも5年間トランプを育成し支援してきた。

2.トランプはこれまでロシア当局からロシア国内での様々な不動産事業の魅力的な取引を持ちかけられたが全て断った。

3.一方でトランプとその側近は民主党やその他の政敵に関する情報を含むクレムリンからの定期的な情報提供を受け入れてきた。

4.ヒラリー・クリントンの盗聴された会話のデータはクレムリン首席報道官のドミトリー・ペスコフが管理している。

クレムリン首席報道官ドミトリー・ペスコフ

5.FSB(旧KGB)はトランプのプライベートに関する"コンプロマート"を収集した。

コンプロマートはスターリン時代のロシアの俗語を起源とする用語でロシア語の"妥協材料"の略称です。「戦略的に利用され得る中傷的な情報」を意味します。

トランプのコンプロマートとして例示されているのは2013年11月にトランプがミスユニバース大会に出席する為にモスクワを訪れた際の出来事です。

トランプは2015年にミスユニバース機構を売却するまでミスユニバースの運営組織のオーナーだったのです。この例示されたコンプロマートはスティール文書の中でも最もセンセーショナルで真偽が一切確認されていない部分です。

2013年にモスクワを訪れたトランプはリッツカールトンのプレジデンシャルスイートに宿泊しました。その部屋は2009年のロシア公式訪問の際にオバマ大統領とその家族が宿泊した部屋でした。オバマを嫌っていたトランプはオバマ夫妻が寝たベッドを汚す為に多数の売春婦を雇い彼の目の前で放尿ショー(ゴールデンシャワーショー)をやらせたと言うのです。

リッツカールトンはFSBの支配下にあり全ての主要な部屋にマイクと隠しカメラが設置されFSBが望む事を何でも記録出来る事が知られていました。似た様な情報は2016年9月14日付のレポート2016/113にも見られます。「トランプが過去に不動産ビジネスの関係でサンクトペテルブルクに出張した際にセックスパーティに参加した」という記述です。「最近この件を直接目撃した全員が"口封じ"として賄賂を受け取ったり失踪を強要されたりした」と付記されています。

ここまでだけでも事実と疑惑と噂が錯綜しているのがお分かり頂けると思います。ここからは報道や議会証言で多く言及されたレポートを厳選してご説明します。

次のレポートは2016年7月19日付で番号は2016/94タイトルは「ロシア:トランプ顧問カーター・ペイジがモスクワでクレムリンの秘密会議に出席(2016年7月)」です。概要は次の通りです。

カーター・ペイジ

1.トランプ陣営の外交政策顧問カーター・ペイジがモスクワで国営石油会社ロスネフチのセチンCEO及び政府高官のディヴィエキンと秘密会談を行った。

国営石油会社ロスネフチのセチンCEO

2.セチンとは将来の二国間エネルギー協力とそれに伴う対ロシア制裁解除の見通しについて話した。

3.ディヴィエキンからはクレムリンが保有するヒラリー・クリントンに関するコンプロマートをトランプの選挙陣営に公開する可能性が示唆され併せてトランプに関するコンプロマートを仄めかした。

次のレポートは2016/095タイトルは「ロシア/米国大統領選挙:トランプ陣営とクレムリンの大規模な陰謀の更なる兆候」です。なぜかこのレポートには日付がありません。概要は以下の通りです。

1.トランプの側近であるロシア系情報源は彼等とロシア指導部の間には綿密な共謀関係があった事を認めた。

2.トランプ陣営の選対本部長ポール・マナフォートが外交政策顧問カーター・ペイジを仲介役として利用していた。

ポール・マナフォート

3.プーチンはヒラリー・クリントンに嫌悪と恐怖を抱いていた。

4.民主党全国委員会からウィキリークスに流出した電子メールの背後にロシア政権が関与していた。

ポール・マナフォートはモラー特別検察官によって起訴され2019年に実刑判決を受けるのですが2020年にトランプ大統領が恩赦を発表しました。モラー特別検察官がまとめた「2016年大統領選におけるロシアの干渉に関する捜査報告書」については後で詳しくお話しします。

民主党全国委員会から流出したメールは予備選で中立であるべき民主党全国委員会が左派のバーニー・サンダースよりも中道派のヒラリー・クリントンを支持していた事を示していました。この暴露により民主党全国委員会委員長は2016年の民主党全国大会前に辞任しました。以前の投稿"NY市長選2025"でお話しした通り民主党の中道派と左派の確執は2025年のNY市長選でも顕在化しました。

2016年8月10日付のレポート2016/102には「電子メールをウィキリークスに漏洩した狙いはバーニー・サンダース支持者をヒラリー・クリントンからトランプ支持に引きずり込む事で外交政策顧問カーター・ペイジが考案・推進した」と書かれています。ちなみにペイジはロシアによる選挙介入とトランプ陣営との関連性を調査する複数の政府調査の対象となっていましたが、モラー特別検察官は「調査によってペイジ氏がロシア政府と連携して介入を行った事は立証されなかった」と結論付けました。

2016年10月19日付レポート2016/135と2016年10月20日付レポート2016/136及び2016年12月13日付レポート2016/166は2016年8月にプラハで行われたトランプの弁護士マイケル・コーエンとクレムリンの高官との秘密会談の情報です。概要は次の通りです。

マイケル・コーエン

1.会談場所となったのはロシア連邦交流庁プラハ事務所。

ロシア連邦交流庁プラハ事務所

2.会談は当初モスクワで予定されていたが発覚した場合のリスクを考慮してEU加盟国に変更された。

3.コーエンは当時トランプとロシアの関係の全容が暴露されるのを防ぐ為の隠蔽工作と被害の最小化に注力していた。

4.ポール・マナフォートとカーター・ペイジがトランプとクレムリンの秘密連絡に関与していた事がメディアで暴露された件の被害の最小化について協議を行った。

5.更にクレムリンの指示の下で反クリントンの活動を行っているルーマニア人ハッカーへの報酬支払方法、モスクワとトランプ陣営の秘密裏の関係を隠蔽する方策等を話し合った。

6.ヒラリー・クリントンが大統領に当選した場合の対応策についても検討した。具体的には「ルーマニア人ハッカーとその他の工作員が活動を停止し痕跡を隠蔽した上で撤退しブルガリアに潜伏する」というものだった。

マイケル・コーエンは2018年に選挙資金法違反・脱税・銀行詐欺等8件の罪状で有罪を認めて服役し2021年11月に刑期を終えました。有名なのはポルノ女優ストーミー・ダニエルズに口止め料13万ドルの支払いを手配した件ですね。

トランプとコーエンは喧嘩別れし2019年にコーエンは未払いの弁護士費用についてトランプオーガニゼーションを提訴しました。未払い弁護士費用の件は和解に至ったのですが2023年に今度はトランプが弁護士・依頼者間の秘匿特権を侵害したとして5億ドルの損害賠償を求める訴訟を起こしました。この損害賠償訴訟はトランプが取り下げています。

さてここからは前述のポール・マナフォートを起訴したモラー特別検察官のまとめた報告書についてお話しします。これまでにお話しした「疑惑の嵐」に向き合った米国の司法の話です。

モラー報告書は2016年7月~2017年5月までFBIが行った対諜報捜査(コードネーム:クロスファイア・ハリケーン)を引き継いだ捜査についてのものでした。ちなみにコードネームのクロスファイア・ハリケーンはローリングストーンズのジャンピンジャックフラッシュの冒頭の歌詞から採られたものです。

クロスファイア・ハリケーンの捜査の対象は「トランプ陣営とロシアの関係」及び「トランプ陣営関係者がロシア政府による2016年米国大統領選への干渉工作に協力していたかどうか」でした。トランプは「スティール文書がきっかけでクロスファイア・ハリケーンが開始された」と主張していましたが実際には無関係でFBIが独自に入手した情報に基づいて2016年7月下旬に開始されたものでした。FBI捜査チームがスティール文書を受け取ったのは9月中旬でした。

大統領就任後の2017年5月トランプはクロスファイア・ハリケーンを指揮していたジェームズ・コミーFBI長官を解任しました。

ジェームズ・コミーFBI長官

コミー長官はヒラリー・クリントンの国務長官時代の私用メール事件の捜査で有名です。

コミー長官は2016年5月に「不起訴とする」と発表したのですが大統領選の投票日の11日前(期日前投票開始日)に「無関係の事件に関連してヒラリー・クリントン私用メール事件の捜査に関連すると思われる電子メールの存在を把握したので調査を再開する」と発表しました。そして投票日の2日前に「再調査の結果違法性は無く訴追に相当しない」と発表したのです。このコミー長官の発表がヒラリー・クリントンから有権者を大幅に引き離し最終的にトランプの勝利に繋がったと見られています。FBIには「選挙結果に影響を及ぼさない様に選挙直前には候補に関する情報を発表しない」という不文律があるそうです。それにも関わらずコミーがこの様な発表をした背景は不明です。コミーは「情報を明らかにしなければ関連情報を隠蔽したとして告発されるのではないか」と懸念していたという話もありますね。

議会の130人以上の民主党議員はコミーの解任を受けて特別検察官の任命を求めました。それを受けてローゼンスタイン司法副長官はロバート・モラーを特別検察官に任命しクロスファイア・ハリケーンの捜査継続を指示しました。

ロバート・モラー特別検察官(左)とローゼンスタイン司法副長官(右)

長官ではなく副長官だったのはセッションズ司法長官が大統領選でトランプ陣営の政策顧問だったので関係者として捜査から自らを除外する法的手続を取っていたからです。

セッションズ司法長官(右)

ロバート・モラーは解任されたコミーFBI長官の前任者で2001~2013年まで12年間FBI長官の職にありました。

2013年6月21日オバマ大統領がロバート・モラーFBI長官の後任としてジェームズ・コミー氏を指名する事を発表

モラー報告書の正式名称は「2016年大統領選におけるロシアの干渉に関する捜査報告書」です。報告書は2019年3月にウィリアム・バー司法長官に提出されその後機密部分を黒塗りした形で一般公開されました。トランプは捜査から自らを除外する法的手続を取っていたセッションズ司法長官に辞任を促して以前からモラー特別検察官の捜査に批判的だったウィリアム・バーを司法長官にしていました。

ウィリアム・バー司法長官(右)

モラー報告書は2巻構成になっています。第1巻は「ロシアによる選挙介入とトランプ陣営との関係」について第2巻は「トランプ大統領による司法妨害の可能性」について述べられています。

第1巻では結論として「ロシア政府がサイバー攻撃・ハッキング・情報操作・SNSを用いた世論工作を通じて2016年米大統領選に組織的に介入した」と断定しています。一方でトランプ陣営との関係については「トランプ陣営の関係者がロシア人やロシア関係者と多数の接触を持っていた事とロシアがトランプ当選を望んでいた事を確認したが刑法上の"共謀"を立証する証拠には至らなかった」としています。ここで重要なのは"無罪を証明した"のではなく"起訴できるだけの証拠が得られなかった"という点です。ところがトランプと彼の支持者の多くは"共謀は無かったと証明された"と主張しました。

第2巻では「トランプ大統領が司法妨害を犯したとは断定出来ない」としましたが無罪とも結論づけていません。報告書では10件前後の司法妨害の具体的行為が列挙されています。代表的なものは1)コミーFBI長官の解任 2)モラー特別検察官の解任を検討・指示した疑惑 3)側近に対する証言への圧力 4)調査に関する虚偽説明等です。モラー特別検察官がトランプを犯罪で起訴するかどうかの判断を下さなかった背景には「現職大統領は連邦法で起訴出来ない」とする2000年の司法省の見解がありました。モラー特別検察官は「"司法妨害を犯した"と断じたとしてもトランプ大統領が自身の名誉を回復出来る裁判が行われないので不公平だ」と考えた様です。

モラー報告書を受け取ったバー司法長官は報告書の内容を纏めた4ページの書簡を議会に送付しました。その内容は次の通りです。

1.トランプ陣営のメンバーがロシア政府の選挙干渉活動において共謀した事は立証されなかった。

2.司法妨害について特別検察官は司法妨害捜査の事実を法的結論に至らずに記述した。報告書に記述された行為が犯罪を構成するかどうかを判断するのは司法長官に委ねられている。ローゼンスタイン司法副長官と私は特別検察官の捜査中に得られた証拠は大統領が司法妨害の罪を犯した事を立証するには不十分であると結論付けた。

モラー報告書はトランプ支持者と反トランプ派の両方に都合の良い解釈を許す事となり米国社会の分断を更に深める結果となりました。

さて今回のスティール文書のお話はここまでです。楽しんで頂けたでしょうか。ウクライナ和平協議は予断を許さない状況ですが今後の展開を踏まえてまた適当な時期に関連動画をアップしたいと思います。それではまた。

本稿の関連動画を以下にアップしています。良ければご参照下さい。

https://youtu.be/QmXsfHQ9yE4

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