今回はアジアで唯一のラテンの国、フィリピンについてお話ししたいと思います。
本稿の関連動画を以下にアップしています。良ければご参照下さい。
私は2002年から2006年までフィリピンに駐在していたのですが、フィリピンの人々の暮らしぶりを見て、「人生とは何か、幸せとは何か。」を、つくづく考えさせられました。
一時帰国した時に日本の本社で、フィリピンの人々の暮らしがいかに幸せか、翻って日本のサラリーマンがいかに不幸か、を熱弁し、みんなから「こいつはもう、終わったな。」という顔をされたものです。
当時のフィリピンにおける一人当たりGDPはUSD1,000~1,500で、2019年でもUSD3,500に留まります。日本は同じ時期にUSD32,300~USD35,500、2019年はUSD40,300です。お金と幸せは必ずしもリンクしないという事ですね。
ちなみに私がフィリピンで勤務していた会社では、事務職の20歳新卒女子の月給は10,000ペソ、約2万円でした。最近は20,000ペソ、約4万円になっているそうです。ボーナスは年1回で、一か月分でした。
20歳の新卒とは、フィリピンの学制における大卒でした。当時のフィリピンでは、12歳で小学校を卒業した後、高校が4年、大学が4年となっていました。高校までが義務教育なのですが、フィリピンの人々、特にマニラ首都圏の人々は教育熱心で、当時のマニラ首都圏における大学進学率は50%くらいでした。(2010年から小学校6年、中学4年、高校2年の軽2年が義務教育と、変更されました。義務教育期間は日本より長くなっています。)
マニラ首都圏(メトロマニラ)とはマニラ市と周辺の市を合わせた地域の呼称です。旧首都のケソン市のほか、多くの日系企業が事務所を置くマカティ市や、アジア開発銀行があるマンダルーヨン市、戦犯収容所があったモンテンルパ市などもマニラ首都圏に含まれます。
学制が変更されて義務教育が延長されたので、今では19歳で出産するシングルマザーが多くなっているのではないかと思います。
多くのフィリピンの人たちがカトリック信者で、妊娠中絶が非合法である事も、シングルマザーが多くなる原因の一つです。
この17歳でシングルマザーになってしまう現象は、社会階層に関係なく広く存在していたので、良家の子女がシングルマザーとして17歳で出産するケースも多くありました。
私が営業マネージャーとして採用した女性は、30歳くらいの、フィリピンの東大といわれるフィリピン大学(Univercity of the Philippines:通称UP)を卒業している才媛で、フィリピンの上流階級の家庭の出身でしたが、17歳で女の子を出産しているシングルマザーでした。
私の秘書をしていた30代前半の女性も、父親が公認会計士をしている裕福な家に生まれていましたが、やはり17歳で女の子を出産しているシングルマザーでした。フィリピンの人口ピラミッドが綺麗な三角形になる理由が判るような気がします。
女の子が可哀そうと思われるでしょうが、それで不幸にならないのがラテン気質です。まさにケセラセラで、本人も周囲もそれを受け入れて幸せに暮らすという事です。
このラテン気質のケセラセラで、みんな、お金が無くても楽しく暮らしています。
私がフィリピンで勤務していた会社は、日本の企業とフィリピン華僑の合弁会社でした。人事面は合弁相手のフィリピン華僑が厳しく管理していたため、従業員の給与は決して良くはありませんでしたが、40人位いた従業員は、みな本当に楽しそうでした。
昼食時には、大きな炊飯器で炊いた白米が無料で従業員に提供されていました。事務所の中に大きなダイニングテーブルが置いてあり、従業員は屋台で売られている数十円の惣菜を持ち寄り、みなでテーブルを囲んで、ワイワイと楽しそうに昼食をとっていました。
クリスマスはカソリック教徒の多いフィリピンにおいては、一大行事ですが、その準備は9月から始まります。フィリピンは、”世界で一番クリスマスシーズンの長い国”と言われています。9月から、会社の定例会議の議題の一つに、「クリスマスの準備」が入ります。
合弁パートナーのフィリピン華僑が経費節減に厳しいので、会社のクリスマスパーティーはいつも、近所の公民館のような場所を借りて質素に行っていましたが、従業員は9月から、クリスマスパーティーの出し物の準備に入り、11月になると連日、私の部屋の隣にある大会議室で、それぞれの課ごとに、出し物の練習を行っていました。
隣でガンガン音楽をかけてダンスの練習などをしている時に、たまたま電話してきた東京本社やシンガポール地域本社のスタッフから、「今、どこにいるんですか?」と聞かれたものです。私の携帯ではなく、会社の固定電話にかけているのですから、会社以外の場所である筈がないのですが。
この楽しそうな従業員たちと毎日接しながら、たまに一時帰国して日本の本社に行くと、不幸せそうな人々ばかりが大勢いるので、思わず「フィリピンの人々の暮らしがいかに幸せか、翻って日本のサラリーマンがいかに不幸か」を熱弁してしまった訳です。
ちなみに、このクリスマスパーティーの出し物の練習は、私の会社に限った事ではなかったので、11月に入ると町中の空いているスペースで、出し物の練習をする人々が見られました。
また、フィリピンの人たちの金銭感覚も、まさに「ケセラセラ」を地で行くものです。それは、江戸っ子の「宵越しの銭は持たない」に近いものがあります。この金銭感覚の背景には、遠い昔に採集だけで豊かに暮らせたというフィリピン人のDNAが関係している、という人もいますが、定かではありません。
マゼランがやってくる前のフィリピンは、全く働かなくとも、その辺の果物などを採って食べているだけで暮らして行く事が可能な、この世の楽園であった、という事です。マゼラン来航以前のフィリピンの歴史の記録は殆どないのですが、複数の首長国が存在し、交易を行っていた記録が残っています。実際には、一部に稲作の跡があったり、部族同士の戦闘があったりして、完全な狩猟採集生活ではなかったようです。
しかし、温暖な気候を考えると、稲作に従事していた古代日本の人々よりは遥かに幸せだったのではないかと思います。あすの食べ物の心配をする必要が無かったので、”将来に備えて蓄える”という感覚が身に付かなかったのではないでしょうか。
フィリピンでは、従業員の給与は月2回支払うよう、法律で定められています。その理由は、月1回だと次の給与支払日までに使い果たしてしまって困窮するから、という事です。
ある大手日系電機メーカーのフィリピン工場の日本人社長は、フィリピンに着任した直後、工場の数千人のフィリピン人従業員のこのような様子を見て、「彼らを教育してやらねばならない」と考えたそうです。
総務部のフィリピン人責任者を呼び、将来に備えて計画的に貯蓄するという、日本人にとっては当たり前の事を従業員に教える為に、給与天引きの社内預金制度を設立するよう指示しました。福利厚生の一環ですから、市中金利を大きく上回る利息を付ける前提です。
ところが、せっかくそのような良い制度をつくってやったのに、誰も申し込みをしません。日本人社長はフィリピン人従業員に、何故社内預金の申し込みをしないのか、尋ねました。そして、子女の教育や家族の病気・事故、自身の老後など、将来のいろいろな事に備える為に計画的に貯蓄をする事の意味を、フィリピン人従業員に説明しました。
日本人社長の説明を聞いたフィリピン人従業員は、「でも、もし私が明日死んだらどうするんですか?」と聞いたそうです。
さて、アジアで唯一のラテンの国、フィリピンのラテン気質のお話はここまでです。楽しんで頂けたでしょうか。
フィリピンの人たちは、明日の事を考えずに、毎日お金を浪費するのですが、その小銭を広く集めて財を成しているのが、フィリピン華僑です。次回はフィリピン華僑についてお話しします。それではまた。
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